3日目

 と、思ったところで目が醒めた。

 はあはあと荒い息をつきながら飛び起きる。

 夢だった。体はちゃんと動くし、声も出る。

 依子は、と隣を見れば、無事どころかそれはそれは健やかで大胆な寝相で勢いよく布団からはみ出てぐーすかと眠っていた。

 男の影も形もない。

 はぁーっと安堵のため息が出る。

 力が抜けると全身にかいていた嫌な汗で寝巻が張り付き、なんだか気持ち悪くなってきた。

 元気のいい猫たちが喧嘩をする声が外から聞こえてくる。

 完全に目が醒めてしまったし、シャワーでも浴びるか、と立ち上がった。

 窓の外をちらりと見ると、空は白んでいて、あと少しで日の出のようだった。

 走り回る猫たちを眺め、その中にサンコ様が居ないことになんとなく安堵しながら風呂に向かう。

 途中、玄関の鍵を確認したけれど、しっかりと閉まっていた。


「なにそれ」

 僕から話を聞いた依子は開口一番にそう言った。

「お兄ちゃん、だからサンコ様の像にビビったんだ?」

「平たく言えばそう……ですね」

「なんで敬語? めっちゃウケる」

 ケラケラと笑う依子は、岩礁の上の――僕がビビったサンコ様の像へ軽快な足取りで近付いていく。

 後ろには今日もサンコ様がついている。

「サンコ様の像が動いたわけじゃないのに。ね、サンコ様」

と、楽しそうにサンコ様に話しかける。

 サンコ様はその通り、とでも言うように依子を見上げてみゃあと鳴いた。

「ってかお兄ちゃん、その歳でまだ怖がりなんだ」

「歳は関係ないだろ」

「そうかなぁ? だって今も全然海に入ろうとしないし」

 ぱしゃぱしゃと磯遊びに戻っていきながら依子がからかうような調子で言う。

 そのままこっちのことはもういいやとでもいうように、サンコ様見てー!と潮溜まりに居る生き物を指さしたり捕まえてみたりしている。

 あんまりはしゃぎすぎないように、と声をかけても生返事しか返ってこない。そっちこそまるで子供のようだ。

 僕はため息をつきながら少し離れたところに座って依子が怪我をしないか見守った。


 今来ているのは、船着き場とはほぼ反対にある磯辺だ。

 元々観光施設が無い島だけど、船着き場から離れるほど、より観光客向けではないものが増えていく。

 島の神社へ続くだろう参詣の道があったり、海に飛び込むのに良い感じの高さの崖や、ここのように島の子供たちが遊ぶ豊かな自然と、たくさんのサンコ様像が僕らを迎えてくれた。

 特にサンコ様の像は本当にどこにでもある。こんな小さな岩場にもあるのには驚いた。どうも、子供たちが安全に過ごせるように見守ってほしい、と、子供たちが行きそうな場所には建てるようにしているらしい。

 もっとも、島に居る子供に関しては島の人いわく「今は磯で遊ぶ年頃の子は居ないよ!」だそうだが。

 磯遊びに勤しむ依子と一緒に、サンコ様も潮だまりをばしゃばしゃと駆けていく。

 サンコ様はすっかり僕らと、というより依子と仲が良くなったように見えた。

 今日の祭でお役御免となることを理解しているのかいないのか、無邪気に水を覗き込み、時々獲物に向かって手を伸ばしては失敗したり、依子にじゃれついたりしている。

 船長さんの話では、サンコ様は祭で代替わりした後は普通の猫になるので、夜は基本的に家に仕舞われるらしい。

 もうこの子が夜訪ねてくることは無いだなぁと思うと、急に寂しくなってきた。

――一度くらい入れてあげても良かったかもな……

 ぼんやり考えていたら、膝の上にサンコ様がひらりとのぼり、何かを置いていった。

 冷たくて重く、湿ってぬとっとしたそれは

「ナマコ!?」

 驚いて思わず立ち上がると、依子がげらげらと笑った。

「良い反応するじゃん! やったねサンコ様!」

「依子、お前!」

「だってサンコ様が持って行くって言うからさぁ~ちなみにそれ、ナマコじゃなくてアメフラシね」

「ど、どうでもいい!」

「ええ? そういう違いを観察するの結構楽しいよ?」

 ほらおいでよ、と依子が僕の手を引く。

「明日には帰るんだからさ、いっぱい楽しもうよ。ね?」

 寂しさを覚えているところにそう言われると弱い。

 僕は手を引かれるまま磯へと突入し、サンコ様からたくさんのヤドカリなどを受け取る羽目になった。

 サンコ様に好かれている、というのは僕の勘違いなのかもしれない。


 日が暮れ始めたので磯から上がり、一旦宿へ戻る。

 道中、提灯などが見え、遠くの方で横笛のような音が聞こえるようになってきた。

 飾り付けられたサンコ様の像以外は、他のお祭りとあんまり変わらない。

「島独自のお祭りって言っても、そこまで本州と変わりないんだな」

「まぁ日本だしねぇ」

「そういうものか?」

「そういうものだよ~」

 何を根拠に、と思ったものの、実際、祭自体も参加してみれば奇抜な何かがあるわけでもなかった。

 時間になったら全員が神社の境内に集まり、神主が挨拶する。

 それから当代のサンコ様への感謝の祝詞を唱える。

「……の折、サンコ様の血肉賜り、島の者皆活気付く。大飢饉を逃れしはこれサンコ様のお陰也。島の者皆サンコ様に感謝し、サンコ様を奉り候。サンコ様が終世まで此の世を見守る為、我等サンコ様に尽くし、隠し事なく、またサンコ様のよりしろを献上し候。当代におかれては島に新たに生まれし命を全て見守り、見送り……」

 祝詞が唱えられている間、サンコ様はお立ち台のような玉座のような場所できっちりと座り、時々首を動かして周囲の様子を伺ったりなどしていた。

 誰かに抑えられたり、括りつけられたりしなくてもずっと同じ場所に居続けるのはすごいな、と感心しつつ、猫らしい仕草をするとほっこりする。

 厳かな雰囲気なのがおかしいくらい、ほのぼのとした光景だった。

 儀式も、榊を何度かサンコ様の上でバサバサと振り、礼をしたら終わりらしい。

「ではこれより代替わりの為、サンコ様が蔵に入られます。皆様におかれましては、サンコ様が戻られるまでの間、しばしお待ちいただけますよう、宜しくお願いします」

 と、神主はヒョイとサンコ様を抱えて、あっさりと奥へ引っ込んでしまった。

 途端に空気が緩み、和やかな雑談が辺りで始まる。

「まあ、こんなものだが、面白かったかい?」

 船長が僕らに飲み物を渡しながら話しかけてくる。飲み物は真っ赤で金気くさく、一目でサンコモツだとわかった。

「はあ、まあ……でもサンコ様が儀式の最中おとなしくしてたのにはびっくりしました。ああいう風に大人しく出来る猫ってなかなか居ないじゃないですか?」

 サンコモツジュースをやんわり遠ざけながら応じた。依子はといえば既に飲み終わっていて、興奮気味に話に混ざってくる。

「なんかこう、神聖さがありました! 来てよかったなぁって……サンコ様、代替わりするって話ですけど、具体的にどうやるんですか?」

「その辺は門外不出なんで詳しく説明できないけど、まあ、明日には新しいサンコ様がお出ましになるよ」

「新しいサンコ様……これまでのサンコ様は普通の猫になるって話でしたよね。もう気軽に会えなくなっちゃうとしたら寂しいなぁ…」

 島にいる間遊んでもらったから、と寂しそうにする依子に、船長は困ったように笑いながら慰めようとしてくれた。

「まあ、居なくなるわけではないからね。もしかしたら明日帰るときに見送りに来てくれるかもしれないし」

「そうですかね……」

「そうとも! サンコ様は君たちを随分と気に入っていたようだから」

 船長の気遣いに、少しずつ依子の顔が明るくなる。

「じゃあ、明日もしサンコ様が見送りに来てくれたら写真撮ってもいいですか?」

「いいよォ! サンコ様のお姿を持ってるとお守りになるからね! 1枚200円だけど!」

「お金取るんですか!?」

「んにゃ、冗談!」

「もう~」

 わはは、と笑いあう。

 こうしていると、短い期間だったけど島の人たちとはすっかり打ち解けたなぁと思う。なんだか明日帰るのが名残惜しくなってきた。

 涙ぐみそうになるのをごまかすように時計を見ると時刻は既に9時を回っていた。

 明日朝早いことを考えた僕は、そっと依子の手を引いた。

「すみません、明日も早いので僕らは宿に戻りますね」

「ああ、そうだねぇ。あとは島の連中が酒盛りするだけだから、外の人にとってはつまらんだろ。そのサンコモツを飲み終わったら戻りな」

 さらっと船長に指をさされ、僕は意を決してサンコモツジュースを飲みこむ。金気臭さが口いっぱいに広がり、少しだけ気持ち悪くなった。

 船長はそれ以上僕らを引き留めなかったし、他の島の人たちもみんな話に夢中で、僕らに構うことはなく、あっという間に宿に戻ってこれた。


 祭の会場に比べると、しんと静まり返った宿には一抹の寂しさを感じさせる。

 もっとも、依子はずっと上機嫌で「楽しかったねぇ」「また来たいねぇ」と、ずっと上機嫌だったが。

 お風呂に入った後もその調子だったので、酒を飲んだんじゃないかと確認する。

 一応飲んではいないらしく、ただ彼女は小学生のように興奮しているだけだった。

 このままではずっと起きていそうだ。

「ほら、明日は結構早いんだから、もう寝るぞ」

「はいはい。船長さん、この後お酒呑むみたいだったけど、明日の朝に運転できるのかなぁ」

「さぁ? そこはきっちりとわきまえるんじゃないかな、仕事だし」

「そっか」

 ふーん、と曖昧な返事をして依子は布団の中に潜り込む。

「じゃあ、おやすみ」

「おやすみ」

 先程までの興奮が嘘のように、依子はあっという間に寝付いた。

 思えば、今日も結構歩き回ったので、見た目以上に疲れていたんだろう。

 穏やかな寝顔を微笑ましく思いながら、僕は念のため玄関を確認した。

 サンコ様はもう引っ込んでしまったので、今夜来ることは無いだろうけど、祭に浮かれた人が入ってこないとも限らない。

 しっかり鍵がかかっていることを確かめると、僕も布団に潜り込む。

 途端に疲れがどっと来て、あっという間に眠りに落ちた。


 その少し後、僕はトントン、カリカリという音に起こされた。

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