MATSURI

 結論から言うと、俺は祭りの誘いを断るなんてことはなかった。それどころか大歓迎だった。祭りがあると聞いてとても楽しみにすらした。


 なぜか。それを説明するには多少時間をさかのぼる必要がある。


「この島での祭りの誘いを、断ったら絶対だめだよ」

「え、それは……」

 物凄く真剣な飯名さんの顔を、ミカエルさんが笑い飛ばす。

「イイナさん! そんな顔をしなくても、お祭りには絶対来たくなりますよ! 飯名さんだって結局、毎年出たじゃないですか!」

 

 はたして実際行きたくなった。


「ああ、そうか、そうだったね。それなら問題ないか」

「え、ええ、気になりますよ。教えてくださいよ」

「いやあ、お祭りの季節……これから二カ月と少しですか、そうなればすぐわかりますよ!」

 気になる、がここで延々と問い詰めても教えてくれなさそうだ。ここは一旦話題を逸らしたほうがいいだろうと俺の乏しい営業スキルが言っている。

 その後はぐるりと島を一周した。島民たちの村、唯一の港、唯一の小学校、唯一の給油所、さっき通り過ぎた唯一のスーパー。そして営業所に戻ってきたころにはアガサさんとマリッサさんも戻ってきていて、自己紹介を済ませた。俺と飯名さんは乏しい引継ぎ事項について話し、そして飯名さんはその日のうちに飛行場から帰ってしまった。たぶん一日でも早く日本に戻りたかったんだと思う。そりゃそうだろ。

 その日、異国の地で布団に入った俺の頭の中には飯名さんとミカエルさんの言葉がずっとグルングルンしていた。


『この島での祭りの誘いを、断ったら絶対だめだよ』

『そんな顔をしなくても、お祭りには絶対来たくなりますよ!』

「……なんでだろうなあ……」

 その日は眠れなかった。


 理由はすぐにわかった。


 朝起きる。アメリカ製の雑な味のシリアルを牛乳で流し込む。営業所の自分のイスにつく。


 やることがない。

 そもそもが、南国の島でほっといても育つ果物を出荷するだけである。ビニールハウスの温度管理が要るわけでもない。毎日水をまき、たまに肥料をまく。それだけである。それで憎たらしいあいつはスクスク育つ。収穫期は数を数えたり、ハリケーンが来たら覆いをかぶせてやったりするぐらいのことはあるらしいが、それも時期が限られている。そうでない時期は、本当にやることがない。というか、そもそもそれらですら俺の担当ではない。ミカエルが指揮して終わらせてしまうという。もう、びっくりするぐらいやることがない。俺はトラブル発生時に働くはずなのだが、そんな大きなトラブルは飯名さんがいる間に一度しか起こっていないのだという。

 座っているだけで給料がもらえるなんて羨ましい、という人もいるかもしれない。そういう人は有休をとって8時間ずっと座っていて欲しい。きっと認識が変わると思う。ミカエルやアガサやマリッサと喋ればいいと思うかもしれないが、彼らは彼らで仕事があって外にいたり、書類を整理していたり、単に外でサボっていたりする。こんなに暇なのにサボりを咎めるのも変な話だし、つたない英語で会話がずっと続くわけでもない。自分も外でサボればいいと思うかもしれないが、外にも何にもない。娯楽が一切ない。あるのは前述した白いスーパーが一つっきり。基本的にアメリカナイズな巨大・雑味・食材と、古い英語の雑誌ぐらいしかない。勤務時間が終わっても、何も変わらない。日本から小説を大量にインストールしたタブレットでも持ってくればよかったと後悔したが時すでに遅し。そもそもコンセントの規格が違うので充電できないが。まだ俺が常夏の海に興奮できるスイマーであれば話は違っただろうが、仮にそうであったとしてもとっくの昔に飽きているだろう。


 ようはもうとにかく暇すぎるのである。そりゃ祭りをやりたくもなる。出たくもなる。もし誘われなかったとしたら、頼むから出させてくれと懇願しただろう。そりゃ断っちゃダメだろう……こんな島でお祭りに出たくない、ほっといてくれと言うような人物はとんでもなく異常者だ。そりゃ除け者にもされるだろ!

 もちろんこの島の陽気な島民たちは俺も祭りに誘ってくれた。これで一安心ってわけだ。


 それは夕暮れに始まった。初めての祭りだから、ということでミカエルさんが俺に付き添ってくれた。焚火を焚いて、みんなで現地語の歌を歌う。そこに乾電池で動くラジカセを持ってきてゴリゴリに音割れロックを流す。いやなんでロック?

「もともとはもっと厳かな儀式だったらしいですが、白人が音楽を持ち込んだ時に彼らの感性に一番フィットしたのがロックだったみたいです」

「なるほど~」

 祭りだというのに、誰も酒を飲まない。隣の人に例の果物を手渡された。一回り小さい。

「説明した通り、これをたくさん食べるんです」

 憎いあいつに復讐の意を込めてかぶりつく。苦みと甘みが同時に口に広がる。

「これは……奥が苦くて外が甘いわけですね」

「そう、奥が実になる部分で、外が実が育つための栄養と水分デス」

「でも、これはだからと言って外だけ食べればいいだけじゃなくて、苦みと甘みが両方大事なんですね」

「オー、鴨井さん、なかなかグルメで分かってるね」

 そんな会話をしているうちに、ロックがだんだん早いテンポになっていく。果物を二つ、三つ、四つと食べていく。意識がだんだんとフラフラしてくる。祭りなのに誰も肉や酒を飲まないな……ソリャソウダ……だってそんなの胃に入れたら、果物が入らなくなっちゃうモンナ……


 ああ……ナンダ……だってアヘンだって痛み止めと幻覚どっちもあるもんな……

 ボンヤリとした意識の中でふとそう"理解した"。普段から会社で慣れ親しんだ果物は、品種改良済のものだ。だから、原種は二つや三つでグルングルンしたところで何ら不思議はない。

 恐怖感はない。むしろ焚火の暖かさと果物の幻覚作用とで気持ちよく世界がグルングルン回っていた。なんだ……人間やめますか、クスリやめますかなんてウソッパチじゃあないか……こんなの酒とたいして変わらない……飯名さんだって中毒にならずに普通に帰りたがってたじゃないか……

 そんなふうにしてぼんやりと焚火を見ていると、何やら大声を出しているじいさんがいる。両手にはとても大きい果物を持っている。

「あれはなんですか?」

「あれは村の長です。持っているのは今年取れた中で一番大きな果物で、あれをバレーボールのようにトスして遊びます」

「へえ、弾力があるんですね」

「大きく育てば育つほど弾力があり、縁起が良いとされています」

 俺もミカエルさんも意識がグッドトリップに入っており、まるで英語の教科書のような会話を行っている。

 お、俺のところに大きな果物が飛んできた。それ、俺もトスしてやろう。


 パアン!


 何が起きたか理解できなかった。俺がトスしようとした果物は、パアンとはじけて中の水分を俺にしこたま浴びせた。力が強すぎたのかもしれないし、多くの人にトスされて脆くなっていたのかもしれない。


 周りの人たちが一斉に俺を見た。

 ミカエルも、俺を見た。

 誰も喋らない。故郷の夏の夜から、セミの声を引き算したかのような静寂が辺りを包む。

 一瞬で酔いが覚めた。説明される前から、とんでもないことになったのがわかった。


「カモイさん、アナタ選ばれました」

「選ばれたらどうなるんですか」

「水の神様の生贄になります」

「は?」

「とても名誉なことです」

「いや、そもそも、なんで水の神に人間を捧げるんだ?」


 ハ~、やれやれ、これだからロクに勉強もしてない日本人は、と言わんばかりの顔でミカエルは言った。

「人間の七割は水ですよ」


 それを聞いた俺の中で、何かがプツン、と切れた音がした。

 ふざけんなよこの野郎。どいつもこいつもファ〇ク野郎がよ。

 俺をこんなクソ孤島に送った部長もそう、心配して引き止めねえ親も友人もそう、飯名だって教えてくれれば参加してねえわ祭りなんか、っていうか飯名は初めて生贄を見てから4回も祭りに参加してるのかよ、人の命を何だと思ってんだ、それでミカエルもそんな当たり前のように科学知識で正当化してるんじゃねえよ、絶対そんな知識とは関係なくやってんだろこれ。

 でも俺が一番腹立つのは俺自身だ。いつも流されてばかり、断れない、下調べもしない、それでいつも不幸になって、誰かに助けて欲しいとばかり思っている。流されて、流されて、流されて、今こんな日本から遠く離れたところで死にそうになっている。もううんざりなんだよ!

 俺の中で獰猛な性がフツフツと煮えたぎってきた。

「オアアアアア! 本当のロックを見せてやるこのファ〇ク野郎!」

 日本語で叫ぶ! 知らない言語で急に叫びだした俺に周りが驚いている間に、焚火に向かってダッシュする。先っぽだけ燃えている薪を拾って振り回す!

「何がロックだイディオッツ! 本当のロックは因習をファ〇クするんだよ!」

 燃える薪を振り回しながら、村人の囲みを突破する。


 人間には二つの種類がある。心の底から100%怒りに任せて行動できる人間と、どれだけ怒っていても心の片隅に冷静な理性が残っている人間だ。俺は後者で、そのせいでいつも喧嘩に負けてスクールカーストは低かった。けれども今はそれが役に立った。理性が俺にがなる。

「いいか、ここはハワイから飛行機で一時間だ。船で何時間かはわからんが、たどり着けん距離じゃないだろ。港に走って船を奪え」

 もう一人の理性がもっとでかい声で俺にがなる。

「なあ、こんな暗い中でどっちがハワイかもわからんのに、素人がハワイにたどり着けるとでも思ってるのか。苦しんで餓死するのがオチだ」

 最初の理性が二人目の理性をぶん殴る。たぶんこれバッドトリップだと思う。

「うるせえ! 黙って死ぬよりマシだろうが!」

 うん、俺もそう思う。二対一なので、そういうことになった。

 鍵については、不思議と心配がなかった。なぜなら、実家のド田舎では……

「あった!」

 そう、鍵が刺さったままのエンジン。ド田舎では鍵をかけることは「隣人を信用していないこと」を意味し、とても評判が悪い。だからこの島でも誰かは鍵をかけっぱなしだろうという謎の確信があった。

 鍵を回す。エンジンがかかる。真っ直ぐ船が進みだす。後ろからトリップした村人集団が追いかけてくる。さらにその後ろから火が追いかけてくる。火が追いかけてくる?

 目をこすったがこれは多分トリップじゃなくて現実だ。誰もが俺を追いかけてきたから、誰も火の番をしていなかったのだろう。それで失火したに違いない。哀れなことだ。たぶん、よそ者が儀式の生贄に選ばれて、逃げようとしたのは初めてだったんだろう。じゃあ、たぶんせいぜいが数百年の薄っぺらい因習だ。本当の因習は逃げようとされてあたふたしたり、しないもんな。本当の因習はさ、俺みたいな逃走者を想定して、うまく手足を伸ばしてて、そんでギリギリ逃げきれたって思った時に逃げ道をふさいでるぐらいの実力がないとさ、因習から逃げがいがないというものだ。俺は何を言ってるんだ? 俺はトリップの余韻が抜けつつある。あるといいな。もはや港は火の海地獄と化していた。俺を追いかけて来た集団の先頭にミカエルがいる。火を背にしているせいで、逆光でその表情はわからない。俺を怒っているのか、それとも笑っているのか。ミカエルが振り返る。ミカエルの背中まで火が迫っている。俺を乗せた船はまっすぐ進んでいる。


 彼らを決して祝福しない塩水の上を。

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