3日目・夜
「えっ?」
最初は気のせいだと思ったけれど、確かにトントン、カリカリという音は聞こえた。
むしろ、ドンドン、ガリガリとこれまでよりもずっと大きい音がする。
今、外に居るのはサンコ様なんだろうか。でもサンコ様は今夜仕舞われたはずだ。
じゃあ、今外に居るのは誰なんだ?
そうしている間にも音はどんどん大きくなる。もはや大きな何かが体当たりしてるとしか思えない。サンコ様じゃない。
ギシギシと蝶番が揺れる音が混じり始める。
戸が壊れるのも時間の問題かもしれない。
とにかく依子を起こして、奥に移動して、それから電話で島の人に連絡して、と、考えを巡らせていると、寝ていたはずの依子が唐突にすくっと起き上がった。
「依子?」
「はぁ~い、今行きまぁす」
依子は僕の方には全く目もくれず、まるで宅配でも受け取りに行くかのように軽い足取りで玄関に向かっていった。
あまりにも状況とかけ離れた様子に、僕は何が何だかわからず呆然とする。
玄関の鍵がガチャリと音を立てて開けられる音がして、ようやく我に返った僕は慌てて玄関に向かった。
「よ、依子!?」
僕が追い付くのと玄関の戸が開けられたのはほぼ同時だった。
戸の向こうには大きな影が立っている。
のっそりと入ってきたそれは、いつの間にか点けられた玄関の明かりに照らされてはっきりとした姿を見せた。
赤い奇妙な被り物を被った、大柄な男。
昨日の夢に出てきたのと同じ奴だった。
明かりの下で見ると、その被り物がはっきりとサンコ様の像と同じであるとわかる。
「さ、サンコ様……?」
夢じゃなかったのか、何しに来たんだ、とにかく依子を遠ざけないと
焦りとは裏腹に、相手がサンコ様だとわかって途端、体がまるで石になったかのように動かなくなる。
せめて依子に声をかけようにも、声が出せない。
昨日と同じだ。
依子はそんな僕の様子に気付くこともなく、「サンコ様ぁ」とうっとりした声を上げて男に抱き着いた。
男もしっかりと彼女を抱きしめ、頬ずりをする。
なんだ、何が起こっている?
あまりの展開についていけない僕を置いて、男は背後から何かを取り出し、依子に渡す。白い毛の塊に見えるそれを受け取った依子は、歓喜の声を上げ、あっさりと被った。
そしてすぐに猫の声のような甲高い悲鳴を上げ、全身をびくびくと痙攣させる。
「……あぁ……」
聞いたことも無いような蕩けた声を出し、やがて依子の痙攣は治まった。
と、思えば彼女はおもむろに服を脱ぎだす。止める間もなく、あっという間に依子は被り物以外身に着けていない状態になった。
全身を見下ろす依子の、被り物の目が幾度か瞬きしたのが見えて、ようやくそれが色違いのサンコ様の被り物らしい、と認識できた。
いや、なんで被り物が動いてるんだ?
――もしかして、サンコ様が依子を迎えに来た?
ふいにそんな考えが浮かび、血の気が引いた。
確かにサンコ様と依子はこの旅行ですっかり仲良くなったけど、それは猫と人の範疇で、というかサンコ様は猫のはずで、じゃあ今そこに居る男は誰なんだ?
疑問が次々に湧いてくる。答えはない。
ただ、このままでは何か良くないことが起こりそうなことだけはわかった。
止めなくては。依子を取り戻さなくては。
「んぐ……ぎ……よ、り……」
精一杯込めた気迫がわずかに勝ったのか、相変わらず体は動かないものの、かすれた声を絞り出すことができた。
このままちゃんと声をかけることができれば、或いは呼び戻すことができるかもしれない。
続けようと踏ん張ろうとしたとき、男と依子が同時にこちらを向いた。
ふたりの目とかち合った、と思った瞬間、ぶつんと音を立てるように僕の意識は途絶えた。
そして今に至る。
いつの間にか僕は台に乗せられ、目の前で依子が男と交わっている姿をただただ見ることしかできなかった。
もはや猫ではなく虎だというように互いを貪りあう彼らに、ふと餐虎という言葉が脳裏に浮かんだ。
虎の餐。
ああ、だからサンコ様なのか……急に納得してしまった。ついでに今、目の前で行われていることこそが本当の代替わりの儀式だとも。
新しいサンコ様は、新しい胎から産まれる。
今、依子と交わっているのは間違いなく僕らと一緒に居たサンコ様なのだと。
理屈ではなく、ただ事実がそうなのだから、と勝手に頭が理解した。
依子とサンコ様はこの先ずっと一緒になるんだな、とぼんやりと思い、涙が零れるのと同時に何故か嬉しくなった。
サンコ様にはお世話になったから恩返しができて良かった。
そうとしか思えない僕も、既にこの空間に完全に侵されているのだろう。
誰かの足音が近づいてくる。
布の仮面で顔を隠した誰か。多分、神主なのだろう。
彼は鋭利な刃物を持っており、静かに僕の腹にそれを突き立てる。不思議と痛みは無かった。
魚でも捌くかのように僕の腹は開かれ、神主が厳かに僕の内臓を取り上げる。
真っ赤なそれは、サンコモツにそっくりだった。
大量の血が流れ落ちていくと共に、僕の意識も急速に流れ落ちていく。
最後に聞こえたのは、僕の中身を食べただろう依子が放った「おいしい~!」という声だった。
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