第36話 お別れはいつだって

 王城で運命の選択から半年が過ぎようとしていた。私とドゥは馬車に乗り、街道を駆ける。


 アーサーから突きつけられた二つの選択肢。

 私は人として死ぬことを選んだ。


 私たちは白のローブを纏う。絹のような肌触りで汚れがつきにくく、それなりに気に入っている。

 となりに座るドゥは目隠しを巻き、ぽんやりと外の景色を眺めていた。


「君が王都を出てから腐れ祝福は伸長をやめた。私の仮説は正しかったよ。

 広がらないだけで空に残ってはいるけどね」


 アーサーの仮説「私が離れれば腐れ祝福(暗闇)は広がらない」が正しいか証明するため、私とドゥはアーサーの従僕と共に、半年の間王都を離れていた。


「残された腐れ祝福はどうなるだろうねぇ。しばらくはあのままだけどその先は……。私にも見えない」


 アーサーは単身王都に残留。腐れ祝福を観察し続けた。


「このまま王都に『退蔵』され続けるかもしれないし、溶け出して国を蝕む呪いとなるかもしれない。案外勝手に消滅するかもね!

 まっ、後生畏るべしとも言う。現状どうしようもないんだ。

 あとのことはこの国の子孫に任せよう」


 無責任な、と言いかけるが、そのような状況を作り出したのは他ならぬ私である。

 響くは蹄鉄の音。

 街道を抜け、枯れた木々の乱立する森の近くで馬車が止まる。


「見送りはここまでだ。降りなさい」


 顔覆いをつけた御者のひとりが戸を開ける。

 ドゥが先に降り、私もそれに続く。


 地に足をつけると若葉が芽生える。風は女神の祝福を運び枯れ木に青々とした枝葉をつけた。春の訪れを感じさせる景色にアーサーが口笛を吹いた。


「いつ見ても圧巻だね! 流石化け物! 殺したらどうなるもんか知れないや。化け物への対処は、隔離か追放のみ!

 ……さて、私は君に二つの選択肢を与えた。


 ひとつは王都に留まり続けること。


 腐れ祝福は伸長するとは言ってもその速度はとろい。国全土を覆うにしても五十年はかかる。我が国に腐れ祝福がかかるのは更にその先。そもそも国全土を覆うほど腐れ祝福が生まれ続けるか? という疑問もあるし。

 君は言葉で他者を殺害できる女神の耳目。生ける災厄だ。

 王都に居座られても困るけど、下手に外を歩き回られても厄介。いっそ王都に留まり続けてもらって、人でなしの半神かなんかになっててもらった方がマシ。

 こっちの方が私たちとしては管理しやすいし、君にも負担はない。

 君は愚かにも、困難である別な道を選んだ」


 私は目を閉じ、体を抜ける風を浴びる。王都では感じることのできない、生命のにおいをかぐ。


「女神が国に祝福を撒かないというのなら、代わりに祝福を一身に受けるものがそれを大地に撒けばいい。

 君は死の土地と化したこの国を遍歴し、女神の代わりに祝福を撒きなさい。ひとたび足を止めればそこに腐れ祝福が生まれる。

 歩き続けるんだ。死ぬまで歩き続けるんだ。死んでも歩みを止めてはならない」


 アーサーは淡々と言葉を続ける。


「敗走した勝利の女神の意志に反する行動を始めるんだ。女神は怒り、君に祝福を与えなくなるかもしれない。君を呪うかもしれない。

 全ては女神の胸三寸で決まる。


 たとえ祝福を与えられなくても歩き続けなさい。祝福の代わりに自分の命を散らし、他者を生かしなさい。

 たとえ呪われ非業の死を遂げたとて、誰かを憎んではいけないよ。君が選んだ道だからだ。


 人前に現れてはいけない。繰り返すが君は災厄だ。人を狂わせ惑わせ害をなす存在なんだ。

 誰に感謝されなくても世界のために歩き続けろ。人々から恨まれてもその人々のために歩け。忘れ去られても世界の辺境を歩み続けろ。


 それが君が選択した運命、人として死ぬ道だ。


 どう? 怖くなった? 王都戻って糞引きこもり生活する? まだ間に合うよ?」


 私は振り返り、アーサーを見やる。眼帯で覆われたその顔の真意は読めない。

 言葉に力が宿らないように注意しながら本心を語る。


「王都には帰りません」


  ドゥは王都に居続けるべきだと主張した。女神の機嫌次第で私が死ぬからだ。

 ドゥと私は何度も喧嘩をした。


「私はこの世界を、ドゥと出会わせてくれた世界を愛しています。だから、少しでもこの世界に恩返しがしたいんです。

 たとえ、自分の命を他人に分け与えることになっても……。この世界に何か返したい」


 私はアーサーに頭を下げた。


「アーサーさん、今までお世話になりました。あなたのお陰で踏み出すことができました。


 御恩は忘れません。


 ……あなたは王都の腐れ祝福を子孫に任せると言いました。

 ですが必ず、私の手で解決してみせます。

 それがあなたとこの世界への、一番の恩返しになると思うから」


 できるかどうかわからない。大言壮語も大概にすべきだ。

 私は、私の意志を告げると決めたのだ。


「……生まれ持った容貌で、人生を緩く簡単に渡り歩いてきた、君のような糞女が大嫌いなんだ。

 それ以上に、愚かでありながら、少しでも良く生きようと足掻く人間を可憐に思ってしまう。愛しいと思ってしまう。

 糞、あぁ、糞が……」


 これは助言だ、とアーサーは言った。


「君は幾度となくこの選択を後悔するだろう。数万の朝日を浴びるたび死に焦がれ、数億の眠れぬ夜を過ごすだろう。


 だからこそ生きなさい。尚生きなさい。


 君は苦しむ。あぁ苦しむだろうさ。だがそれに勝るとも劣らない歓びが、君を待っている。

 少しでも善く死ぬために善く生きなさい」


 それだけ言うと私たちに背を向けた。

 なんと応えればいいか分からず立ち尽くしていると、ドゥが手を引く。


「さようなら」


 お別れの言葉はいつだってそっけない。

 踵を返して一呼吸。覚悟を決めて、ドゥと共に荒れ果てた森へと入った。

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