第41幕 出会いと縁~えにし~ 3
―数日前の朝のこと。
朝の日差しがバスルームに差し込む。
母は娘の頭を洗う。
「ねぇお母さん」
「んー?なぁにシエル」
「もし私が死んだら…お母さんはどうする?」
「ん~…もう一回、産んであげるわよ……
マイルが一人ぼっちになっちゃうからね」
「うん!私もお母さん大好きだから、
何回でもお母さんの子供になるよ!」
「…そっかぁ……ありがとシエル……」 ―
父サンズはシエルとマイルに母イザベラとの出会いについて話していた。
「お父さんは今でもお母さんのこと好き?」
「そりゃあ、もちろん…。今でもイザベラの事は好きだし、昔と変わらず綺麗だ…。だがここ数年まともに会話をしていない……イザベラは私をどう思っているのか……」
「お母さんとおデートしたくないの?」
「デートかぁ……そうだなぁ…」
18時20分。
その頃、イザベラが仕事をするストリップバー
"バーバチカ"では…。
「今日でローズちゃんとお仕事するの最後かぁ、寂しくなるわね~」
「ローズさん居なくなったら、私続けて行ける自信なくなりますよ…」
「ありがとうママ、リリーちゃん…」
ママは私が入社した時にNo,1の座に居た女性だ。
私がNo,3に昇格したタイミングで現役を降板し、経営側に就いた。
リリーはこのお店のNo,3で、綺麗というより可愛い顔立ちをしている。
小動物のように雰囲気を和ませる姿はお客さんからの人気も高い。
「ローズが抜けたら次は私がNo,1だよね~?
ママ~」
現在No,2のジャスミンはサバサバツンデレ系の
1年後輩のライバル的存在だ。
「大丈夫だよ。リリーちゃんならNo,1になれる
わよ」
「私リリーには負けないからね」
今ではお互い認め合い良い関係を築けている。
「いや~?それ決めるのお客さんだしなぁ」
「私だって負けませんよジャスミンさん!」
17歳の頃からこのお店で働くようになって11年目を迎えたイザベラは、今夜の営業を最後に退職
することを決意した。
最初は雑用の仕事から始まった。
今ではこのお店のNo,1の座まで登り詰め、
"歓楽街の赤い蝶"とメディアに取り上げ
られる程の人気を誇るようになっていた。
このお店で夫であるサンズと出会い、2人の子供
にも恵まれた。
出産後に仕事に復帰しても尚、その人気は衰えることは無く、それどころか応援の声も増えるようになっていた。
その一方で最愛の娘と息子、そして夫との家族の時間が作れなくなっていた。
娘にも息子にも夫にも、寂しい思いをさせてしまっているのは分かっていながらも、お店で私の出番を待ってくれているお客さんへの期待に応えるなくてはならない。
私の"ローズ"と"母親"の立場を切り離すことが出来ないでいた。
「私が死んだらどうする?」なんてそんな事をシエルの口から言わせてしまうほど、家族をないがしろにしてしまっていたことを後悔した…。
―「ごめんママ…、娘が寂しがってるの…、
私…家族も大切だから…今週末で退職
するわ…」
「そんな!…ローズさん…」
「…わかったわ……これからは家族のために
頑張りなさい」 ―
お店の前にはローズの最後の勇姿を焼き付けようと多くのファンが花束を持って駆け付けてくれている。
このお店での10年間は本当に素敵な日々だった。
感謝の気持ちを込めて、思いっきり楽しもう。
涙は見せないで笑ってお別れしよう。
______________
20時50分。
子供部屋の二段ベッドの上段に、シエルとマイルは仲良く寝そべり旅行雑誌を読んでいる。
「私はマイルのお姉ちゃんだから、何回生まれ変わってもマイルのお姉ちゃんになるからね!」
「なにそれ?どしたの急に…」
「お母さんと約束したの。私は何回生まれ変わってもお母さんの子供になってあげるって」
「え~姉ちゃんばっかりずるい…」
パタン、と読んでいた雑誌を閉じる。
「お父さんのお部屋行こうマイル」
「え?…ぁ、うん…」
2人はベッドを降り子供部屋を出る。
コンコン…と寝室のドアをノックする音。
「はい」
サンズはノックの音に応え返事をする。
ドアを半分だけ開けてシエルが顔を出す。
「お父さん…一緒に寝よう…」
「どうした…珍しいなシエル」
「おれも一緒で良い?」
シエルの後に続いてマイルも寝室に入ってきた。
「マイルもか…、よし!おいで、3人で一緒に
寝よう!」
サンズは書斎机の灯りを消しベッドに腰掛ける。
「「うん!」」
2人はにこにこ笑顔でベッドに飛び込む。
「お父さん明日の仕事お休み出来るから、お母さんも一緒に4人でお出かけしようか」
夕食後、サンズは会社の上司に連絡をし、休みを取れないか相談していた。
「ほんとに!?お出かけしたい!」
マイルが体を弾ませ喜んでいる。
「ううん…、お父さんはお母さんと2人でお出かけしてきてよ」
「それじゃお前たちをお家に置いていくことになるぞ?」
「大丈夫だよ、私もマイルもお留守番は得意
だから。お土産楽しみにしてるね!」
「……そうか……、ありがとうシエル…
お土産いっぱい買ってくるからな」
「うん!おやすみお父さん」
「おやすみ~」
「おやすみシエル、マイル」
21時40分。
シエルとマイルは父親のベッドで向かい合わせになり、すやすや寝息を立て眠っている。
サンズはシエルの頭を静かに撫でる。
…ごめんなシエル…、お父さんとお母さんの会話する姿…しばらく見せてなかったもんな……家の中を暗い雰囲気にしていたのは…私のせいだ…。
深夜1時30分。
ローズとしての最後の営業が終了し、ロッカールームの片付けをしている。
「はい。これは私からの気持ち」
ママから白い封筒が渡された。
「ママ…これは…」
「今までありがとうね。
これで家族旅行でも行ってきな」
「ぁ…、こちらこそ!…ありがとうママ…」
「今度は母親として子供たちを笑顔にしてあげるんだぞ」
ママは優しく抱きしめてくれた。
「イザベラ……元気でね…」
笑顔でお別れするって決めたのに…、
泣かないでよママ…。
「………はぃ…」
4階建て商業ビルの2階にあるストリップバー"バーバチカ"。
従業員専用の勝手口から出て螺旋階段で地上に降りる。
街灯もない裏路地を渡り歓楽街の表通りに出る。
6年前までお店の向かいには小さな公園があった。
仕事が終わった後サンズさんがジャングルジム
の上で待っていてくれて、一緒に帰った思い出の
公園。
今はもう公園は無くなり、アダルトグッズを売る
2階建てのショップなっている。
年月が経って街並みも変わっていくが、
思い起こせば数え切れないほどの思い出がたくさん詰まった歓楽街に背を向けて。
これからは家族のために頑張るんだと気持ちを切り替え、イザベラは1人、家族の待つ家路を
とぼとぼ歩く。
深夜3時近くにもなると街灯の灯りだけでは心細い。
夕方出勤する時はハンジアの中心街までバスが運行しているが、深夜のこの時間にバスは運行していない。
タクシーは片道3000Gもかかるので、出費を抑えるためイザベラはいつも徒歩で家路につく。
2区の2番地から家族と住む3番地の境界には川が流れている。m字型に施工されたレンガ造りの橋を渡り3番地に入る。
「おかえりぃローズちゃ~ん」
「ぅ!? …その声…」
街灯もない暗闇から声がする…。
黒い影がこちらに近付いてきた。
「あんた……どうしてここに…」
「どうしてって…ローズちゃんの帰りを待っていたんじゃないかぁ」
酒を飲み酔いも冷めないふらふらな足取りで近付いてきた男。
「だってあんた22時過ぎに帰ったじゃん!」
私がNo,2に昇格した時から私に惚れ込んでいる
"ラミー"という男だ。
営業トークを本気で捉えて、ストーカー癖もあるため従業員の間では要注意人物と確定されている。
「ローズちゃんがお店を辞めちゃうと俺寂しくなるからさぁ、お家だけでも知っておきたくってさぁ」
「あんた…何言ってんのよ…頭おかしいわよ!」
「今日の昼間、ローズちゃんそっくりの赤い髪の男の子が出てくれたからぁ、やっとローズちゃんのお家がわかったよぉ」
まさか!…マイルに…会ったの!?
「ふざけないでよ!私だけならまだしも、家族にまで迷惑掛けないでよ!」
「お~怖い怖い。怒った顔も素敵だよ」
「うるさい!私の邪魔しないでよ!お店はもう辞めたんだから、あんたとも終わりだっつうの!」
「ん……ぉかあさん…?」
外からお母さんの声が聞こえシエルが目を覚ます。
マイルもお父さんも起きる様子はない。
眠たい目をこすりながらベッドから降り部屋を出ていく。
仕事上はお客様である以上、笑顔を振り撒かなくてはならないが、正直この男の声から容姿から生理的に受け付けないんだ。
「ずっとローズちゃんのことを見てきたんだからぁ、恋人みたいなもんだろ?俺たち」
「そんな訳ないでしょ!いい加減にしてよ!あんたの顔なんか見たくないわよ!帰れ!」
イザベラはラミーの股関めがけ爪先を振り上げる。
「ぶっ!…ぅ…」
ラミーは顔を歪めて地面に膝をついた。
「ひ…ひでぇなローズちゃん…」
「帰って!二度と顔見せるな!」
イザベラは走ってその場を立ち去る。
ラミーは痛みに堪えるのに必死で追いかけて来れない。
自宅の玄関にたどり着いたイザベラはドアを開け家の中に入る。
「ぁ…おかぁさん…おかえりなさぁい」
靴を履こうとしていたシエルが母親の姿を見て
にっこり微笑んだ。
「シエル…」
「おかあさんと…旅行いきたいなぁ」
イザベラはシエルを強く抱き締めた。
最愛の娘の姿を見て、ストーカー男に待ち伏せされた恐怖から解放されたイザベラはぼろぼろ涙を流す。
「うん!うん!みんなで行こうね…。今までごめんね…」
今まで寂しい思いをさせてしまってごめんね…。
シエルは小さな手で母親の肩を優しく撫でた。
「おかえり、おかあさぁん」
「ただいま…シエル…」
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