第19話 腐りかけの果実の香り

 大柄司祭が私の故郷の視察へ行くという。旅立つ前の晩、扉越しに大柄司祭へ手紙を渡した。


「……これは?」


 大柄司祭は酒を飲まなければ規則に厳しく実直な人だ。満月夜以外は部屋に入らずきっちりと鍵をかけている。


「幼なじみのドゥワァに宛てたものです。かしげちゃんとふたりで書きました。お願いです。彼に渡してください」

「かしげが羊皮紙が欲しいと言ったのは、このせいか……」


 大柄司祭は手紙を受け取らず、そっと私に突き返してくる。


「できかねる。お前は故郷では死んだことになっているんだ。それに、そいつは文字を読めんだろう」

「私が死んだことになってるのはあなたたちの都合でしょう? 私を騙して申し訳ないと思っているなら、融通きかせてくださいよ。文字は司祭さんが読んであげてください」


 彼はわざとらしくため息をついたのち、扉に挟まれた手紙を引き抜いた。


「えっと、ドゥワァの特徴は……」

「知っている。バダブの民に似た……褐色の肌の青年だろう。働き者で、口なしの」

「どうして知ってるんですか」

「お前を誘拐する前に一年ほど村に潜伏したからな。お前の生い立ちも、両親のことも、調べさせてもらった。……気を悪くしたか?」

「……いい気はしません。でも、司祭さんならいいかって。貴重な酒飲み仲間を失いたくないですし」

「そうか……」


 手紙を収める衣擦れの音が扉越しに聞こえた。気まずい雰囲気をぶった切るため、私は努めて明るい声色で話す。


「……お土産! お酒! メルシャン!」

「阿呆。仕事そっちのけにしてでも持ち帰るわ」


 彼も軽い冗談で返してくれる。大柄司祭が背を扉に預ける音がした。


「今晩は遅い。寝ろ、阿呆め」

「はい。司祭さん、おやすみなさい」

「あぁ。……良い夢を」


 未明に大柄司祭が馬に乗って入山する姿を見送り、二度寝する。

 

 二週間が過ぎた。

 いつも通りかしげちゃんに起こされ、もそもそドゥの幸せを祈ったあと、もしっもしっと朝ごはんを食べる。羊肉のシチューだ。贅沢である。


「……わたし、今日、いっ、一緒に、いれないです……」


 なんとなく元気のなかったかしげちゃんは、しょんもりした様子で話す。


「どうして? 司祭さんもいないのに。見張りがいなくなっちゃって大丈夫なの?」

「修道院長から、命じられて。絶対に、やって、もらう、ことがあると。断れば、今後、わたしの、立場が、危うい、と、まで言われ……」

「脅しじゃない」

「いつもは、司祭様が、上手く、言いくるめてくれるのですが……」

「かしげちゃんが絶対断れないであろう状況で、わざわざ言ってきたのね」


 大柄司祭は未だ帰らない。その辺で飲んだくれているのだろうか。


 シチューをこねくり回しつ考える。


 修道院長の心情も理解できなくはない。

 かしげちゃんは田畑の手伝いや教会の雑多な業務をせず、食糧だけもらってずっと塔に詰めているのだ。昼行灯の穀潰しと言われたら、まぁその通り。

 私が仮にここの教会の修道女だったら、司祭と乳繰り合ってないで働けやと思う。

 なんにせよ大柄司祭がいない。反抗的な態度を取るのは上手くないだろう。


「ついて行こうか?」

「いえ。司祭様が、外へ出てる間は、あなたを、塔から出すな、と、命令が、出ています。何かあった時、庇えなくなるから、と」


 よくできた上司である。


「……嫌なことされたりしたら逃げてきて。できれば嫌がらせを受けた証拠も残せたら残してね。司祭さんが帰ってきた時、反撃できるかもしれないから」


 月並みなことしか言えず嫌気がさす。


「大丈夫、です。わたしは、本部の、修道女、です。所属が、異なります。本来であれば、業務、は、免責、されます。

 なにより、わたしは、司祭様の、お気に入り、です。司祭様の背後には、大司教様が、いらっしゃいます」


 かしげちゃんは私を励ますように首を傾げた。


「下手に、手を出して、痛い目を、見るのは、修道院長、です。だから、どうか。心配、なさらず」

「かしげちゃんって見た目よりずっと強かなのね」


 私の言葉にかしげちゃんは照れた。

 朝食後かしげちゃんはすぐ教会へ戻ってしまった。万が一に備えて扉の鍵を閉めてもらう。責任を問われるのはかしげちゃんだからだ。

 万が一など起ころうはずもないのだけど。

 私は窓のへりに腰掛け、外を眺めていた。久々のひとりきりだ。聖書を読もうとしたが十分も経たずに飽きてしまう。

 早くかしげちゃんか大柄司祭が帰って来ればいいのに。


 視界の端に馬車が映る。この教会に人が訪ねてくるとは珍しい。大司教様が乗ってくる馬車とは異なる。遠目から見ても馬車が豪奢で、馬車を引く馬も立派なのだ。

 六名降りてくる。ひとりは祭服を着ており、他は町人や下級騎士、旅人といった風体だ。祭服の男以外は皆若い。服がくたびれておらず、新品然としている。

 乗り合わせているメンバーの組み合わせが謎。ただの町人や下級騎士がこれほど派手な馬車に乗り合わせるはずがない。


 いくつも山を越えなければならない辺鄙な教会に、わざわざどうして?


 ちぐはぐな一派の来訪に外に出ていた修道女たちは何事かと騒ぎ立てるが、いつかの妙齢修道女が彼女らを叱責し仕事に戻らせる。

 妙齢修道女は一派へ頭を下げると、塔へ向かって歩き出す。彼らも修道女の先導に従いこちらへ向かってくる。


 塔へ向かってくる?


 私は窓から離れてベッドの毛布に包まる。あの一派は塔に用事があるのか?

 それとも私に?


 心臓が嫌な音を立てた。

 一介の村娘に過ぎない私如きのために?


『司祭様の背後には、大司教様が、いらっしゃいます』


 かしげちゃんの言葉が脳裏をよぎる。

 彼らの目的は私の背後にいる大司教様か?

 複数人の足音が反響する。


『大司教の敵が多すぎるのが悪い。クソが』


 大柄司祭の、真っ赤な髭面を思い出す。

 何度か大司教様はこの塔に来ていた。塔に人が住んでおり、見張りまでいることはこの教会の修道女たちに知れている。


 誰かが、大司教様に反意を持つ連中に密告した?

 大柄司祭は修道院長は抱き込んだと言っていた。それなのに、何故?


 一派が私のいる最上階にたどり着いたらしく、扉前が騒がしくなる。


 鍵がかかっているぞ。

 開けないのか。

 面倒だ扉ごと壊せ。


 男たちの会話が聞こえてくる。

 大司教様に反意を持つ連中が私を見つけたら、どうするだろうか。私は彼らを喜ばせられるような情報を持っていない。

 逃げねば。毛布を引き裂いてロープを作り窓から脱出するか? どんなに細かく引き裂いても長さが足りない。ロープをこさえる時間もない。

 頭に浮かんだアイディアのできない理由を探すばかりで、出来上がったのは毛布に包まり一歩も動けぬ地蔵さん。ベッドの影に隠れても、尻も頭も隠せない。


 耳に痛い音と共に扉は開かれた。無数の足音が響く。

 息を殺し、気付かれないことを女神に祈るばかり。女神に祈ってどうにかなった試しなんてないんですけどね。


「おい、そこの」


 言葉をぶつけられ私はおののく。私の周囲に人の気配があった。


「無様よなぁ。不敬である。布をから顔を出してみよ。……早く!」


 居丈高な声に急かされ布から顔を出す。歯向かったらどうなるものか知れない。

 私の周囲には祭服、妙齢修道女、下級騎士、旅人風男の計四人。他の男たちは机をひっくり返し籠をおっくり返し、家探しをしている。


「はっ! 布を剥いでもまた布か」


 旅人は鼻で笑う。先程の居丈高な声は彼のものらしい。

 近くで見ると旅人は一派の中でもより異彩を放つ存在だった。凝られた衣装は言わずもがな、気取った態度や雰囲気が旅人のそれではない。

 何より容貌が人並み外れ醜い。

 いびつに割れた顎。下膨れのせいで茄子を思わせる輪郭をしている。唇は小さ過ぎるくせに鼻の穴が大きく上向いている。肌が荒れすぎて痛々しい。目は左右で大きさが異なり、綺麗な金髪をしているのに頭頂部からハゲ始めている。


「おい。その顔覆いも外せ。弟の愛人のツラを拝んでやろう」


 反意すら湧かず、素直にベールを取ろうとしたら髪の毛と布が変に絡まって上手く脱げない。混乱と緊張で手間取っていると妙齢の修道女が前に出て私の頬を張った。


「のろまめ! 布一枚取ることもまともにできないのかい!」


 妙齢の修道女が私の髪の毛ごとベールを剥ぎ取ろうとしてくる。あまりの乱暴さに小さく悲鳴を上げてしまう。


「抵抗するな売女!」


 修道女の叱責に合わせ耳に届く男たちの卑しい笑い声。私は悪意を頭から浴びせられる。

 ベールは奪われた。ベール越しでない太陽が眩しく目も開けられない。目が慣れるまで何度もまばたきを繰り返す。

 目が光に慣れてきた頃にやっと気がつく。悪意たっぷりの笑い声が止んでいる。

 私は恐る恐る、周囲の様子を伺う。


 修道女はベールを手から取り落とし、数歩後退る。旅人は刮目して頬を染めていた。祭服の老人は「神の肌」「真夜中の瞳」とぼそぼそつぶやく。家探しをしていた男たちでさえ手を止め私を見つめている。旅人は膝を折り、不躾な視線を私に向けてくる。近くで見れば見るほど旅人は醜い人だった。


「そなた、名をなんと申す?」


 しゃくれた口からこの言葉が飛び出た時、腐りかけの果実の香りが鼻先を掠めた。


「修道院長殿、枢機卿。他は国王直属の親衛隊の皆さんかな?」


 耳障りの良い人懐っこい声に聞き覚えがあった。皆が声のする方へ目を向けた。

 金髪は天使のにこげ、白皙の肌は女神さえも嫉妬する、童顔の男。


「……久しいですね、兄上」


 馬もなく、音もなく、腐りかけの果実の香りのみ携えて、大司教様が現れた。

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