第三話 留守番とお買い物




 数週間かけて私の身体は少しずつ健康的になっていった。

 ご主人様は私に一度も夜伽を命じることなく、何もしていない私に毎日美味しい食べ物を与えてくれる。

 長年のダメージが祟っているのか沢山食べることは出来ないのが残念でならない。

 でも、最近はついにお皿半分ほどのスープが飲めるようになってきた。それ以上食べると苦しくて気持ち悪くなってしまうが、最初の日に比べれば大きな進歩だ。

 何せ、固形物を食べても倒れなくなったのだから。


 ご主人様は、鋭い目つきとぶっきらぼうな口調とは裏腹に私の面倒を甲斐甲斐しく見てくれる。

 まるで何か裏があるんじゃないかと思うくらいに優しい。一億ゴールドもかけて私を生かした理由も依然として謎のままだ。

 それにしても。

 ……あの牢屋生活の中ではこんな生活が出来るとは夢にも思いはしなかった。

 だが、私の胸中は複雑である。

 今の私は幸せだ。毎日ご飯が貰えて、ベッドを使わせてもらえて、ご主人様は私が間違えたとき怒ることはあっても手は上げてこない。こんなに幸せなことはあっていいのかと錯覚するくらい幸せである。

 けれど、なぜそうまでして大事にされるかの心当たりがまったくないのもまた事実であった。

 そして変化と言えばもう一つある。


「アリス、ちょっといいか」

「はい……ごしゅじん、さま」


 ーーーーアリス、これは私の名前である。

 私に名前が無いことを知ったご主人様が、名付けてくれたのだ。 

 名前とは、一般的に人の氏名。一つの個体をさす固有名詞である。

 そう、人の氏名であって、奴隷には付けないものだと思っていた。

 実際に前のご主人様は私を指して奴隷とか、愚図とか、無能とか呼んでいたし。

 それをご主人様に伝えると、ご主人様は溜息を吐いていた。

 それからはご主人様は私のことをアリスと呼んでくれる。

 まるで人間扱いされているみたいで、不思議な感覚だ。でも、ご主人様にアリスと呼ばれるのは嫌ではなかった。


「俺は仕事に行く、留守中は好きに過ごしていい。家を任せた」

「……はい、いってらっしゃいませ」


 さて、私は玄関で冒険者装備に身を包んだご主人様を見送る。

 私の看病のために、ご主人様は今までお仕事を休まれていたらしい。

 主人にお金を出させ、時間を奪う奴隷など最低であるーーーーそう私は思うのだが、ご主人様は私に対して、謝るなという言葉をよく使われる。

 なので私は申し訳なさを抱きつつ、それを口に出さずに送り出しにつとめる。

 それにしても大きく分厚い剣を軽々と装備するご主人様の姿からは力強さの塊だ。この世界に来る前の私はたぶん男だったので、その姿を羨ましく思う。

 回復傾向にあるとはいえ、依然として私の身体は鶏がらのようにガリガリで、ほっそりとしているのだ。

 激しい運動をすれば、倒れてしまうのは変わりない。

 ご主人様を見送った私は閉まった扉を見つめて、どうするかを考え始める。


「……なにを、しよう」


 ご主人様の奴隷になってから家に一人でいるのは初めてだった。

 好きに過ごしてはいいと言われているが、私にやることはない。

 なので、何をしようかと考える。


「なにか、できること……」


 色々とご主人様への疑問点はあるが、多大な恩があることは事実だ。

 安全な家に、上等すぎる部屋、食事や面倒まで見てくれるこの環境は、ずっとここに居たいと思わせるだけの魅力としては十二分に過ぎた。

 私の身体も動くようになったのだ。これほどの恩を受けて、返さないわけにもいかない。

 働かざる者食うべからず。何もしていない今、いつ追い出されても文句は言えない。

 ましてや私がここに来てからご主人さまは損害しか被っていないのだ。

 何かご主人様のために私が出来ることはないだろうか。

 そんなことを考えてふと思いつく。


「家事……やってみようかな」


 こっちの世界に来てからはもっぱら性奴隷としての扱いしか受けていなかったので、やり方は正直曖昧だが、前の世界ではそれなりに家事をやっていた記憶があった。

 私は考える。例えばご主人様が帰ってきたときに、部屋が綺麗になっていたら怒られるだろうか?

 でも、何もしなければ本当にごくつぶしだ。

 怒られるかもしれない、けど。この環境から捨てられたくない。

 留守中に好きに過ごしてもいいとの言葉は貰っているのだ。

 ちょっと悩んだが、やってみることを決意した。


「まずは……そうじ」


 そういうわけで動き出した。

 物置にある雑巾や箒やちりとりを出し、部屋を隅々まで綺麗にする。

 掃除の基本は高いところからやることだ。

 床を掃除した後に棚を掃除したりすると、高いところの汚れが落ちて再度掃除することになってしまう。

 まずは高いところから。それが終われば床を奥から手前に向かって掃除する。

 椅子を土台にして、綺麗な雑巾で高い棚やテーブルなどを精一杯手を伸ばして拭く。

 私の身体ではこういった作業は一苦労である。元よりちんまい身体なのだ。多分身長は百三十センチから、百三十五センチの間ほどしかない。

 それでもどうにか拭き終わると、次は箒を掃いていく。

 この世界には掃除機が無いので、とにかく丁寧に掃くことを心掛ける。

 長い監禁生活と、ベッドで寝てばかりだった私の身体は恐ろしく体力が落ち、かつ非力だ。

 ふぅ、ふぅと息切れしながら箒を動かす。休憩をはさみつつも、ちゃんと進める。

 そしてゴミをまとめた私は次にお風呂場、トイレと順に掃除をしていった。

 それらが片付いたあと、私はふと思いつく。


「おふとん、干そう」


 今日は快晴である。

 絶好の布団干し日和であり、洗濯日和であった。

 ひとまずは自分の部屋のものから干す。おふとんは大きいので、私が持っていくのは一苦労だ。

 どうにか抱えて、地面とかに擦らないように気を付けて運び、お布団とマットレスをそれぞれ二階のベランダに干す。

 パンパンと叩いてほこりを舞わせて、あとは一定時間干しておくだけだ。

 そこで私は止まった。


「ご主人様のベッド、どうしよう……」


 ご主人様の布団とマットレスも干したいが、干すにはご主人様の部屋に入る必要がある。

 好きにしていいと言われたが、勝手に入っても良いのだろうか。

 私室とはプライベートルームである。

 でも、奴隷である私のベッドだけ干してご主人様のベッドを干さないというのは道理に合わない。

 

「む、むむむ……」


 今ならご主人様はいない。

 仮に私が入っても分からないだろう。でも、もしバレたら。留守の間に調子にのった奴隷が私室に入りこんだなんて思われたら、捨てられるかも……。

 どうすればいいだろうか。

 うんと悩んだ私は考えて、決めた。


「ちょっとだけ、なら」


 ご主人様の部屋は私にとって完全なブラックボックスである。

 何があるか分からないが、少しだけ覗いてみることにした。

 覗いてみて、駄目そうであれば諦めるという、高度な柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応というやつである。

 そしてご主人様の部屋の扉を開く。


 ご主人様の部屋は物だらけだった。

 壁の棚にはところ狭しと本が並べられ、奥には机とベッドがある。

 机には羽ペンと、資料が並べられていて、何枚かの資料が散らばっていた。

 それらには触れないようにしつつ私は目的のおふとんを持ち上げる。


「……かえってくるまえに、取りこまないと」


 呟いて私はベランダにふとんとマットレスをそれぞれ干した。

 掃き掃除と合わせて、ちょっと腕がプルプルしてきたが、まだまだこれからである。

 一階に戻った私は、次に洗濯をすることにした。

 この世界には洗濯機などという便利なものはないので、大きなたらいに衣服を入れて石鹸で踏み洗いが一般的なようだ。

 だが、ご主人様の服を足蹴にするわけにもいかないので、手でもみ洗いをする。

 水の入った桶が重たいが、休み休みでどうにか家の外まで運んで、洗い始めた。

 二人分の衣服をまとめて洗おうとすると結構重い。とりあえず服を水につけておいて、石鹸で泡立たせながら、一着ずつ丁寧に洗っていく。

 さて、服を洗い終わった後に水を絞る必要があるのだが、私はここで壁にぶちあたった。

 理由は私が恐ろしく非力だからだ。頑張って絞るが、中々絞り切れない。仕方なく服の部位ごとに絞っていき、出来る限り水分を取ったものを木と木の間に結び付けられた紐に干していく。

 そして全てが干し終わるまで二時間ほどかけ、どうにか作業が完了した。

 

「お、……おわった」


 洗濯がこんなにも疲れるものだとは思っていなかった。

 終わった頃には私の疲労感もマックスである。ちょっと身体がふらふらしてきた。

 相変わらずの虚弱体質に悲しくなる。

 くらくらしつつも家の中に戻り、少し休憩を取ることにした。

 全身に疲労感を感じていた。椅子に座って、力を抜く。

 

「…………、」

 

 思考がまとまらない。

 少し休憩のつもりが、意識がぼーっとしてくる。

 やがて、私の意識はまどろみの中に落ちていった。







 

 次に目を覚ましたのは暗くなり始める夕方頃だった。

 ざあざあという雨の音で私は目を覚ました。

 そう、雨だ。一瞬で意識が覚醒する。 


 「ふ、ふとん!」


 慌てて窓の外を見ると、あんなにも晴れていた空はいつの間にやら灰色に染まっており、雨が吹き付けていた!

 これは大変だ! 私は顔面蒼白にしながら、二階に駆け上がるとベランダに干した布団を取り込みにかかる。

 案の定、布団は既に結構濡れてしまっていた。私は泣きたい気持ちになりながら、重たくなった布団を取り込み、ひとまず二階室内の手すりに干す。

 幸いであったのはポタポタと水が垂れるほどではなかったことだろう。

 だが、濡れ具合からして少なくとも今日の夜には使えないと私は分かる。


「……どうしよう」


 やってしまった。私はなんと無能なのだ。少し休憩のつもりだったのに、雨が降り出しても気づかないほど深く眠ってしまうなんて!

 そこで私はもう一つ気づいた。


「服も、干してたんだった!」


 洗いたての服を外に干していたのだ。

 慌てて私は外に飛び出した。雨はますます激しくなっていて、全身に冷たい水が降りかかるが気にしてはいられない。


「う、うぅぅぅ……」


 私は力が無いので、沢山の服を一気に運ぶことは難しい。ひとまず確実に持てる量を回収し、室内まで運んでは、再度回収に来ることを繰り返した。

 半泣きである。

 そして四往復ほどした頃、ようやく全ての服を回収することに成功する。

 室内を濡らさないように、玄関ですべての衣類を絞っていく。私の着ていたダボダボシャツも水がポタポタと垂れるほど、濡れていたので、それも絞る。

 正直、濡れた服を絞るのは限度があった。ましてや私は非力なのだ。それでも室内を濡らすわけにはいかないので、玄関で時間を掛けつつも部位ごとに絞る。

 三十分ほどかけて、どうにか絞り終えた私は籠に入れた服を室内に持っていき、室内干しした。

 全てが片付いた頃、私は床で体育座りして、どうしようかと考える。


「……ぁ、ああ……」


 どうしよう、どうしようどうしよう。

 布団は濡れて今晩は使えない。服はびちゃびちゃ。掃除した室内は、取り込んだ服から垂れた水でやや湿気が強い。

 やることなすこと全部上手くいっていない。

 これでは前のご主人様が言っていた通りではないか。

 私は愚図で、無能である。

 この惨状をご主人様に見られたらどうなるだろうか。高い金を払って治療薬を買い、甲斐甲斐しく世話を焼いた奴隷がこの惨状を作り出したと知れば、どう思うのだろう。

 きっと激怒するに違いない。恩を仇で返された、飼い犬に噛まれた、そんな気持ちを抱くはずだ。

 どう謝ればよいのか分からない。時が戻せればいいのに。

 くしゅんとクシャミをする。なんだか冷たい。全裸に濡れたシャツ一枚だからだろうか。

 やらかしてしまった私はカタカタと震える。体育座りのまま途方に暮れた。

 どうすればリカバリーできる? どうすればいい。捨てられたくない。だって、あんなに美味しい食べ物が貰えて、まるで人間みたいに扱ってもらえるのだ。

 考えるが、良い方法が浮かばない。

 そうこうしていると扉が開く。私が顔を上げると、予想通りの人物が立っていた。

 

「……ご、しゅじんさま」


 ご主人様がそこにいた。

 表情はいつもの仏頂面のまま、部屋の惨状を一目見て、僅かに目を見開いている。

 そこで私ははたと気が付いた。私は何をやっているのだ。お仕事から帰ってきたご主人様をお出迎えしなければ。

 私は立ち上がり、ふらふらとご主人様に近寄ると頭を下げる。


「おかえりなさいませ、ごしゅじんさま……」


 そのまま私は頭を下げ続けた。

 ご主人様は部屋を見て、僅かに目を見開かれていた。きっと私がこの惨状を作り出したことにすぐ気づいたのだろう。

 隠せるわけもない。恐怖で心臓がどくんどくんとしながら、私はただ頭を下げるしかできなかった。

 そうやって頭を下げ続けていると、ご主人様は一言尋ねてくる。


「これは、お前がやったのかーーーーアリス」

「は……い」


 深い後悔が全身を襲いくる。私は素直に頷いた。

 やっぱり、追い出されるのだろうか。それとも売られるのか。殺されるのか。

 分からないが、私にはどうすることも出来ない。せめて、謝罪しようと口を開く。


「もうしわけ……ございません」


 気分は判決を待つ被告人だ。

 与えられた沙汰に従うしか出来ない。

 微かに震えながら審判の時を待っていると、ご主人様は私の頭を撫でた。


「……そうか。随分濡れているぞ、風呂に入るといい」


 それだけだった。

 私は驚いて顔を上げる。なぜ私の事を叱らないのかが分からない。

 私は尋ねた。


「……おこらないの、ですか?」

「必要ないからだ。それよりも、風邪をひく前に湯を浴びろ」


 ご主人様に手でお風呂場を指さされた私は、その命令に従って風呂場に向かう。

 魔石の埋め込まれている風呂は蛇口をひねるだけですぐに湯が出てくるのだ。ご主人様より先にお風呂に入ること自体に抵抗はあるが、命令である以上逆らえない。

 身体を洗い、ちゃぷんと湯につかる。


「……あた、たかい」


 自分の身体は思っていた以上に冷えていたらしい。お湯は温かくてとても気持ちが良かった。

 ホカホカと温まった私が風呂場を出ると、新しいシャツが置かれていた。

 ご主人様が置いたようだ。身体を拭いた後、私はそれを着る。シャツは大きいので、私の身体ではぶかぶかだ。

 ひとまず命令を遂行した私はご主人様におずおずと報告しにいく。


「……ごしゅじんさま。おふろ、いただきました」

「あぁ、分かった」


 ご主人様は私が干した服や、布団に何やら手をかざしたまま私にそういった。

 何をやっているのか気になった私が近づいていくと、ご主人様は手からオレンジ色の炎のようなものを出していることが分かった。

 私は思わず固まる。


「えっ……?」


 燃やしているのか? そう思って驚いたのだが、そうではなかった。

 服を包んだ炎は数秒ほどで消えていったからだ。何だったのかと疑問に思って、燃えていた服をみて気づく。

 乾いているのだ。

 ーーーーこれは、まほう?

 その光景に私は釘付けになる。明らかな超常現象である。この世界に来てから、服従魔法以外に初めて見た。

 ご主人様は一通りの服や布団を乾かし終え、私のもとに近づいてくるとこう告げる。


「濡れたものは乾かしたから、室内に戻しておけ。俺は風呂に入る」

「は……はい!」


 そういってご主人様はお風呂場へと向かっていった。

 私の失態をご主人様が尻拭いしてくれた。

 それだけでなく、一度失敗した私に仕事を与えてくれた。

 信じられない思いを抱きつつ、私は返事をした。

 今度は絶対に失敗しない。そう心に決めて、私は乾いた布団をもとに戻し、服を丁寧に畳んで各部屋のタンスへと閉まっていく。

 初めてのお留守番はこうして終わりを迎えたのだった。








 翌日のことだった。

 朝ご飯を食べながらご主人様は急にこんなことを口にした。


「服を買いにいくぞ」


 ご主人様の服を買いにいくということだろうか、いったいなぜ?

 そう思い、首を傾げようとしてふと思い当たる。

 もしや、昨日の洗濯で服がダメになったのでは? 何せやり方が分からないままそれっぽくやっただけなのだ。可能性は大いにある。

 私の顔面は一瞬で青ざめた。恐る恐る問いかける。


「き、昨日の洗濯のせいで、ご主人様の服がダメになっていたのですか?」

「違う」


 多分そうだろうと思って尋ねたのだが、違ったらしい。

 ご主人様は即答で首を横に振ると、私を示した。


「買うのはアリス、お前の服だ」

「……えっ」


 私は固まった。

 私の服を買いに、いく? 何のために?

 あっけに取られた私がキョトンとしていると、ご主人様は私に外出用のコートを着せ、付いてくるように指示をする。

 ご主人様の目的は分からないが、ひとまず私は命令に従ってご主人様の後を追った。






 二回目となる街並み。

 前回訪れたのはご主人様の奴隷になった日の帰り道だった。

 だが、前回は夜だったのに対して今回は昼である。

 改めて眺めてみると人通りが多い街であった。道行く人々は冒険者然とした装いのものが目立つが、中には一般市民らしき人々や、買い物中らしきメイドなど、様々な人がいると分かる。

 大通りでは馬車が通るなど、賑わいがあった。巻き上がる砂ぼこりに、こほこほとむせる。

 そんな道をご主人様の後についていくと、目当てらしいお店に辿り着く。


「ここだ」

 

 着いたのは一般的な洋服屋さんだ。

 防具などの戦闘に使うものでは無く、普段使いする衣服などが中心に取り扱われている。

 ご主人様は女性店員を呼ぶと私を指さした。


「こいつの採寸をお願いしたい」

「はい、かしこまりました。ではこちらへどうぞ」


 女性店員に連れられて私は試着室に誘導される。

 そして採寸が始まった。女性店員は私の身体にメジャーを当てていく。

 自分で言うのもなんだが、私の身体は傷の痕が沢山残っており、見苦しいだろうに店員さんは顔色一つ変えずに採寸を終えた。

 そして何やらメモを記入するとご主人様に手渡す。ちらっと見えた感じでは私のサイズに関するメモのようだ。

 採寸を終えた店員さんはご主人様と私を連れて、奥にある棚のコーナーに案内する。

 

「ーーーーこちらの棚であればサイズは問題無さそうです」

「そうか、感謝する。後はこちらで選ぼう」

「分かりました。では何かあればお声がけくださいませ」


 そういって店員さんは頭を下げて去っていく。

 案内されたコーナーは子ども用の服が揃えられたコーナーだった。

 おおよそ九歳とか、十歳くらいのサイズだろうか。

 どれも、可愛らしい衣装が揃えられていた。

 ご主人様はその棚を眺め、私に告げる。


「三、四着ほど好きなものを選ぶといい」

「は、はい……」


 これはどういうことだろう。

 ご主人様の言葉を咀嚼しながら私は考える。

 好きなものを選べということは、ご主人様は私の感性が知りたいということだろう。

 だが、恐らく違う。

 カギとなるのは目の前の衣装棚だ。目の前の衣装棚をよく見てみると、町娘が着るような衣装もあれば、貴族が着用しそうな豪華なドレスまであることが分かる。

 つまり異なるグレードの服が混在しているのだ。

 すなわち、ご主人様は私の認識が見たいのだろう。実際、私はご主人様のもとに来てからずっと優しくされている。もはや奴隷の待遇ではない。

 そんな生活に慣れ、自分を人間だと勘違いしてしまえば、ここで迷わず自分の趣味だけで服を選んでしまうことだろう。正直ちょっと危なかった。

 だが、そこまで分かってしまえば、私が選ぶ服の基準は必然的に決まっていく。

 今回の場合は、その服を着たときに主従関係が分かることが重要だ。外から見られたときに奴隷と主人、最低でも主人と従僕といったように分かる服。

 

「…………、」


 棚全体を見て、絞り込みをかけていく。

 だが、案外難しい。どれもしっかりとしたおしゃれな人間の服なのだ。

 分かりやすく無地のワンピースでもあればそれを選ぶのだが、最低でもワンポイントはおしゃれになっていたりと、うかつに決めれないものが多い。

 その中から、私はどうにか二着の衣装にあたりをつけた。

 どちらも、リボン付きの白シャツに黒いロングスカートといった衣装で、遠目から見る分にはメイド服にも見えなくはない。

 また無駄にカラフルでないため、目立たないことも評価ポイントである。またどちらもふくらはぎくらいまではすっぽり隠れるサイズ感で、伸縮性があるので、私が成長してもしばらく使えそうな点も良かった。

 そして最後の一着だが、どうしようかと悩む。

 コーナー全体を見ても、奴隷が着ていて違和感のない服は現在の二着しかなかった。

 何か、何かないだろうかと周囲を見渡して気になる服を発見する。

 それはドレスコーナーの中に紛れていた。目星をつけて近づくと、それが白い無地のワンピースであることが分かる。

 そう、それは私があの牢屋で身にまとっていたワンピースにそっくりだった。


「こ、れは……」


 思わず手ざわりを確認する。記憶にあったそれと同じ感触がした。

 ずっと着てきたので分かる。間違いないと私は思った。

 嫌な思い出がこみ上げる。この新品の服を着たあと、私はいつも嬲られていたのだ。

 だが、同時にこれは実際に奴隷として前のご主人様のもとでは常に着ていた服である。これなら間違いなく主人と奴隷に見えるはずだ。

 私はぞわりとした感情を振り払い、三着目をそれに決めてご主人様に渡す。


「きめました……こちらの三着に、したいです」


 さて、どうだろうか。

 私の分析は果たして当たっているのか。どうなのか。

 ご主人様は私が渡した服を一着ずつ確認していく。まず最初に見繕った二着の服については問題無いようで、籠に入れた。

 そして最後の三着目。白いワンピースを見たご主人様は、表情を冷たくする。

 その表情は、明らかに不機嫌だった。

 ーーーーなにか、まちがえた?

 ぞわっと不安が全身を支配する。ご主人様は白いワンピースを突き返すとこう言った。


「これは駄目だ、戻してこいーーーー代わりに俺が一着選ぶ」


 私は頷くと白いワンピースを戻す。

 そしてご主人様は棚から一着のドレスを選んだ。

 それは色合いこそ私の選んだ白シャツに黒のスカートと変わらないが、その二着より確実にランクが上の衣装である。

 いわゆる良いところのお嬢さんが着そうな服装であった。少なくともメイドさんにも見えない。


「これがいい、着てみなさい」


 ご主人様の言われるとおりに私はその衣装を身にまとう。

 こんな衣装身の丈に合わないのでは、と思いつつも半信半疑で着用し、鏡を見る。

 金髪のストレートの長い髪に、僅かに光がともった翡翠色の目。顔に鞭の痕こそ残っているものの、それはよく似合っているように見えた。

 傷跡が醜いだけで、もともと顔は整っていたのだ。まるでどこかのご令嬢のように見える。

 鏡に映る私は息を呑んだような、驚いた表情を浮かべていた。

 が、どうにか表情を戻してカーテンを開き、ご主人様に見せる。


「ど、どうでしょうか……」


 ご主人様は頷いた。


「思った通りだ。それはそのまま着ていこう」


 そして私が選んだ二着や、ついでに私の下着なども買い込み、ご主人様は買い物カゴをもって会計を済ませる。

 商品を包んだ袋は私が受け取った。私の服だ。大事に大事に持つ。

 そして店を出たときに、私はご主人様に頭を下げた。


「ご主人さま……服をかってくださり、ありがとうございます」

「気にするな。これくらい当たり前だ」


 正直、なんで服を買ってくれたのか。その真意は私には分かっていない。

 ただ、当たり前とご主人様は言うけれど、私にはそうは思えなかった。

 この世界に疎い私だが、そもそも奴隷の治療費に一億ゴールド……家二軒は買えるお金をかける時点で当たり前ではないと思う。

 前のご主人様は少なくともこんなことを当たり前といってやってはくれなかった。

 ……気にするなと言われても気にするものである。

 せめて、自分に出来ることはないかと頭を回して、私は背筋を伸ばすようにした。

 綺麗な衣装を身にまとった私は、はたから見て奴隷以上の品位が求められる。だからこそしっかり背筋を伸ばして、一緒にいるご主人様の品位が下がらないようにしようと思ったのだ。


 その後、ご主人様と二人で外で食事を摂ったりしてから私たちは家へと帰っていく。

 この世界に来てから初めてのお買い物は、そうして終わった。

 







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る