第19話 4−3 アリスの嘘

 ガルーダは傷付いた身体で怒りを身に纏い突撃してくる。彼からすれば脅威となるのは後衛の魔法使い二人のみ。接近戦ではシャーロットとフィアの二人が自分の敵ではないと確信していた。


 人数比など気にならず、しかもその二人の武器では自分の皮膚を貫けないとさっきまでの攻防で察して魔法以外を気にせずに特攻する。


 そもそも空の支配者はガルーダだ。空から攻める彼にとって天使の魔法を借り受けているだけの人間に、普段は飛べやせず天使や己の猿真似をするしかない地を這う矮小な生き物に構っている余裕はなくなった。


 後ろの二人はガルーダとしても警戒しなければならない強者だ。ただの剣と槍では傷付かないがさっきの魔法はガルーダの身体とプライドを傷付けた。神に与えられ、魔王に増幅されたこの肉体を傷付ける者は絶対に許さないと脳が沸騰していく。


 上空から一気に後方へ急降下する。後衛を務める人間は基本的に接近戦が苦手だ。最低限の護衛術くらいはできるだろうが、前衛より動けないことが多い。そんな後衛にガルーダという魔物でも圧倒的な速力、膂力を持った最上位の怪物。


 そんなガルーダは前二人を無視して一番の規格外アリスへ突っ込む。いくら冒険者とはいえ、冒険者ではないがありえない魔法を使う聖職者とはいえ、後衛は後衛だ。身体能力はほとんどの場合一般人に毛が生えた程度。


 懐にさえ入り込んでしまえば確実に殺せる。殺すために右手を少しだけ引いて心臓を狙い撃つ。


 聖職者という存在にガルーダは思うところがある。本来聖職者はガルーダからすれば保護対象。彼らの祈りを受けて、彼らの清廉さを知った上で、そんな聖職者を殺したくないというのが神鳥ガルーダだった存在としての本音だ。


 だが、今の彼は魔王軍ガルーダだ。役職が違う。立場が違う。


 今はただの敵だ。心苦しいとは思うものの、殺すしかない。


 近付く。


 前衛二人を左腕一本で弾き飛ばす。その程度の妨害にしかならない雑魚は視野の外に放りだす。


 狙っていない方の後衛が魔法を使おうとしているが、詠唱をするよりもガルーダの速度の方が速い。どの魔法を使おうという思考よりも確実にガルーダの動きの方が速いので妨害にならない。


 しかも近い場所で魔法を使おうものならアリスにも当たる。だからジェシファーは魔法を使うことができなかった。


 必中の一撃。たとえ神の悪戯で蘇った存在だとしても人間である以上心臓を貫けば死ぬはず。そう思い風を纏った右手が差し迫る。


 そして確実に殺せる速度で、突き刺さる距離まで近付いたところで。


 無邪気に笑った聖職者は少しだけ身体を反らし、左手に魔力を籠めた少女は優しくガルーダの右手を掴んだ。


 接近戦ができるようにはまるで見えない女が、身動きも取れないような腕力でガルーダを拘束したことで神に連なる僕はその少女を凝視してしまった。


 完全に止まった敵へ、少女は祝詞を告げる。


「『あなたへ、痛みの天秤を傾けよう──ペイン・ヴァーゲ』」


『がああああああ⁉︎』


 ガルーダに与えられていた痛みが増幅される。


 反転回復魔法。Bランク魔法で、痛みを別の物に移したり増幅させたりする魔法だ。麻酔がわりに医療に用いたり、拷問に用いたりという様々な用途がある魔法でアリスは治療行為の一環として習得していた。


 それを今は戦闘に用いていた。


 相手に接触しないと使えない魔法なので戦闘に用いるなんて本来できない魔法だ。詠唱することと直接手で触れなければならないので回復もこなす武闘家、モンクくらいしか使わない魔法だが、そもそも回復魔法が使える人間が少ないのでモンクなんて希少職だ。


 だからこそ、多種多様な魔法を使えて接近戦もできるシャーロットは勇者として崇められるのだ。


 ガルーダは痛みに耐えてアリスの手を払う。そして一気に上昇して自分だけの特権である空に逃げる。逃げてすぐ、身体の内側から感じるズクズクとした痛みを堪えてアリスへ叫ぶ。


『その反応速度、人間じゃねえ⁉︎てめえなんなんだ⁉︎』


「ただ手を置いただけですよ。失礼な」


『あの速度に、ただの人間が反応できるわけ……!』


「頭上、注意ですよ?」


『っ⁉︎』


 ガルーダはアリスが指を向けた通り上を向くがそこには満天の星空だけ。魔力も何も感じなかった。


 そして直下から鋭利な氷塊が脇腹に刺さる。ジェシファーの発動したBランク魔法だ。SSランク魔法も使ったためにそれが譲渡された魔力の最後の一絞りだった。それは確実にガルーダを傷付け、不意の攻撃でその動きを硬直させた。


 上空であっても戦場で動きを止めるのは戦士として最もやってはいけない行為。


 なにせ空の覇者といえども、ここには空を飛べる者がいるのだから。


 ガルーダが強引に氷塊を砕いた目線の先。


 そこには投擲の構えをしたフィアが同じ高さにいた。


「オラァ!」


 フィアは武術の達人だ。接近戦はお手の物、武器は何でも扱え、拳でも並みの武闘家では相手にならない。懐に入ってしまえば敵なしだ。


 そんな彼女は離れた場所にいる相手にどう対処するのか。


 地上であれば脚力を活かして即座に近付く。どれだけ地形が悪かろうと、彼女の足は止まらず容易に懐へ飛び込める。


 では、脚力だけでは届かない場所にいる相手には。


 そもそも素手でも戦える彼女のことだ。


 それは武器がなくても・・・・・・・戦えるということ。


 つまりは、武器を投げてしまっても継戦能力は変わらないということ。


 地上で戦えない相手がいることも想定した彼女は、投擲技術ももちろん磨いていた。


 彼女が投げた槍は音速を超え、ガルーダの右肩に突き刺さる。


『クソがああああ!』


 避けられなかったことに叫び、騙されたことに憤り、反撃をしようと左腕を振るおうとする。


 魔王軍に身を落としても彼は神鳥だった。だからこそ聖職者であるアリアの言葉を信じてしまった。聖職者が戦いの場とはいえ嘘をつくとは思わなかったからだ。


 武器をなくした女を殺し、魔力のなくなった女を殺し、嘘をついた女を殺し。それで終わりだとガルーダは思った。


 全員確実に殺すために身体の内側から魔力ではなく神鳥にこそ許された神の力──神気しんきを練り上げて地形を変えてしまってでも全員を抹殺しようとした。


 ここまでコケにされたのは初めてだった。


 これほどまでに追い込まれたのは初めてだった。


 神鳥としても、魔王軍幹部としても。神気を使おうとするほどの相手はいなかった。


 だがここで逃しては自分の誇りを失うと周辺の街もダンジョンも山も巻き込むような暴風の塊を左腕に纏わせる。


 先程の人を一人確実に殺すためのものではない。大雑把に、そこにいる全員を巻き添えなんて気にせず破壊するために力を使う。


 逃げる手段は範囲外に転移で逃げることだけ。仲間意識のある人間が、離れた地点にいる人間を見捨てて逃げるはずがないと信用した結果の一撃を。


 放とうとした。


「言ったでしょう?頭上注意、と」


 振り被った左腕が、左翼と一緒に斬り飛ばされていた。それを成したのは遥か上空から急降下してきた人間の勇者、シャーロット。


 アリアにガルーダの探知外領域を教えてもらいそこまで急上昇。そして三人が出来る限りの誘導を行い正気を失わせたところで。


 トドメとなる一撃が繰り出された。


 致命傷だ。どちらも地上に落ちてくる。


 シャーロットは飛行魔法の効力を落下に全て注ぎ込んだので落ちる時の分は残しておかなかった。そこまで把握していたアリアが風の魔法でクッションを作って無事に地面に降ろす。


 一方ガルーダは片翼を失って制御ができなかったのか地面にクレーターを作りながら激突した。


 もう一人飛んでいたフィアも地上に降りる。呼び武器である短剣を取り出してもくもくと砂煙が出ている穴の中心を見ている。


「シャーロット。頭をカチ割れなかったのか?」


「ごめん。左腕の風の圧で若干剣筋が流された。一撃を入れることに集中しすぎて力が入りすぎたみたい」


「まあしゃあねえよ。さっきのあの風は今までの攻撃とも魔法とも何か違った。アレが放たれてたらどうなってたかわからない」


 シャーロットも立ち上がって構える。全員限界ギリギリだ。それでも倒せていないと脳が理解しているから誰も油断しない。


 アリアもさっきの一撃で決められなかったのは厳しいと感じていた。まともに戦えそうなのが自分とフィアしかいないからだ。


 ジェシファーは魔力切れ。シャーロットは『復讐者:十』のスキルのせいで体力的に限界。さっきの一撃が正真正銘最後の一撃だった。


 四人が警戒している中、煙から物体が上空へ飛び上がる。片翼を失ったはずのガルーダは魔法で浮かんでいるようだ。


「まだ飛べるのかよ……」


『貴様ら……。全員顔を覚えたぞ!我が名はフェニス!ガルーダであり魔王軍幹部のフェニスだ!次は貴様らの首を頂戴する!』


 そう言って遥か上空へ飛び去っていった。アリスの探知と眷属の目からしてもいなくなったのは確実だ。


 脅威が去ったことで前線で戦っていたシャーロットとフィアが腰を下ろす。体力もそうだが、古の吸血鬼から続く連戦で緊張の糸が切れてしまっていた。


 そこにアリスが体力回復魔法と疲労回復魔法を用いる。それくらいなら残る魔力でもできた。アリスが去るまでにできる最後のことだ。


「お疲れ様でした。できれば撃破したかったのですが、あれだけの強敵に生き残れたことは大金星でしょう」


「そうだよね、お姉様。……そうだよ、お姉様!何で生きてるの⁉︎さっきの光の柱は何⁉︎」


 アリスが声をかけたことでシャーロットがガバッと立ち上がり、アリスの手を取る。その手は暖かく、生きている人間と同じ熱だった。


 だがアリスは、妹に嘘を重ねる。


「ごめんなさい。私は生きているわけではありません。神様へワガママを言って今だけこうして地上にいるだけです」


「……どういうこと?」


「信心深い私の願いを叶えてくださったのです。私はグリモアを燃やしてしまったのですが……。十年に渡る祈りの対価として、シャーロットちゃんを助けることを赦されたのです。死者は、あるべき場所に戻らなければなりません」


 アリスはそう言ってシャーロットの手を離す。それと同時に、アリスの身体から黄金色の粒子が剥離するように漂い出し、彼女の肌が透け始めた。


 そんな怪現象は見たことがなく、三人ともギョッとする。


「時間みたいです。シャーロットちゃん、私は正直勇者とかどうでも良かったんですが……。今回のことでもっと大変になるかもしれません。だから、これだけ。長生きしてね。愛してるよ」


「お姉様……!」


 シャーロットはもう一度手を伸ばすが、その手は空を切る。粒子は天に昇っていき何もそこには残らなかった。


 一夜にも満たない奇跡。それが消えた瞬間だった。


 シャーロットは目を伏せる。さっきのアリスの姿を、表情を見ていたからだ。


 彼女は間違いなく本物だった。シャーロットが知るアリスそのものだった。


 嗚咽を隠さなかったシャーロットへ、フィアが声をかける。


「シャーロット……」


「……わたし、恵まれてるよね。本当なら、死んだお姉様に会えるはずがなかった。こんな戦場で、本当にわずかな時間だったけど……。今だけは、泣いていいかな……っ!」


 彼女がアリスの熱を逃がさないようにうずくまる中。


 巨大な光の柱を確認した冒険者ギルドから派遣された冒険者たちが複数現れて現場検証と『ケルベロス』の保護、そして物的証拠であるガルーダの翼と腕を持ち帰った。


 長い夜が終わり、世界は変わり始める。


 魔王軍の認知と、勇者の更なる栄光。


 人間界に激震が走るのは当然のことだった。

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