蛇足物語 酔いどれ司祭はかく語る


  *


 褪せ肌の魔女と妖魔の愛され人が森に消える。アーサーは顔覆いをした御者へ声をかけた。


「背高のっぽの司祭さんや。

 褪せ肌の魔女にお別れしなくていいの? これが最後の機会だよ」


 御者が顔覆いを外す。白髪混じりの髭に覆われた、厳つい顔が現れた。


「いえ……。あれは教会の仇です。忌まわしき存在です。どうして別れなど告げる必要がありましょうか」


 彼は馬車の車輪近くに佇み、緑に染まる木々を眺めるばかり。アーサーは馬車に寄りかかり、ほうとため息を吐いた。


「教会に破門されたくせに? 面白い男だね」



 大柄司祭は村ひとつを壊滅に追いやった罪で破門され死罪となっていたが、国中の聖職者が変死し状況が一変。

 ただでさえ聖職者は神のはしためであり、聖職者を害するは女神を害すると同義、という考えから聖職者の処刑は執行人たちから厭われる。いくら金を積もうと、変死事件のせいで誰もが処刑をやりたがらない。その姿に領主までも恐怖心を煽られる。


 結果、大柄司祭は三年間獄に繋がれ捨て置かれた。彼は壁から染み込む雨水と床の土を喰み飢えを凌ぐ。


 教会内部事情を知るためアーサーが初めて接触した際、大柄司祭はやせ細り立ち上がることもできなかった。



「あのほど褪せ肌の魔女の助命を乞うた君がさぁ」


  *


『アーサー・オールドマン様。どうか、その寛大なお心にて、平民王妃を、褪せ肌の娘を見逃してください!』


 大柄司祭はアーサーに拝み倒す。


 大柄司祭に接触した時点で、アーサーは「国崩しの舞踏会」参加者数名と接触していた。


『あれは愚かで哀れな娘なのです。運命に翻弄されなす術もなかった、無力で、不運なだけの小娘です。どうか、お目こぼしを、どうか……!』


 アーサーは褪せ肌の魔女が王都を覆う闇と変死事件に関与していると推察した。彼女が生きていたら問答無用で殺害する心づもりだったのだ。


『私が見逃したとて、運命に抗う意志のないものは早晩に死ぬ。

 早いか遅いかの違いしかない』


 靴に縋り付く大柄司祭をアーサーは蹴り飛ばす。大柄司祭は床に転がる。獣のようなうめき声を上げる成人男性の姿は、見苦しいとしか言いようがない。


『でしたら……!』


 腕を震わせ大柄司祭は立ち上がる。歯を食いしばり、泣き腫らした面を上げる。


『事のあらましを知った上で、生きたいと願ったならば、どうか、その時は娘を生かしてやってください。

 それが誓えぬのならば、一切の情報を吐きません。死したとて、吐きません!』


  *


「……アーサー様。少し、爺ぃの昔話を聞いてはくださいませんか」

「いいよ、許可する。今の私は特別に機嫌がいいんだ」


 大柄司祭はすっかり髪が抜け落ち寂しくなった頭を掻いた。


「私は若い頃勉学ができてしまったために、自惚れ屋の阿呆でありました。周囲の人間が頭が足りなく阿呆に見えて仕方なかった。

 教義で語られる『真実の愛』を我こそは見つけられると、傲慢にも思い込んでおりました。


 私は真実の愛を手にするために、教会の運営する孤児院へ配属されるを望みました。教義に、真実の愛は親子に宿るとされていたためです」

「真実の愛は親子に宿る、何度聞いてもいい教義だよね。額縁に入れて飾りたいくらい」

「当時の私は子を作るなど……。ましてや、女と番うなど考えられなかったので……。


 私はすぐさま壁に直面しました。

 どうしても聞き分けの良く、手間がかからぬ孤児ばかり愛してしまう。生意気で反抗的な孤児を嫌悪している自分に、気づいてしまったのです。


 真実の愛が差別的であるはずがない。私はそう信じ、全ての孤児を平等に愛するよう努力しました」

「また苦行を己に強いるなぁ。マゾなの?」

「結果から言いますと、私なりに孤児を平等に愛することができたと思います。

 ……そのかわり、自分が世話する孤児以外を愛せなくなりました。特に、自分の担当外の教会の孤児。私の愛しい孤児たちが受けるべき教会の有限資材を奪う不届き者に見えました。えぇ、私は憎みました、憎みましたとも!


 狭量な己に絶望し、真実の愛などないと知り、たとえ真実の愛があったとてこの手に入らんと悟り、若い全能感が崩壊し、己の能力の天井を理解して……。

 私は破滅的な自己嫌悪に陥ったのです。


 私は酒に溺れました、身持ちを崩すほどに。司祭としての義務すら放棄したため、教会を追われ……。私は路頭に迷い、生ける屍と化しました。

 何もかもおしまいだと思いました。人生の果てがここだと……」


 アーサーは黙って次の言葉を待ち続ける。


「ある日、突然です。昔世話をしていた王子が……大司教が、私の元に訪れました。私を叱り飛ばし、身を清めさせ、再び教会に住まわせました。やつは酒を飲ませる暇もないほど、私をこき使いました。あまりにも慌ただしい日々でした。

 ……結果はどうであれ、あの時の私は、大司教や育った孤児の子らと過ごした日々は、確かに幸福でした。幸せでした。


 この世界は残酷で理不尽です。当然です。世界は元来、そのようにできている。


 しかしながら、生きていればその先がある。生きてさえいれば、世界は広がり続ける。

 ……褪せ肌の子らに生きる道を示して下さったアーサー様に、満腔からの感謝を申し上げます」

「いやぁ苦しゅうないよ。もっと感謝してくれてもいいよ!


 ……ん? 今の話、褪せ肌の魔女にお別れを言わない理由にはなってないよね?」

「えぇ、あなたが爺ぃの話を聞いて下さったおかげで、彼女らは遠くに行ってしまいました。もう追えますまい」

「……君さぁ……」

「褪せ肌の娘に会えば必ず私は恨み言を言います。教会の人間を間接的に死へ追いやったあれの何もかも赦せるほど、私の器は大きくない。

 その罵倒は贖罪の旅へ出る者らには酷です」


 それに、と大柄司祭はバツが悪そうに笑った。


「一度話してしまえば……。

 別れ難くなってしまう」

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