黒縄地獄その1

 黒縄地獄。殺生に加え、盗みを繰り返した者が落とされる地獄である。


「つまり、人を見たら泥棒と思えってことだな」


 見た目に反して紳士的な牛頭鬼に、もうすっかり慣れてしまった俺は気安く話しかける。


「まあ、そういうことだな。ここの亡者はみな盗人だ、前のように殺されることより物を盗まれることに気をつけるんだな」


 そう言われても、持ち物なんて服と等活地獄で貰ったサバイバルナイフしかない……いや、そうだっけ? 地獄で持ち物を取られた覚えがないぞ。


 ふと思いついて懐を探ると、生前に持っていた財布と受験番号の通知が出てきた。あれだけ粉々にされたのにそのまま残ってるとは。とりあえず忌まわしい受験番号は捨てておこう。


「待て、地獄では思いがけない物が役に立つことがある。それを捨てるなんてとんでもない」


 さりげなくネタを混ぜてくる牛。結構お茶目な性格なのかもしれない。それにしてもこんな物が役に立つとは思えないんだけどなぁ。とりあえず忠告に従って受験番号を懐に入れる。


「ここが黒縄地獄だ。等活地獄が天国に思える責め苦を味わうことになるだろう」


 さらりと恐ろしいことを言いながら門を開ける。そこから目に飛び込んできた光景は、等活地獄とはまた違う恐ろしさだった。


 まず地面が鉄板で、そこに鬼の手で押し付けられた亡者からは焼ける音が聞こえる。更にその亡者をのこぎりでギコギコと切る鬼達。切られている所の肉も焼けているのが見える。地獄の左右には大きな鉄の山があり、その二つの山の頂きを繋ぐように縄が張られ、その縄の上を背中に鉄の塊を背負った亡者達が渡らされている。あっ、縄から落ちた亡者が粉々に砕けた。


「……帰っていい?」


「駄目」


 俺を突き飛ばして地獄に入れ、門を閉める牛頭鬼。くそぅ、仲良くなって便宜を図ってもらうのは無理か。


◇◆◇


 等活地獄にて、馬頭鬼が亡者達に呼びかけた。


「おうお前ら! 無謀にも脱走しようとした新入りは番人に捕まり黒縄地獄に連れて行かれたぞ。同じ目に遭いたくなけりゃ変な気を起こすなよ?」


「あはは、せっかく教えてやったのに馬鹿な奴だなあ」


 大山彰人が笑いながら颯太のことを馬鹿にする。他の亡者達も殺し合いながら笑っていた。


(……ここの懲役が五百年とは言ったが、一年が三百六十五日とは言ってないんだがな。馬鹿なのはどちらだろうな?)


 彰人達が颯太を嘲笑うのを見て、馬頭鬼は内心亡者達を馬鹿にしていた。


◇◆◇


「よう、新入り」


 急に馴れ馴れしく話しかけてくる亡者がいる。また俺を騙そうとする奴か。


「なんですか?」


 あからさまに胡散臭げな目線を向けて答える。もちろんわざとこっちが警戒していることを伝えているのだ。もう悪党なんかに騙されないぞ。


「おお、いいねぇ~その猜疑心たっぷりの目線。そうそう、簡単に他人を信じちゃいけないぜぇ」


 俺の目線にも気を悪くした様子もなく、むしろ嬉しそうにより馴れ馴れしくしてくる男。見た目も小柄で貧相、卑屈な顔をしていて完全にコソ泥のイメージを体現したようなオッサンだ。うぜえ。


「俺の名前は市山源三郎いちやまげんざぶろうさぁ。留守宅に忍び込んで金目の物を盗むぅ、大したことのないコソ泥だったがぁ、下手打って警察から逃げてる最中に屋根から落ちて死んだのさぁ。お前さんはぁ何を盗んでここに来たんだいぃ?」


 独特の喋り方で聞きたくもない自己紹介を聞かされて、うんざりしながら答える。


「俺は何も盗んでねーよ。等活地獄から逃げようとして捕まったんだ」


「地獄から逃げようとしたぁ!? 見かけによらず大胆な奴だなぁ、気に入ったぜぇ」


 するとオッサンは目を輝かせて食いついてきた。あーこれは失敗した、余計なことを言うんじゃなかった。


「実は俺もここの生活に飽き飽きでねぇ、誰かを生贄に……っとと、誰かと協力して抜け出そうかと思ってたんだぁ」


 おい待て、生贄とか言いかけたぞ!? やっぱり俺を騙す気だったなこのクズ野郎、こんな奴無視して……いや、ちょっと待てよ? 俺を生贄にしてここを抜け出そうとしてるってことは、つまりこいつはここを出る方法を知ってるってことじゃないか。俺を殺した彰人も結果的に出口を教えてくれたし、ここはこのクズを利用して情報を引き出した方がいいな。


「俺は早川颯太。よろしく」


 軽く自己紹介をすると、源三郎はニヤニヤ笑いながら握手を求めてきた。情報を得るまでの辛抱だ、嫌々応じる俺。脱出方法が分かったら置いていこう。


 こうして、お互いを利用する事しか考えていない二人のクズが出会ったのだった。まさかこの出会いがあんな未来をもたらすとは……なんちって。

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