第20話 思考停止行進曲

 旅人の衣装を纏った醜男は舌を打ち立ち上がる。


「貴様に兄などと呼ばれたくないわ、国崩しの王子め。おお、今は王子ではなかったか。すまんな、卑しい平民よ。すまんすまん。

 して、何故貴様がいる? 今は孤児院にいるのではないのか」

「山狩りが趣味でして。国王陛下に至りましては……」

「平民である貴様と話しとうない!」

「左様ですか」


 醜男は吠える。大司教様は醜い叫びを左から右へと流していく。


『大司教はな、現王の双子の弟に当たる』


 私は醜男を盗み見る。

 会話から察するに、旅人の風体をしているこの男こそ王か。大司教様の双子というのにこれっぽっちも似ていない。

 いや、そんなことはどうでもいい。どうして王がこの寂れた塔に来た? 大司教様はどこから現れた?


「大司教、塔を占有し情婦を飼うとは一体どういう了見ですか!」


 妙齢修道女が彼らの会話に割って入る。


「修道院長殿。望まぬ結婚を厭い教会に救いを求めた一般信徒ですよ。私の愛人ではありません」

「わざわざ見張りまでつけて……!」

「彼女の肌の色をご覧になりませんでしたか? 村では色が抜け落ちた汚らしい肌……褪せ肌と侮蔑され迫害を受けていました。

 そのため人の視線を過度に恐れ、精神不安定であり、他修道士たちと共同生活を送れるような状態ではありませんでした。見張りをつけたのも彼女は放浪癖、脱走癖があるから。

 塔に隔離し、療養の措置を取っていました。黒いベールも他者の視線を遮るため」


 大司教様は私をやべーやつに仕立て上げこの場を乗り切るつもりである。彼の発言を否定したいが、口を挟んだところで状況が良くなると思えない。私は貝のように口を閉ざす。


「どこぞの馬の骨とも知れぬ小娘のために……!」

「女神の慈悲、真実の愛は全てのものに等しく注がれるべきです。身分や門地を問わず」

「大司教。建前はもう結構」


 祭服の老人が踵を神経質に鳴らす。七十は過ぎたであろう祭服の背すじは曲がり、子供ほどの背丈しかない。


「大地の実りを示す豊かな肌の色、神々が住う国の色が宿りし髪と瞳。貴殿は女神の御子たる彼女を独占し、その力を持ってして教皇の座を掠めとらんとしたのであろ?」


 大司教様が吹き出した。大司教様はくつくつ笑い、枢機卿と呼ばれた老人の顔が真っ赤に染まっていく。


「失礼いたしました。あなた様ともあろう方が、そのような話を信じていらっしゃるとは」

「……聖列伝第二十三章第三節!『生前の記憶を語りし乞食は』、」

「『神々に通ず橙の肌を持ち、眼窩に嵌められしは夜空の瞳。彼の者飢えるを知らず』でしょう?

 彼女は普通の村娘ですよ。異邦人の血が少々混じっているだけの」

「シラを切りおる! 貴殿がここまで厚遇するということは、この娘は、」

「聖書の内容を真に受けて彼女を庇護していたと? それこそ人材の無駄遣いでしょう」

「貴殿、聖書を偽りと申すか」

「時の権力者により捻じ曲げられてきた聖書を真と仰るなら、貴方にとって真実の愛とは権力者にのみ宿るものなのでしょうね」

「王族の血を利用した成り上がりがよく吼えるわ」


 怒りの形相で拳を震わせる修道院長。たぎるような敵意の込もった目を向ける枢機卿。聖なる笑みを絶やさない大司教様。

 肌がひりつくような緊張感に耐えられない。呼吸さえも憚られる無音。


「なんなのだ貴様ら!」


 醜男が地団駄を踏む。

 今のいままで存在を忘れられていた彼が、唾を飛ばして喚き散らす。


「愚弟の吠え面を拝めると聞いて、わざわざこんな片田舎までやってきたんだぞ! それが、なんだ貴様ら、貴様らは! 吾を、無視、無視して、話を進めおって!

 吾を、吾を見ろ! 吾が王ぞ! 吾を常に注目し吾を敬え! どうしてみな、弟、弟、弟ばかり! 吾が王、吾が王ぞ!」

「……我らが王よ。気をお鎮めください」

「寄るな! 吾の王権、王家の権威にたかる蠅が!」


 醜王が枢機卿の手を振り払う。付き人たる下級騎士でさえ彼の癇癪を宥めることができない。醜王と目が合う。

 彼はほんの一瞬だけ、憐憫を瞳に映した。


「貴様らの思惑通りになんぞ動いてたまるか」


 醜王が私の手首を力任せに掴む。


「吾は宣言する! この……なんと言ったか。この女と結婚する!

 これはもう吾の后だ、何人たりとも近づかせはせん!」


 初めて大司教様の表情が固まった。

 彼らの話は難解で現実感が薄く、私はどこか他人事のように聞いていた。ただ捕まれた手首が痛くて、早く解放してくれないかなぁとばかり思っていた。


  *


 醜王は騒ぎ過ぎて過呼吸となり、泡を吹いて膝をつく。家臣の男たちは王を担いで塔を降りてしまった。大司教様たちも私の処遇を決めるだなんだと言って塔から出て行ってしまった。


 ひとりぼっちになった私は心細くなって、捨て置かれたベールを身にまとう。世界が再び薄暗くなる。私を現実から遠ざけてくれる。

 間を置かず、かしげちゃんが塔にやって来て私に抱きついた。彼女は事の一切を聞いたようだ。呪文のように「大丈夫、心配、いりません」と繰り返す。彼女の顔は蒼白だ。

 私たちは粗末なベッドに座すばかり。扉が叩かれたのは沈む太陽が目に痛い夕刻だった。


「起きている?」


 大司教様は軽い足取りで部屋に入ってくる。ベッドから動かない私たちを尻目に、大司教様は椅子に腰掛けた。


「君は后となる。今回の件はそれで終い」


 大司教様は肩をすくめて見せる。


「枢機卿が君を飼いたいとゴネてきてね。面倒だった、本当に。

 王は君をお気に召したようだし、考えられうる最も穏便な形だと思うよ。

 枢機卿一派は王宮に取り入って権威の伸張を目論んでいる。求心力が落ちている王党派としても民衆から支持されている教会との癒着は悪い話じゃない。

 抜け駆けさせるわけにはいかない。王宮とのパイプ役になってくれないかな。君は僕の指示に従うだけでいいよ」

「お待ち、ください」


 羽のように軽い笑みを浮かべる大司教様に対し、かしげちゃんが異を唱えた。


「彼女の、意志は? 無視、するのですか」


 かしげちゃんの声はいつも以上に震えて不安定だ。恐ろしいなら黙っていればいいのに。ずるい私にみたいに。

 大司教様はかしげちゃんの勇気を鼻で笑い飛ばす。


「この子は望んで己の支配権を他者に差し出している怠け者だ。この教会に連れて来られたのだってそう。自分で考えることを放棄して他者の言うなりだったから。

 意志の尊重? まず他人に意思を示してからほざきなさい」


 侮蔑を隠さない大司教様の声に私の生命力が削れていく。かしげちゃんは私の腕に手を絡ませガタガタ震えていた。


「よかったじゃないか。一国の后になれるんだ、女の幸せの最たるものじゃないか。

 感謝されこそすれ、恨まれる筋合いはないね」


 大司教様はただにこにこと笑い続ける。


「十日前後で王宮からの馬車が来る。それに乗って城に着けば晴れてお后様だ。

 敵だらけだと思うけど、願いしも叶わぬ僥倖を得られた対価として甘んじて耐えてね」


 大司教様は子供みたいに手を振り去った。


 呪詛とそう変わりない言葉は消えることなく、大気を彷徨いより空気を汚していく。


「怖かったよね。嫌な思いをさせてごめん」


 ぽろぽろと涙をこぼすかしげちゃんを抱き寄せる。


「どうして、あなたが、謝るの。怖いのは、あなた、なのに」


 彼女は私の修道服にしがみつき言った。


「王様と結婚するっていうのが、どういうことか理解できてないの。実感が湧かない。他人事みたいなの。ばかみたいね。

 私の頭の上で話が進んでいくのも、私の意志が介在する余地がないのも、そこまで気にしてない。今までも他人に作ってもらったレールの上を歩くだけの人生だったから」


 私はぶつ切りに言葉を吐いていく。


「司祭さんと酒飲んでばか騒ぎしたり、かしげちゃんと静かな夜を過ごせないことが、たまらなく寂しい」


 かしげちゃんが嗚咽を上げた。私は彼女をひしと抱きしめ、背中を優しく叩く。


「最後に、あなたの、お顔が、見たい」


 かしげちゃんの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。


「禁じられてるんじゃないの?」

「今更じゃ、ないです、か」


 私は苦笑してしまう。手でかしげちゃんの涙と鼻水を拭い、黒いベールをそっと外した。

 かしげちゃんと目が合う。青い瞳がゆっくりと開かれていく。彼女の顔から表情が消える。


「やっぱり、金の髪で白い肌じゃないのはヘンテコ? ……私のこと、嫌いになった?」


 かしげちゃんは激しく首を振った。懸命な反応が愛らしくて、私は再び彼女を抱きしめた。


「私に声をかけてくれてありがとう。私と仲良くしてくれてありがとう。大好き」


 耳元でささやくとかしげちゃんが私の腰に手を回してきた。その手つきが艶かしく、私は思わずどきりとしてしまう。


「かしげちゃん……?」

「逃げましょう」


 彼女の声は熱に浮かされたようにうわずっていたが、鉛のように重い覚悟の色を帯びていた。


「責任も、誹りも、全てわたしが、背負います。

 わたしには、あなたが、必要です。絶対に、必要です。わたしのために、わたしとともに、逃げてください。お願いです……!」


 私は私を求めてきた人間を拒めない。

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