衆合地獄その2
腰に回された細い腕、胸に埋めた顔からは体温が伝わってくる。髪から香るシャンプーの匂いが鼻孔をくすぐった。少女が抱きつく感触は、確かに本物だ。
「ああ、楓……どうしてこんなところに」
「えへへ、お兄ちゃんを探して天国から降りて来ちゃった。菩薩様が連れ戻してくれるから、一緒に行こ?」
楓は、共に天国へ行こうと雄峰を誘う。
「ああ、一緒に行こう……そうだ、楓に謝らなくちゃいけなかったんだ。この薬を手に入れるのが間に合わな……あれ? え?」
大切にしまっていたはずの薬が懐にない。珍しく取り乱し、焦った様子で自分の身体を探る雄峰。
「なんだ、妹の話は本当だったのかぁ。道理で大事そうにこの薬を持ってる訳だぁ」
声がした方に顔を向けると、いつの間にスリ盗ったのか雄峰の薬を手にした源三郎がニヤニヤしながら見ていた。
「……っ! 返せ!」
雄峰が源三郎に飛び掛かる。ただ薬だけを見て駆け寄り、薬に向かって手を伸ばした。
パッシィィィン!
大きな音が響く。雄峰は激しい衝撃と共に頬に痺れる様な痛みを感じた。平手で打たれたのだ。
「目を覚ませUFO、俺の目にはお前の妹なんか見えねぇぞ」
「何を言って……だって、こんなに温かくて……いつも使っていたシャンプーの匂いも」
「地獄で風呂に入るのかぁ?」
源三郎の言葉に ハッと気付いて振り返る雄峰。そこに懐かしい姿は無かった。
「……幻覚か。……アハハ、どんな責め苦よりも堪えるな。私は、本当にどうしようもない男だ」
「そうでもないさぁ。……ほら、妹さんに渡すんだろ?」
そう言って源三郎は薬を雄峰の手に持たせた。
「……ありがとう」
「絶対に天国に行かなきゃなぁ。まずは颯太を迎えにいこうぜぇ」
歩き出す源三郎の背中を見ながら、彼は幻覚を見なかったのだろうか、それとも打ち勝ったのだろうかと疑問を持つ雄峰だった。
◇◆◇
ええと、ここはどこだ?
夢中になって美女を追って来たわけだが、自分がどこにいるのかもよく分からなくなっている。分かるのは体中がズタズタに切り裂かれているということだ。イテェ。
「ほらほらどうしたの? 私はここよ~ん」
俺を誘う声が聞こえる。目を向けると、魅力的な美女が輝く茂みの向こうで手招きをしていた。
……輝く茂み? そうか、これが雄峰の言っていた剣の葉っぱだ!
「くっそ、これ以上誘惑に負けてたまるかよ!」
俺は気合を入れて誘惑に抗う……はずなのだが、足が勝手に進んでいく。おのれ、なんて正直なんだ俺の下半身!
ザク、ザク……
「ぐああああ! いてえええ!」
もう体中ボロボロなのに、剣に斬られる度に激痛が襲ってくる。それなのに女の子を追うことは止められない。俺ってここまで女の子に弱かったっけ? いくらなんでもちょっとこれはおかしいぞ!
「こら颯太! そんな子にデレデレしてるんじゃないの!」
突然、聞き覚えのある声が俺を叱った。
「ヨミちゃん!? ご、ごめんなさいっ」
昨日、別れ際に見た笑顔が脳裏に浮かぶ。声の主を探して辺りを見回したが、誰もいなかった。ついでに美女の姿も消えていた。
「今のは……?」
ヨミちゃんは叫喚地獄にいるはずだ。単なる空耳だろうけど、空耳が聞こえるほど心に残ってるのか。少しの間しか一緒にいなかったのに、俺マジで恋しちゃった? そりゃ別れの時にちょっと泣いちゃったけどまさかここまで心を奪われていたなんて!
ヤバい、意識したらどんどんヨミちゃんのことが気になってきた。もう会えないのに……会えない……くそっ。
「おーい、颯太ぁ!」
これまた聞き覚えのある、好ましくない方の声が聞こえてきた。
「源三郎ー! ここだー!」
手を振って応える。そういえばいつの間にか体中の傷が消えている。ここの責め苦は全部幻だったのか?
◇◆◇
「まったく、世話の焼ける子だねえ」
鬼女はその姿に似合わぬ優しい笑みを浮かべ、再び地獄の外部へと消えていくのだった。
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