第35話 私は、

「君に会って、君と話して全て理解した。

 広がる闇の正体は国中に散っていた女神の祝福だ。事物に恵みをもたらす祝福も、形を変えれば呪いと転ず。一箇所に無理くり詰め込まれ停滞したせいで、澱み、膿んで、腐れてしまった。

 それらは君の力で拡散され続けている」


 女神は心底御立腹であらせられるようだ、とアーサーが嘲笑する。

 胡座をかき頬杖をつく姿はいたずら小僧のよう。


「女神はね、君を利用しこの国を滅ぼさんとしているんだよ。


 敗走したとて女神だ。


 国を滅亡させるなど容易い。でも直接呪ったんじゃあ穢れをもらう。

 だから君を利用したんだよ。女神は国中の祝福を君に押し付けただけ。祝福を腐らせたのは君だし、腐れ祝福を撒き散らすのは君。


 君は何かしらの罰が与えられるかもだけど、女神は全くのノーリスク。


 君らが老いず、神に近しい存在と成り果てたのも膨大な祝福の副作用さ。

 ねぇ、わかるかい? 君が死んでくれれば、女神の目論見は頓挫するんだ」


 私はドゥのとなりに寄り添うばかり。広間に私の荒い呼吸が響く。


「君が死ねば腐れ祝福の拡散は止む。王都を包む闇はこれ以上広がらない。

 君の体には祝福があふれている。君の遺骨を各地に撒けば数年の間はこの地も息を吹き返すだろう。

 数年後勝手に滅んだ広大な土地をオールドマン家が接収する。


 まさに三方よしだ。


 アーサー・オールドマンの名に誓おう。君の死は決して無駄にしない。救国の聖女として君を祀ろう。君の気高き犠牲は、国が滅ぶその時まで語り継がれる。

 話を聞くに、君だって死にたがってたろう?」


 私の呼吸を掻き消すように朗々響く男の声。彼の声は破滅を誘う誘蛾灯。


「君は不幸な人だと思う。不運な人だと思う。でも君はぶつくさ文句を言うばかりで運命を変える努力をしなかったじゃないか。

 そんな君が生きていてなんの役に立つ」


 悪意ある攻撃的な声は私を疲弊させ、思考力を低下させていく。彼の発言の正当性はどうでもよくなっていた。


「君はね、女神によってこの世界にねじ込まれた異物なんだ。ここにいちゃいけないんだよ。

 君の罪、それは存在そのものだ。罪を償え。罰を受けろ。お望みの死をくれてやる!」


 私はゆらりと立ち上がる。

 もう疲れた。

 自分の努力不足で叱責されるも、己の無能さに絶望するも、もう嫌だ。

 逃げ出したい。解放されたい。


 楽になりたい。


 私はアーサーへ手を伸ばすも、黒く大きな手がそれを絡め取った。視界が狭まり、働き者の香りが私を包む。


「ドゥ。離して」


 ドゥがアーサーへ背を向け、私を真正面から抱きしめた。私は腕を体の間に挟んで、肘を伸ばし抱擁から逃れようとする。


「お願い、お願いだから……!」


 ドゥは私を離そうとしなかった。背中に手を回し、私の後ろ髪を丁寧に漉くのだ。ドゥの息遣いを感じる。ドゥの柔らかな体温に安らぎを覚えそうになる。


「私は、」


 ドッドッドッと胸を叩く音がする。


 何度死を願おうと、健気に心臓は胸を叩くのだ。私の体は私を生かそうと必死なのだ。



「生きたい!」



 叫ぶと同時に私の双眸から涙が落ちる。涙と共に転生の日々が去来する。


『あなたを愛しています』


 糞異世界にはグズな私を友と慕ってくれた女の子がいた。


『どうか幸せになっておくれ』


 糞異世界には私の幸せを祈ってくれた糞老婆がいた。


「生きたい!」


 赤ちゃんみたいに喚き散らす幼稚な私。人の言うなりだった私の方が、他人を思いやれてスマートだった。なんて悲しい退化。


『変化したことにより、一層お前にとって受け入れ難い己になる可能性もある』


 酔いどれ司祭の言う通り。


『そうなってしまったのなら……。ふたりで酒を酌み交わそう。なに、一杯くらいは付き合ってやるさ』


 彼は退化した私を笑い飛ばしてくれる。


「お願いします、私は異物です。

 生きてても迷惑ばかりかける、悪者です。

 それでもこの世界で生きていたいんです!」


 足に力が入らずしゃがみ込んでしまう。私の顔に触れ、頬に手を当て、涙を拭ってくれる者がいた。

 その者は私のせいで声を失った。家族を失った。真に涙を流し悲しむべき者は、ついに両目を失ってしまった。


 あどけない笑みを浮かべた幼いドゥが頭を駆ける。木に登り、得意げな表情のドゥがまぶしかった。

 いつの間にか私の背を越えて、私を顎置きにするドゥが生意気だった。夢中で畑を耕すドゥの背中が頼もしかった。

 頬を膨らませ庭の果実を食べる、ドゥの気の抜けた顔をずっと見ていたかった。


 良い思い出ばかりではない。


 ドゥの緑瞳が嫌いだった。私の罪を見透かしたような澄んだ瞳が大嫌いだ。

 思い違いで何度も喧嘩して、手を上げられたのは一度や二度じゃない。私は性格が酷いから、暴力のかわりに言葉で彼を傷つけた。

 お互いを深く傷つけ合って、それでも生きていくにはお互いが必要で、何度も互いに求め合ってまた傷ついて。


「この世界は理不尽に満ちていて嫌いです。大嫌いです。

 この世界で大切な、得難い人たちに出会いました。だからこの世界が好きです。大好きです。」


 私はドゥの手を取る。


「ドゥがいるこの世界を、愛しています!」


 ドゥの手に指を絡ませて、手の甲に爪を立てる。涙でぼやけた世界でも、ドゥの姿だけははっきり映える。


「どうかお願いです。人並みの幸せは望みません。この世界の片隅で、端の端で構いません、どうか生きることをお許しください。

 お願い、お願いです……」


 聞き苦しい哀願をアーサーは一笑に付す。


「他力本願のお願いばかりで望みが叶うとでも? よっぽどお気楽な人生を歩んできたんだねぇ、他人の善意に甘えてさぁ。

 そんなのこっちがダメでーす! って言ったら終いでしょ」


 アーサーの発言は露悪的だったが、頷かずにはいられない。大司教様は意志を示さない私が悪い、と断言していたが意志を示したとて尊重されるとは限らない。


 他人の意思に従い、命を差し出すほかないのだろうか?


「ドゥ、どけて」


 私は落ちているペリドットの短剣をアーサーへ向けた。驚いたドゥは慌てて半身を開く。アーサーは堂々座したまま。


 短剣を握る手は震えている。


 私は人を殺せるのか? 以前大司教様と大柄司祭が家に来た時は、他者を害する恐怖で凶器すら握れなかった私が?


 私は震える右手を左手で握り、短剣を取り落とさないようにする。


「私を殺そうと言うのなら容赦しません。どれほど罪を重ねても、私は生きたい……!」


 この人を殺せば必ず後悔する。自責の念でおかしくなってしまうだろう。眠れない夜を過ごすこととなるだろう。

 それを知って尚、私は凶器を構える。

 アーサーが天を仰ぎ、ぽそりと呟いた。


「司祭さん、あなたの勝ちだ」


 妙な発言に気を取られ、アーサーの手元に注意を払っていなかった。


 世界が赤く染まり目が眩む。反射的に目を閉じると顔面に鋭い痛み。

 アーサーが私の顔へルビィのランタンを投げつけたのだと理解できたのは、何もかも手遅れになった後。

 私が怯んでいる隙に、ドゥをアーサーは手早く拘束した。寝姿勢から足でドゥの首を締める様は柔道の三角締めに近い。反撃を試みるドゥの拳はアーサーへ届かず空を切る。


「私を殺す前に話を聞いて欲しい!

 ドゥワァ君もだめだなぁ。若いんだからちゃんとご飯食べないと。そんなだから私みたいなおぢさんにいいようにされるんだ。

 大丈夫。話を聞いてくれるっていうなら、締め落とすだけにしとくよ」


 ドゥの顔は見るまに赤くなっていく。背中に冷たいものが走る。


「さぁここから! ここからが勝負どころだ! 

気合を入れろアーサー・オールドマン!」


 アーサーは力を緩めることなく、万力で持ってドゥを締め上げる。私は悲鳴すら上げられない。


「私に下された王命は王都に広がる闇の原因解明、及び解決! 最も合理的な手段は君の死だが拒絶された。立ちはだかる者は殺すんですってひゃあ怖い。

 相手は歳を取らず発声だけで人を害す化け物。分が悪いね明らかに。交渉は見事決裂!」

「わかったから! あなたの話を聞くからドゥを解放して!」

「しかし私はネゴシエーター。誰もが『平等』に得をせず、『平等』に不満をもっちゃうプランのご提案!

 これは君の転機だ」


 アーサーがドゥを解放する。ドゥは激しく咳き込み、すぐに動けない様子だ。アーサーは余裕のある動作で立ち上がり、衣服についたらしいほこりを払う。

 アーサーが私を見据えて言う。


「半神となり世界を滅ぼし果てるか! 人として狂気の内に死ぬか!

 さぁ、運命を選び取れ」

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