第47幕 ゆびきりげんまん 4



次の日の朝。7時40分。

お父さんは早朝からの出漁のため仕事に行って、お母さんと2人だけの朝食も済ませ、白のフリルワンピースへの着替えを終え、お気に入りのショルダーバッグを肩に掛け、ジニーが迎えに来るのをリビングで待っている。

「アリシアにこれをあげるわ」

お母さんが階段を降りてきた。

「え?なになに?」

「ジニーとのお出かけに被って行ったらどうかと思ってね、こっちへ来て」

お母さんは私を玄関前の立ち鏡の前に手招きする。

鏡の前に立つとお母さんが私の頭に帽子を被せてくれた。

「うん、凄く似合ってる」

「わぁ~、かわいい帽子~」

アリシアは鏡の前でくるっと回り、自分の姿を確認する。

赤いバラのコサージュと紅色のリボンのついた純白の麦わら帽子。

「この帽子はね、私がお父さんと初めてデートした時に被っていた帽子なの。お母さんのお下がりだけど、とっても可愛いわ、アリシア」

「うん!ありがとうお母さん」


―コンコン、と玄関のドアをノックする音。


アリシアはドアを開けた。

「おはよう、アリシア」

「おはようジニー」

そこにはグレーのパーカーに白のニット帽を被ったジニーの姿があった。

にこっと笑って出迎えてくれた純白姿の幼なじみに、どきっとして息を飲んだ。

「……」

「ジニー、今日はアリシアを宜しくね」

お母さんが腰を屈めてジニーに目線を合わせる。

「…うん」

ジニーが無言でアリシアに手を差し出す。

「いってきます!お母さん」

アリシアはジニーの手を取り、シエスタの方を振り返る。

「いってらっしゃい」

シエスタは手を繋いで歩いて行く2人の背中が見えなくなるまで、静かに見守っていた。


―それから数分後。

ジニーの家の玄関をノックする1人の少女。

「あら、アニスちゃんおはよう」

「おはようございますおばさま」

「ジニーならさっき学校行ってくるって言って出て行ったわよ?」

「え?1人で行ったんですか?」

「えぇ、ついさっきね。会わなかったの?」


______________


役場前のバス停までやって来たアリシアとジニー。

「どこにお出かけするの?バスに乗るの?」

バス停のベンチに座るアリシアが、時刻表を見ているジニーに聞く。

「水族館…行こう、シンクローズまで」

「水族館!行ってみたい!」

目をキラキラさせて胸を躍らせるアリシアの姿が可愛いくて、ずっと見ていたいと思ってしまう。幼なじみとしても…、男としても、嬉しい気持ちになる。

「8時14分かぁ、もう少しでシンクローズに行くバスが来るから、待ってようぜ」

「うん」

ジニーもアリシアの隣に座る。

「アニスちゃんにお出かけすること話したの?」

「話してないよ」

「良いの?学校にもアニスちゃんにも黙って出かけて…」

「いいだろ別に。っていうか、今日はアニスの話しないから、アリシアも"ウィル"の話しないでよ。…アリシアと水族館楽しみたいから!」

「…うん。わかったよ」

照れ隠しに水族館のパンフレットを渡した。

「去年オープンしたんだ。イシュメルからだとバスで2時間半で行けるよ」

イルカやラッコの写真の載った表紙のパンフレット。

「そうなんだ、楽しみだね!」

「…うん」

バス停にはバスの到着を待つ人が少しずつ増えてきている。


しばらくするとバス停に深緑色バスが入って来る。

シンクローズ行き直通のバスだ。

運転席の見知った顔にジニーはすぐ気付くことが出来た。

「あ、にぃちゃんだ!」

「え!ほんとだ!マイクおにいちゃ~ん」

ジニーとアリシアは手を振る。

バスを運転していたのはジニーの兄のマイク。

マイクもバス停のベンチで待っている2人の姿を見て、小さく敬礼する。

バスは停り、車体の前方と中央のドアが同時に開く。

前方から乗客が降りてくる。

乗客全員が降りたことを確認し、ジニーとアリシアは中央のドアからバスに乗り込む。

ジニーとアリシアは運転席に向かう。

「おつかれにぃちゃん」

「シンクローズまでお願いしま~す!」

「おぅ、わかったわかった。他のお客様も居るからあんまりはしゃぐなよ」

((…はーぃ))

ジニーとアリシアが小声で返事をする。

券売機から乗車券を2枚取り、一番前の席に座る。

料金は"1人1260G"とある。

高速道路を利用して、2時間半でシンクローズまで行けることを考えれば安いと思う。


ファーン!というクラクションを鳴らしバスは出発する。


学校をズル休みして、アニスにも黙ってバスに乗っちゃったけど。次、いつ会えるか分からないアリシアと思い出作りをするのは、今しか出来ないから。

隣に座るアリシアに目をやると、

アリシアは右手薬指のリングをじーっと眺めている。

「どうかした?」

「え!あ…、あの、今日1日は…、外した方が…良いんでしょうか?」

「まぁ…外してくれるなら」

アリシアはリボンを右手の人差し指と親指で摘まんで少しねじる。

「…はぁ……」

ため息をつくアリシア。

リングが第2関節を突破、第1関節に差し掛かる。

「ぁ……ぁぅ…」

今にも泣き出しそうなうるうるした瞳…。

「わかったよ!付けてて良いよ!」

「わーい」

アリシアの顔はにはぁと元通り。

すっ…と薬指の付け根までリングを戻す。

「……」

くそ…不覚にも可愛いと思ってしまったぞ…。


アリシアは特殊スキル:ジニーを弄ぶ

を会得した。


バスはイシュメルの街を出て一般道路から高速道路へのJCTに入る。


「ねぇ、ジニー」

「なぁに?」

「学校って…楽しい?」

少し寂しそうな表情で俺の方を見て聞いてくる。

「俺は楽しいよ。勉強だけじゃなくて、サッカーやバスケも出来るし、友達もできるからね」

「そうなんだ。私も…楽しく学校行けるかな…」

「え?アリシアも学校行くことにしたの?」

「うん、まだ決定じゃないけど…」

アリシアは俯いたままもじもじしている。

「イシュメルに戻ってくるってこと?」

「それは、お父さんとお母さんにも話してからだと思う…、お屋敷のお仕事もあるから…」

「そっか…」

俺が"イシュメルに戻ってこい"って言ったら、アリシアは戻って来てくれるのかな…。


バスはトンネルに入り、車内が薄暗くなる。

ジニーは隣に座るアリシアの右手を左手で包むように握る。

「……」

「…ジニー?」

ジニーの方を見たけど、ジニーは顔を背けていて表情が分からなかった。


「俺は…アリシアと…学校行きたい、前みたいに、ずっと一緒が良いんだ…」

歯切れは悪かったかも知れないけど、今、伝えられる精一杯の言葉。

「…私もね…ジニーと一緒に学校に通ったら、毎日楽しいかもって思っているの…」


ジニーも…私と同じ気持ち…だったのかな…。


同じ気持ちであることが嬉しかった。

手の甲に重ねられたジニーの左手を、私は気持ちを確かめるように、握り返した。

バスがトンネルを抜け、車内が明るくなる。

トンネルを抜けると、一面が波のようにそよぐネモフィラの花畑が広がっていた。

外の景色に目を奪われる。

「ふわ~綺麗…、今日はいっぱい楽しもうね!」

にぱぁっと明るいアリシアの笑顔に、心のモヤモヤが晴れていくみたいだった。

アリシアの握り返してくれた手を、俺はぎゅっと握り締めた。

「うん!」


____________


アリシアとジニーを乗せたバスはシンクローズのバスターミナルに到着した。

「ありがとうにぃちゃん!」

「お仕事頑張ってね!」

「おう、サンキューな」

ちょっとした会話をしてバスを降りて料金所でお金を払う。

「バスの料金はアリシアの分も俺が払うから、アリシアはあとでね」

「ぇ…うん、ありがとう」

ショルダーバッグから財布を取り出そうとしたアリシアが手を止めお礼を言った。


バスターミナルからでもはっきり見えた。

三日月型の真新しい建物。

「あれが水族館だね」

ジニーが水族館の方を指差す。

「行ってみよう!」

ワクワクを隠し切れないアリシアがジニーに手を差し出す。

ジニーとアリシアは手を繋ぎ、丘の上の水族館を目指す。

"シンクアクアリウム"と書かれた看板から建物のある坂道まで行列ができ賑わいを見せている。

昨年オープンしたばかりなのだから仕方がない。

「イルカさん見れるかなぁ」

「イルカショーやってるみたいだね。俺はジンベイザメが見たい!ちょーデカイんだって!」

2人でパンフレットを眺めながら、行列に並び徐々に足を進めて行き、水族館入りまでたどり着いた。


入り口を入ると全面180度の巨大な水槽の中で熱帯魚や回遊魚がキラキラと泳ぎまわる。

床にはプロジェクションマッピングが投影され、水族館に足を踏み入れた途端、ガラス細工の中に居るような、別世界に来たような感覚になった。

「すごい…きれい…」

初めてみる神秘的な光景に思わず声がもれるアリシア。

嬉しいそうなアリシアの横顔。

ずっとこの笑顔を、見ていられたら良いのに…。

「イルカ…観に行こうか」

「うん!」

順路を示す矢印に従って、深海魚やペンギンのブースを眺めながら通路を歩く。

「ペンギンさん可愛いね!」

「そうだね」

人工的に作られた岩場をペンギンの群れがぺちぺちと足音を立て近寄ってくる。

人気のブースと言うこともあり、人が多い。

はぐれてしまわないように俺はしっかりアリシアの手を握る。

少し手が汗ばんできたけど、離さないように。


屋内プールとショーステージのドルフィナリウムのブースにやって来た。

「12時からショー始まるみたいだね」

時計の時刻を見ると11時42分になるところだった。イルカショーの開演まではまだ時間がある。

階段状の観客席スペースの一角に、お土産屋と軽食屋が一体になった出店があった。

出店ではポップコーンがポンポンと弾け、作っている最中のようだった。

「キャラメルポップコーン半分こしよ~ジニー」

「うん、いいよ」

アリシアはショルダーバッグから財布を取り出し、出店前のお客さんの列の後ろに並ぶ。

アリシアが注文する番が来て。

「キャラメルポップコーンください」

「ありがとうございます。480Gになります」

アリシアは料金を支払い、出来立てのポップコーンを受け取った。

「ありがとうございます!」


"イルカショー開始10分前となりました―"

と場内アナウンスが流れる。

観客席にお客さんが押し寄せて来る。

「座ろうアリシア」

「うん」

観客席の前3列はもう既にお客さんで埋まっていたので、俺とアリシアは4列目のベンチに座る。

扇状の観客席は10列全ての席が埋まって来て。

ショーの開始のアナウンスが流れる。

「はい、ジニーもポップコーンどうぞ」

ポップコーンの入ったバケツのような容器を差し出される。

「うん、ありが―」

「あ、待って」

とポップコーンを摘まむ指を止められ、アリシアはポップコーンを1粒取る。

「はいジニー、あーん」

「えぇ…、…マジ?」

急な恋人のような対応に思わず顔が引きつった。

「…だめ?」

「……ぃや…、あむっ」

思い切ってポップコーンをパクっと咥える。

…そのちょっとしゅんとした小悪魔みたいな態度やめてくんない?……可愛いんだけどさ……。

「ふふっ、美味しいね」

「…うん」

ピエロさんいつもこんなアリシアと一緒に暮らしているのか?……やっぱムカつくぞ…。


観客席の前3列に透明の防水シートが配られている。イルカのパフォーマンスによる水しぶきでびしょ濡れになるのを防ぐためだそうだ。


イルカショーのステージにインストラクターの女性が立ち、マイクを使い客席に向かい、ショーに参加するイルカの紹介が行われている。

"バンドウイルカのジェシカちゃんとアリエルちゃんです!"

笛による合図のあと、2匹のイルカは水面から大きくジャンプ、名前を呼ばれるとくるっと身体をひねり自己紹介をする。

着水と同時に巻き上がる水しぶきがキラキラと輝き観客席から拍手と歓声が上がる。

最初はイルカが目当てでイルカショーを観るつもりだったアリシアだが、イルカよりイルカに連れ添って華麗に泳ぐインストラクターの女性に魅了されていた。

「すごい…綺麗…」

お客様に喜んでもらうため、楽しんでもらうための振る舞いは、お屋敷での接客と同じ気持ちであることの再確認になった。

サーカス団のパフォーマンスに実際参加したことはないが、これから庭園で客寄せもしてみたいという意欲が湧いた。

「ありがとうジニー、水族館連れて来てくれて。今、とっても幸せな気分だよ」

「そっか…、良かった」

2人で観たこの景色も、ポップコーンの味も、

一生忘れることのない思い出になった。



30分間のイルカショーも終わり、折り返しの順路に沿って館内を巡る。

色を変えながらライトに照らされ、ふわふわ泳ぐクラゲの巨大水槽、深海魚ブースの薄暗い通路を渡り、出口にたどり着く。

「楽しかったねジニー」

「うん、来れて良かったね」

バスターミナルまでの坂道を手を繋ぎ歩く。


時刻は14時20分。

イシュメル行きのバスがバス停に到着して、2人はバスに乗り込む。

するとバスターミナルに1台の車が入って来た。

その車は見覚えのあるワンボックスカーで。

「あれ?キースさんの…車?」

運転席には確かにキースさんの姿があった。

後部座席のスライドドアが開いて降りてきたのはウィルソン1人だけ。

「え!…ウィル?なんでシンクローズに…」

バスのドアは閉まり、出発のクラクションが鳴る。

ウィルソンは慌てた様子で車から降り、市街地の方へ走って行く。

横断歩道を渡ろうとして車に轢かれそうになるウィルソン。

「危ない!」

思わずバスの中で叫んでしまった。

「どうかした?アリシア」

「えっと…」

"今日はアニスの話しないから、アリシアも"ウィル"の話しないで"

朝ジニーに言われた言葉が頭を過る。

「ううん…なんでもない…」

どうしたんだろうウィル…あんなに慌てて…。


不安を残したまま、アリシアとジニーの乗せたバスは、バスターミナルを出てイシュメルへと向かうのであった。
























































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