僕があなたに出会った日

海堂 岬

第一話

 そう遠くはない昔のお話、とある出版社の倉庫に一冊の本がおりました。本はとても楽しみにしていました。

「僕を手に取ってくれるのは、どんな人だろう」

仲間達は次々と、倉庫からどこかへ旅立っていきました。

「行ってらっしゃい」

「行ってきます」

「どうか気をつけて。水に濡れたりしませんように」

「ありがとう」

「素敵な人に巡り会えますように」

「あなたにも、素敵な出会いがありますように」

別れの言葉と希望の言葉は、希望の光で輝いているようでした。


 一冊、一冊、また一冊。仲間達は旅立ち、一冊の本が残されました。

「僕の順番はいつだろう」

本は倉庫の片隅で、じっと順番を待っていました。新しい本がやってきて、また旅立っていきました。長い長い時が経ち、本は自分がいつからここにいるのかも、わからなくなってしまいました。順番を待つ気持ちも、小さくしぼんでしまいました。


 本は、倉庫の中で長く待ちすぎたのです。人間たちは、丁寧に本を扱ってくれますが、それでもどうしても、年月の変化は避けられません。本はもう、新品のときの輝きはありません。

「僕の順番は」

本は、それ以上は言葉にできませんでした。だんだんと、心のなかで、順番が来ないのかもしれないという、恐ろしい気持ちが育っていたからです。古くなった本など、誰も欲しくないのかもと悲しんでおりました。


 ある日のことです。人間たちが倉庫にやってきて、片隅にあった本を手に取りました。本はとても驚きました。

「僕の順番?」

本の言葉に人間は応えてくれません。だって、本の言葉は人間には聞こえませんもの。

「行ってらっしゃい」

「素敵な人に巡り会えますように」

仲間たちの言葉が、本を追いかけてきます。

「ありがとう。行ってきます」

倉庫の扉が締まる直前に、本はようやく仲間たちにお礼を言うことが出来ました。


 本は、小さな箱の中で、胸を高鳴らせていました。箱は揺れたり止まったり、どこへ向かっているのやら、本にはさっぱりわかりません。そのうちに、箱はどこかに置かれたようです。とても静かになりました。動くこともありません。

「ここはどこ」

本の声に、誰も応えてくれません。本はとても寂しくなりました。


「オアズカリシテイルニモツガアリマス」

へんてこな声に、本はとてもびっくりしました。何の声だろうと思うまもなく、また箱が揺れました。規則正しくゆらゆらと左右に揺れて、これは人間の運び方です。本を買ってくれた人間でしょうか。どんな人間が本を買ってくれたのでしょうか。本は箱が開くのを今か今かと待っていました。


 突然、揺れが止まりました。ガチャガチャという音がして、何かの扉がしまったようです。きっと建物の中です。人間のお部屋でしょうか。また倉庫だったらどうしようと、本は心配になりました。


 突然、箱が壊されました。ちょっと乱暴な壊され方に、本は身をすくめました。僕も壊されてしまったらどうしようと、怖くなったのです。


 本の心配を他所に、人間の手が優しく本を持ち上げてくれました。

「これ、前から読んでみたかったの。見つかってよかった」

人間の言葉に、本はとても嬉しくなりました。本に会いたいと思ってくれていた人がいたのです。


 人間の手が、そっと本の表紙に触れました。


 さぁ、物語の始まり始まり。

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僕があなたに出会った日 海堂 岬 @KaidoMisaki

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