第5話 1ー3 鍛治師見習い→孤児→初恋の少年

「このクソガキが!テメエらを養う余裕なんてねえんだよ!」


 元帝国の首都に近かった商業都市ベンマルク。そこの街工房で働いていた俺は、突如解雇を言い渡されて路地へと放り出された。


 鍛治職人になるために五歳から工房で下積みを始めて。雑用をこなしながら目利きを鍛えて。職人の技術を目で盗み。寝る間も惜しんで鉱石の加工などをしていた。十二歳にでもなれば雑用じゃなくきちんと槌を持たせてくれるからと六年間頑張ったのに。


 あと一年というところで、工房に金がなくなった、注文が入らなくなったからと捨てられた。


 本来であればこんなことにならないように商業組合があって、相互扶助などをしてくれるのだがこの時帝国は混乱していた。首都が一体の吸血鬼に滅ぼされたからだ。


 それを事実だと認めない人が多かったが、実際商人が首都が滅んでいたことを確認。ウチの工房は首都の軍に武器や鎧を提供していたので、卸先がなくなって仕事も収入も激減。誰も帝国を立て直そうとしなかったために帝国中が混乱していた最中だった。


 そして、この工房の奴らは。


 自分たちの技術を帝国がなくなろうが継承するという職人の心を忘れ。


 ただ自分たちが食っていくためだけに、邪魔な鍛治見習いの俺たちを捨てた。


 少しでも食い扶持を減らすために。


 少しでも、楽をするために。


 お金を消費しないように。


 技術の継承先である俺たちを、捨てた。


 俺の後に続くように、この工房にいた子供は全員路地に投げ出されていた。総勢八人。鍛治職人になることを夢見て親元を離れて生きてきたのに、その夢は潰えた。


 この状況が珍しいわけじゃない。他のもっと貧しい工房ではもっと早く鍛治見習いや商人見習いは切って捨てられていたと話に聞いた。そんな話を買い物に行く中で何回か聞いていた。


 それほど帝国の情勢は悪かった。帝国という国が、なくなっていた。


「フレッド。どうすればいい……?僕たちは、どこに行けばいい?」


 俺が最年長だったために、意見を求められる。


 見習いと呼ばれる子供は、大抵親に捨てられたか、家から追放された人間だ。農家の三男で与える土地がないからと家を飛び出した者や、丁稚奉公に出されたか。


 そんな者ばかりなので、衣食住揃っていた工房を追い出されたというのはすぐさま死に直結する。衣食住と技術の提供という名目で働かせているので、彼らが持つお金というのはほぼないに等しい。


 そんな彼らが、どうするかという判断だ。


 スラムに身を落とすか、盗賊にでもなるか。それくらいしか選択肢がない。もしくは身を売ってバラバラになるか。こんな職人になる前の子供をどこの誰が買ってくれるのかわからないけど、それも考えなくちゃいけないぐらい切羽詰まっていた。


 下は六歳。同じような工房に行くのはおそらく不可能。別の職業の下っ端になれるかと言われたら帝国の状況から無理だと悟った。


 どうしようと、ない頭を働かせている時に、天啓のような声が、俺たちに降り注ぐ。


「そんなところでどうしたのかしら?何か悩み事でもあるなら、お姉さんに話してみない?」


 大通りからかけられた天使のような、優しい慈愛に満ちた声。


 その声は、日傘をさしてこちらを見つめる、俺たちの恩人からの救いの手だった。


 けれど、当時の俺はその人を信用できなかった。いきなり捨てられて、話しかけてきた謎の女性。俺と三つくらいしか変わらない美少女だったんだから。


 その可憐さに息を飲んだけど、もしかしたら顔中真っ赤だったかもしれないけど、最初は警戒していた。誰が信頼できるかわからない。みんなを守るのは俺だと気を張っていたがために。


「……見ず知らずの人には、関係ない」


「あら。これはごめんなさい。名乗ってないのは怪しいものね。アマリリス・クロードと申します。トットカルク商会という商会を経営しています。これでも会長なんですよ?」


 クスッと微笑む姿すら美しい。宗教画の女神様がそのまま現実に現れたような。


 そんな美の象徴のような、全てを慈しむような笑顔だった。


 二の句が継げないくらいに圧倒されてしまったけど、それでも会話を成立させたくて、必死に言葉を紡ぐ。


「……聞いたことない」


「マルートで開いたばかりですから。あなたたちは……名匠ファロボスの鍛治師見習い、といったところですか?」


 俺たちがいた場所と、今までいた建物を一瞥して的確に俺たちの身分を言い当てた。俺たちの格好からもそれを読み取ったんだろう。でも、一つだけ間違っている。


 この時の俺たちは、何も名乗れない立場だったんだから。


「見習い、だった。今はなんでもない」


「え?……ああ、元帝国の情勢ゆえに、ということですか。そうですよね……。王国に併合されるまでもう少し時間がかかるとクリスト様も仰ってましたし。この辺りの経済が崩壊しているのはわかっているつもりでしたが、名匠ファロボスでもですか……」


 銀髪の姫君は、当時の状況についてとても詳しかった。のちの元帝国領を管理するクリスト様と一緒に帝国を見て回っていたんだからそれも当然なんだけど。


 名匠ファロボスと言えば一級品の武器・防具を取り扱う帝国でも有数の鍛治工房だった。そんな場所だからこそ、帝国が崩壊しても潰れるなんて思いもしなかったらしい。


 実際この一年後、ファロボス工房は屋号を下ろすことになる。


「もしかして、行く宛がなくて困ってる?」


「だったら、なんだ」


「うーん。なら、ウチに来ますか?実は以前からベンマルクで職を失った子供をウチの商会で引き取ったり、マルートの孤児院へ斡旋していまして。行く宛がないのなら私と一緒に馬車でマルートに行きませんか?」


「……は?」


 その言葉に、捨てられた全員で目を合わせてしまった。


 聞いたことのない商会だったけど、マルートは巨大な港町だ。貿易も船を使っているために盛んで帝国でも栄えている町。


 しかも、以前から俺たちのような孤児みなしごを引き取っているという。そんな前例を聞いて、縋りたくなってしまった。


 美味しい話には裏があるなんて、商売に関わっている人間ならまず教わる。それは見習いだった俺たちも同じ。とても信じられなかったが、正直騙されてもいいと思ってしまった。


 だって、その人の言葉はとても真摯に聴こえたから。俺たちを助けようと真剣に考えてくれていたから。そんな態度を、言葉を。誰かにかけてもらえたのは初めてだったから。


 この美しい人なら酷いことはしないだろうと、無意識に、心から信じられた。


「……全員?」


「もちろんです。適性なども調べますけど、好きな仕事に就いてもらいます。まだ幼い子にはまず勉学を頑張ってもらいますけど」


「それって、鍛治師でも商人でも、なんでもってこと?」


「私が扱っている職なら何でも。料理人になっても、馬車の御者になっても構いませんよ。トットカルク商会は今色々と手を広げていますので、なりたい職業があればいいんですが。冒険者や騎士になりたければ推薦状も出しますけど、流石に皆さんはまだ幼いので許可できませんね。もう少し歳を重ねたら紹介状を書きましょう」


 騎士にまで伝手があることには驚いた。王国の騎士は貴族の子息か、推薦を受けた者しかなることができない。冒険者などになって功績をあげた者が王国からスカウトされることはあるが、そもそもの推薦に至ってはその人物が王国に認められていなければ不可能だ。


 この推薦はマルートを手早く復興させた功績から、その資格を得たのだとか。


「……なんで、見ず知らずの俺たちにそこまでしてくれる?」


「子供が困っていたら手助けするのが主義と言いますか。これでも私、修道女の心得がありまして。ここであなたたちを見捨てたら神様に天罰を受けてしまいます。それに、鍛治師見習いということは最低限の読み書きと目利きはできますよね?商人としての最低限を抑えてくれているので、商会の人員として申し分ないという打算もあるんですよ?」


 ちょっとお茶目に舌を出す彼女に、見惚れた。


 ここまで正直に答えてくれる彼女に裏がないと、確信できた。


 むしろ目の前の人を信じられなくて、誰なら信じられるのかと思うほど、彼女は善性の人間だった。


「今日あなた方に会えたのは神様の思し召しということでしょう。私は一人のシスターとして、あなた方へ手を差し伸べたい。この手を、取っていただけますか?」


 この世界に神がいるのなら、真剣に祈ろうと思った。彼女を産んでくれて、この世に遣わせてくださりありがとうと、感謝したかった。


 その天使のような白い手を、俺はすぐに取れなかった。俺の手は雑用や鍛治の真似事で汚かった。彼女の汚れのない手を取るには相応しくないと瞬時に察してしまった。だからズボンで手を拭こうと思ったが、そうする前に彼女に掴まれてしまった。


「ありのままのあなたの手を、取らせてください。汚いなんて思いませんよ。それはあなたが生きていくために培った努力の証でしょう?それを否定したくありません。ここにいる、ありのままのあなたと。私は手を取り合いたいのです」


 両手で掴まれた右手。槌を振るっていたから固くなった、マメなどで歪な手。


 それを何の気もなしに掴まれて。暖かな手の温もりを久しぶりに感じて。


 俺は周りのみんなのことも気にせず、涙を零していた。


「いつまでも路地にいたら寒いでしょう?マルートに帰るところでしたし、行きましょうか。名前は移動しながらゆっくり聞きましょう。──ほら、涙を拭いて。男の子なんだから頑張って」


 涙を拭うその姿も。語られる心地よい優しい声色も。言動の慈悲深さも。


 その全てに魅了された。この日、フレッド・ラウムは。


 アマリリス様に、実らない恋心を抱いた。

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