第21話 だって気持ちは少女なの

 教会北側には客舎が独立して建てられている。遠方からの客人を歓待し何泊がさせるのが教会の慣い。

 窓ひとつなく音の漏れないこの部屋は「秘め事」を行うには都合の良い小屋だ。


 客舎に呼び出された修道院長は扉の前に立ち、手櫛で髪を整える。何年も前に購入した白粉で頬骨のシミは隠れている。加齢を感じさせる目尻のシワは頭のサイドから髪を持ってきて誤魔化した。箪笥の奥深くに眠っていた赤いルージュは彼女を若々しく見せる。


 齢四十三の女には見えない。

 自分はまだ若い。自分はまだ美しい。


 修道院長は扉に手をかける。


 扉を開いてすぐ応接間があり、左手奥は寝所となっている。応接室の最奥、ビロウドの椅子に座すは光の美男子。弱冠二十歳で大司教の座についた才人である。青い瞳は女性をたぶらかすだけに存在し、高い鼻は見る者を虜にする。


 男のように豪胆に、さりとて女らしさを忘れずしゃなりしゃなりと歩くべし。期待している姿を見せれば安く見られる。顔はツンと澄まして美しく。


 彼女は立ち止まり、軽く膝を曲げる。

 時は深夜。この時間帯で客舎に呼び出される意味を彼女は理解していた。大司教はビロウドの椅子で足を組み、意味ありげな笑みを浮かべている。

 彼が自分に恋しているのは今日に至るまでの会話で確認済み。

 さぁ、男女の茶番を始めよう。


「ご用件は?」


 修道院長が問うと、大司教は柔らかく目を細めた。


「どうして枢機卿に塔の話をなさったのですか。僕から内密にするようお願いしていたはずです」


 大司教は真面目な仕事人だ。そのため先に仕事の話を片付けようとする。修道院長は仕事をする男性に理解のある女だ。


「大司教、あなたは罪を犯しておりました。全てを正道に戻すべく枢機卿に報告したまでです」

「僕がどのような罪を?」

「未婚の女と姦通していた罪です」


 大司教は肩をすくめた。


「名も知れぬ村女如きと契るなど言語道断。学がない。村女など努力を怠ける、愚か者です。卑しい血脈です。獣と一緒。教養も知性もない浅薄な下種どもに、真実の愛は理解できない」


 いつからだろうか。

 粗相や軽口が許されなくなったのは。

 いつからだろうか。

 若い女たちからうっすら距離を置かれ始めたのは。

 いつからだろうか。

「おばさん」と呼ばれるようになったのは。


「どうか目をお覚ましください。

 真実の愛が理解できるのは人格が洗練され、勉学に励み、確固たる地位を占めた者のみ。限られた者だけがたどり着ける無二の境地です」


「おばさん」と初めて言われた時は涙が出た。


 自分は凡百の女とは違う。


 いつも実年齢よりもみっつは若く見られるし、洗顔も欠かさず入浴の回数も多い。肌に良いとされるベリーを多く食べ、自分磨きに邁進している。決しておばさんではない。


 歳を取ったのではない、歳を重ねて成熟したのだ。若い女共とは違う、積み上げられた努力がある。


 それなのにどうして、若いブスは結婚する? 頭の足りない小娘は恋人ができる?

 どうして男は自分に寄り付かない?


 それは男が愚かだからだ。


「大司教、あなたは真実の愛にたどり着けるやもしれぬ限られた逸材です。あなたはあなたに相応しい相手と結ばれる義務があります」

「たとえば……あなたのような?」


 大司教はタクトを振るように指を動かす。


 平々凡々とした男たちと異なり大司教の賢明である。言葉を尽くせば己が過ちを素直に認め、諫言した者に感謝の念を抱くだろう。

 たとえ頭がおかしくなり言葉を受容できずとも、経験豊かな肉体で大司教をあたためてやれる。


 修道院長はまぶたをゆっくりと閉じる。


「よくわかりました。僕にあなたの面倒は見きれない」


 むせ返るような腐りかけの果実の香りが修道院長を包む。


「未婚の男女が性交しただけでは罪に問われません。

 むしろ女神の教えに従えば男女が性交し子を作ることは善きことです。不特定多数の人間と契るを推奨する学派もある。法においても禁じられていない。避けた方が望ましいという慣習があるだけ。

 あなたは個人的な好悪を正当化させようと、恣意的に教義と不道徳を混同させている」


 修道院長は目を開く。胸騒ぎがして己の手の甲をみる。骨と皮ばかりになってしまった手の甲に、白い手形がついていた。


「どうしてあなたが辺境の教会に追いやられたかご存知ですか? 自尊心が高く、他責性が強いからだ。無能と断じた人間を苛烈にいじめ抜く。何人の修道士があなたに潰されたか。

 反面、あなたは格上と認めた相手にはとことん従順だ。股を湿らせ汚い尻を振る姿は、なるほど舌からよだれを垂らし尾を振る犬のよう。

 人格に難があっても、その従順さを見込んで取り立ててやったのに。

 肝心なところで裏切って、駄犬が」


 修道院長はついてしまった白い手形を落とそうと服へ擦り付ける。白い手形は落ちなかった。落ちるどころか次は手首、次は二の腕へ子供が新雪に足跡をつけるような無邪気さでもって、修道院長の体や衣服に手形がついていく。


 修道院長の頭に疑問符が浮かぶ。


「『女なのに長く勤めてくれてありがとう』『あなたは他の修道女と違い教会を辞さないから信頼できる』なんて見え透いたおためごかしを本気で捉え教会に居座って。他の修道女たち同様、早く結婚して家に入ればよかったのに。

 ……気分の浮き沈みが激しく、攻撃的なあなたの性格では恋人を作れても、中長期的な人間関係を築くのは難しいか」


 大司教へ手を伸ばし救いを求めるも、彼は助ける素振りすら見せない。足を動かそうにも体が未知への恐怖にすくみ動けない。


 この白い手は何?

 どうして自分は大司教に心無い言葉を浴びせられている?

 自分を愛していたのではなかったのか?

 大司教は自分をもてあそんでいたのか?


「不慣れな化粧をして男を誘うような真似は十……いや、二十歳若返ってからやってください。不愉快だ」


 大司教の声をかき消すように、修道院長は絶叫した。

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