第42幕 出会いと縁~えにし~ 4


それからラミーが家に訪ねてくることはなかった。

だがラミーにこの家の場所を知られてしまった以上、これから何をされるか分かったものではない。

サンズさんにはあの男に用心するように話した。

子供たちを危険な目に遭わせるわけには行かないから…。

シエルは「お父さんとお母さんだけで旅行に行って来て」と遠慮しているが、今この家で留守番させる方が危険だから。



それから特に不穏な気配もなく、緊張が薄れてきた6月1日。

この日はシエルとマイルの生まれた日だ。

家族4人での旅行に出かけることになった。

ハンジア市国から少し離れた温泉地に1泊2日の小さな家族旅行だ。

ハンジア市街地からバスで2時間の温泉地。

「見て~シエル。山の上に灯台があるでしょ?」

「なぁに?どこ?」

キョロキョロ辺りを見渡すシエルにイザベラは山の上を指差して話す。

「あの灯台でお父さんがプロポーズしてくれたんだよ~」

「プロ…ポーズ?」

「"結婚してください"って言ってくれた所よ」

イザベラはシエルに耳打ちし小声で話す。

「素敵~!お父さんとお母さんの思い出の場所だね!」

シエルはぴょんぴょん跳ねて喜んでいる。

父親と母親の出会いについて興味を持ち始めたシエルにとって、この温泉地への旅行は何よりも幸せを感じることが出来ただろう。

「おれもあの灯台行ってみたい!」

マイルはサンズと手を繋いで歩いている。

「いいぞ。ホテルのチェックインを済ませたら4人で一緒に行こうな」

「「うん!」」

シエルとマイルの楽しんでいる顔を見て安心し

たイザベラとサンズは顔を見合わせ笑顔がこぼれる。

家族4人こうして旅行出来る日が来るなんて…。

"普通のお母さん"に"普通の家族"。

マイルは学校で陰口を言われてどれだけ辛い思いをしただろう…。

お父さんもお母さんもお前たち2人のことは大好きであることに変わりないんだよ。

これからは家族の時間を増やせるように頑張るから、いっぱい甘えていいんだよ。


夕方17時20分。

頂上の灯台を目指した山登りの後、ホテルに戻り温泉に入る。あまりの楽しさにはしゃぎ過ぎたシエルとマイルは宿泊する部屋に戻るや否やすぐ眠りについた。

サンズとイザベラはバスローブ姿で縁側の座椅子に座り、庭を眺めている。

「長い間…お疲れさまだったなイザベラ」

「サンズさんが…1人であの子たちの面倒をみてくたおかげですよ。私からも、お疲れさまでした」

お互い会話をする時間を取れないでいたにも関わらず、家事の分担や子供の躾のことなどの不満は一切なかった。

ストーカー被害には何度かあったが、異性と不倫に繋がるような関係を持つことは今までなかった。

2人の子供を育てるので必死だったから。


涼しい風が部屋の中に入り込む。

イザベラの艶やかな髪は風になびく。

サンズは思わず見とれてしまった…。

「…綺麗だ…イザベラ…」

「……サンズさんも…ずっと格好いいです…」

ふたりは見つめ合う、サンズはイザベラの身体を抱き寄せ、強く抱き締めた。

「愛しているよ…イザベラ…」

「私も…愛しています…サンズさん…」

サンズとイザベラは唇を重ね口づけを交わす。

今まで離れていた時間を取り戻すかのように、お互いを求め合う。

離したくちびるから糸がひく。

「…はぁ…ぁ……サンズさん…」

「……イザベラ……」

熱くなる身体…、からみ合う吐息…。

身体の力は抜けていき、イザベラはサンズの肩に身体を預ける。

胸元のはだけたバスローブに視線を下ろす。

サンズは汗ばむイザベラの褐色の肌とバスローブの間に左手を差し込む。

柔らかい胸の感触を確かめながら指で乳首を優しく摘まむ。

「…ぁ……」

ピクッと小さく身体を震わせたイザベラは上目遣いでサンズの顔を見る。

そのとろーんとした潤んだ瞳は受け入れている目だと確信したサンズはイザベラを床に押し倒す。

「…子供たち起きちゃうから…静かにね…」

「……イザベラ次第じゃないか?……」

イザベラはサンズの腰に回した両腕を太ももに沿わせ、ブリーフの中で硬く反り立っている肉棒を優しく両手で撫でる。

「……きて……サンズさん…」

きつく抱き締めた身体が、重なり合う身体の温もりが、愛し合うふたりの心を熱くする。

ふたりの気持ちは付き合った頃のまま、変わることのない愛情を確かめ合う。

時が経つのを忘れ、お互いの身体を求め合った。

注がれた愛情はまた新たな生命を育むことだろう。

まだ見ぬ未来に希望を託し、家族4人で楽しく過ごして行こうと誓った。


______________


あれからシエルとマイルが目を覚ますことはなかった。

そして次の日の朝。

ホテルのチェックアウトを済ませ、

帰りのバスがバス停に到着するまでの間、

ホテル1階のラウンジでショートケーキを4つ注文し、シエルとマイルの誕生日を祝った。

「7歳の誕生日おめでとう!シエル、マイル」

「おめでとう」

「「ありがとうお父さん!お母さん!」」

家族4人揃って誕生日を祝ったのも何年ぶりだろう。

子供2人のこんなに嬉しそうな笑顔が今までの日々を払拭してくれた気がして、このひとときが何よりも幸せに感じた。


9時48分。

バス停に到着したバスに乗り込み帰路に着く。

「楽しかったねお母さん!お父さん!」

帰りのバスでさえも、何もかもが嬉しくて興奮の冷めない様子のシエル。

「そうだね~、楽しかったねシエル~」

「今度はみんなでオーロラ見に行きたいなぁ」

「姉ちゃんまた言ってるょ…」

「オーロラかぁ…じゃぁ次の旅行は夏休みだな」

「ほんとにぃ!やったぁ!」

「マイルはどこに行きたいんだ?」

「おれはねぇ…、月に行きたい!アポロ!」

「す、凄い夢だな…」

「じゃぁマイルがもっと大人になったら、お父さんとお母さんとシエルをお月様に旅行に連れて行ってね」

「うん!おれ頑張るからね!」


11時20分。

4人の乗せたバスはハンジア市国に入り、2区1番地のバス停までたどり着いた。

イザベラはマイルを、サンズはシエルと手を繋ぎバスを降りた。

そこからは歩いて自宅に帰る。

2区3番地手前の橋に差し掛かった頃。

「お父さん…おしっこ行きたい…鍵貸して」

「ぁ…うん」

シエルがお股を手で押さえ、尿意を我慢する。

もう目の前には自宅が見えている。

サンズはジャケットの胸ポケットから玄関の鍵を取り出しシエルに鍵を渡す。

シエルは家の玄関まで走る。

「…ん?……ガソリンの匂い…」

サンズが異臭に気付いた。

シエルがドアノブに手を掛けると鍵を使わずにドアが開いた。

「あれぇ?…」

「!…まさか…さがれシエル!」

サンズが叫ぶ。

開いたドアの奥には人影が見えた。

全身に鳥肌が立つ。

「シエル逃げて!」

イザベラはシエルを呼ぶがシエルは玄関先に座り込む。

「おかえりぃ…遅かったねぇ」

ガソリン用の携行缶を持ったラミーがシエルに近づく。

「ぁ……ぁ…」

シエルはおしっこを我慢できずその場でもらしてしまった。

サンズがシエルを抱き寄せた。

「お前ふざけるな!警察呼ぶぞ!」

サンズがラミーを睨む。

「いいよ、別に呼んでも、俺もお前らも死ぬんだからな」

「お前…何を…」

持っていたジッポライターの火を着ける。


「シエル!こっちへ来て!」

母親に呼ばれシエルは走る。

「お願いマイル、よく聞いて、お姉ちゃんと一緒に逃げて!出来るだけ遠くに!」

イザベラはマイルの肩を掴み言い聞かせる。

「でも…お父さんとお母さんは…」

「私たちは大丈夫。後で迎えに行くから…、お姉ちゃんを…守ってあげて…」

「うん!行くよ姉ちゃん!」

「うん!」

シエルとマイルは手を繋ぎ先程歩いてきた道を引き返す。


ごめんシエル…ごめんマイル…ほんとにごめん…

また離しちゃう…。


サンズがラミーの腕を掴もうとするがもう遅かった。

廊下にばらまかれたガソリンにライターを投げ込まれ瞬く間に炎が燃え広がる。

「サンズさん!」

イザベラが玄関先まで来ていた。

「ほぉら、行かなくていいのか?サンズさぁん」

「イザベラ!逃げろ!お前だけでも…」

「そんな!ダメよ!あなたも一緒に…」

炎の勢いは増し天井にまで達し、黒い煙が部屋中に広がる。

「俺と一緒に死のうぜ?サンズさん」

ラミーはサンズの腕をぐいっと引き寄せた。

イザベラは煙を吸いその場にしゃがみ咳き込む。

「げほ…げほ……サンズ…さん…」

「イザベラ!っ!」

サンズはラミーの腕を振り払い蹴り飛ばした。

ラミーは燃え広がる廊下の床に倒れ込んだ。

「ぐふっ!…あ、あっつ!」

ラミーの服に炎が燃え移る。

サンズは手で口を覆い、玄関先でうずくまるイザベラに駆け寄る。

煙を吸って肺が焼けるように熱い…。頭痛がして目眩がする…。

少しでもイザベラを被害に遭わない安全な所へ

運ばな―。

「…ぐっ…」

サンズの背中に衝撃が走る。

「逃がさねぇよ」

服に炎が燃え移った状態のラミーがサンズの背中に果物ナイフを突き立てた。

残る力を振り絞り、サンズは背後に居るラミーに後ろ蹴りを食らわせる。

蹴り上げた足はラミーの太ももを直撃し、玄関に倒れ込み頭を打ちつけ意識を失った。


背中を刺され力が入らない…。

イザベラを抱き抱えて運ぶ体力は無い…。

薄れる意識…。

少しでも…イザベラを…遠くに…。

地面に這いつくばり、両腕でイザベラを押し出す。

少しでも……遠くに……。


この住宅は5棟の住宅が連なった長屋だ。

燃え上がった火の手は隣の家にも燃え移る。


イザベラを押し出す腕にも力が入らない…。

……少しでも…。


…サイレンの……音……あぁ……これで……助かる…。


その後、イザベラは救助され一命を取り留めた。

サンズは背中を刺され、失血により死亡が確認された。ラミーは全焼した焼け跡から焼死体として発見された。

近隣の住宅へは火は燃え広かったものの、消防の鎮火の末、負傷者は出なかった。



13時10分。

一方、必死で逃げてきて、どこまで来たのか分からなくなり、行く宛もなく彷徨うシエルとマイルは…。

おしっこを漏らしてしまった服のまま逃げてきたシエルは身体が冷え震えている。

「大丈夫?姉ちゃん…」

「ぅ…うん…」

マイルはシエルの肩を抱き寄せる。

「お父さんとお母さん…大丈夫かなぁ…」

家の中に居たおじさんは、お父さんとお母さんが危ないからって言っていた人だった。

「迎えにくるよぉ…大丈夫だよぉ……」

弱々しくもなんとか元気づけようと明るく振る舞うシエル。

河川敷の橋の下で息を潜めて父親と母親が迎えに来るのを待っていた。


河川敷の階段を1人の金髪の少年が降りてきた。

すると少年は川の水を手で掬い、勢い良く飲み干した。

「っぷはー。やっぱ綺麗な街だけあって川の水

もうめー!」

少年はすかさず川の水を掬い、顔を洗う。

「っはぁー……ぉ?」

少年は橋の下のシエルとマイルの存在に気付いた。

「どうしたの君たち…迷子?」

「お家…無くなっちゃったかも…」

マイルがぼそっと呟く。

「そうなんだぁ…俺の名前はキースだ。

 …ちょっと待っててね」

と言って少年は河川敷の階段を上がって行く。

「団長~、団長~!」

少し待っていると先程の少年と黒いマントを羽織った体格の良い男性が姿を現した。

「どうしたお前たち…迷子か?父ちゃんと母ちゃんは?」

「……わからない…」

シエルがマイルの肩にしがみつく。

「また…知らないおじさんだ…」

シエルは怯えた目をして震えている。

「俺たちと一緒に来るか?」

団長は手を伸ばす。

男性から届く低い声は、どこか同じような寂しさを感じさせる。

この人は…、きっと…。

マイルは再びシエルの肩を強く抱き寄せる。

「大丈夫だよ…姉ちゃん」

静かに囁く。

 

  …姉ちゃんはおれが守らないと…

  …生まれ変わっても一緒なんだ…

  …姉ちゃんと一緒なら何処へでも…


「…オーロラ…見に行きたい…」

マイルは団長の目を真っ直ぐ見て答えた。

「良し!俺がオーロラの見れる国まで連れて行ってやる。一緒に来い…」

マイルは団長の伸ばす手に小さな手を重ねた。


__________


  ……かぁさん…、

       …お母さ……

           お母さん!

「ぇ…」

「どうしたのお母さん。外ばっかり見てぇ、紅茶が冷めちゃうよ?」

テーブルには紅茶の注がれたティーカップが置いてあった。

「ちょっと考え事をしていたの…ごめんなさい」


「「ありがとうございましたぁ」」

庭席の3番、4番テーブルのお客様のお帰りを正門前で見送るシエルとマイル。

後ろを振り返り、屋敷に目を向ける。

リビングルームの窓際の席にいる母親とシエルが目が合った。

シエルは少しはにかんで、腰の辺りで母親に向かい小さく手を振る。

「……シエル…」

「ぇ…」

イザベラは椅子からすっと立ち上がり、リビングルームを出ていく。

「…お母さん…」

シエルも走り出す。

「マイルも行こう!」

「…ぁ……」

シエルが玄関のドアノブに手を掛ける。

ドアを開けると母親がこちらに向かい走ってくる。

「シエル…」

「お母さん!」

シエルとイザベラは抱き合い涙を流す。

「もう!どこ行ってたの!ずっと探してたんだからぁ!」

「ごめん…ごめんねシエル…」

良かった…やっとお母さんに…会えた…。

マイルは玄関扉の前で立ち尽くす。

つんつん、と腰を突つかれた。

「マイルお兄ちゃんは行かないの?お母さんなんでしょ?」

アリシアがマイルの顔を覗き込む。

「…俺は……」

「…おいで…マイル…」

イザベラが手を伸ばす。

…おいでなんて…、そんな優しい声で呼ばれたら……おれ……。

マイルはゆっくり歩いてイザベラの肩に顔を埋めた。

イザベラがマイルの頭をわしゃわしゃ撫でる。

「おっきくなったねぇ…2人とも…」

緊張の糸が切れたようにマイルも涙を流す。

「心配…してたんだぞ……ずっと…」

「うん…うん、…ありがとう…マイル」

「お母さん……会えて……良かったぁ…」


3人は肩を抱き合い、

十数年ぶりの再会を喜び合った。
























































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