第17話 古教会は聖戦の夢を見る
「あなた方は、一体、何をしているの、ですか! 恥を、知りなさい!」
そして私と大柄司祭は見張りの子に説教を受けている。
一晩寝て体調を整えた見張りは朝露に濡れた田畑を抜け、塔へと向かったそうな。部屋に鍵は掛かっていなかった。
いぶかしみながら扉を開けば、机に伏して大いびきをかく大柄司祭と、酒瓶を抱きしめ床で眠る私がいた。
「司祭様、わたしは、酒を控えろと! 何度も、お伝えしていた、はずです! それを、休息夜に、飲むなんて……。女神は、酒を飲み散らすため、休息夜を、作りたもうたのでは、ありません!」
「はい」
「はい、ではなく!」
大柄司祭の返事に見張りは頬を真っ赤にして激昂する。ベールをつけてないそばかすの彼女はかわいらしいばかりで、迫力が足りていない。百八十を優に超えるであろう司祭が正座で両手を上げる姿はいとシュール。
ちなみに私も同じ格好を強いられている。二日酔いでただでさえ気分が悪いのにこの仕打ちである。朝日が眉間に刺さって辛い。助けてくれ。
「うら若い、女性と、夜、ふたりきりで! ふしだらです! お下品で、不道徳です! 万が一、間違いがあったら、どうなさるおつもりですか!」
「心配ない。この阿呆に欲情するくらいなら、ほうきを抱いたほうがマシだ」
「おう私が顔覆い取ってもその態度貫き通してみせろよ」
温厚で鳴らしている私だが、二日酔いで最高に機嫌が悪い。己がベールを剥ぎ取ろうとすると見張りに止められた。
「反省、していないでしょう!」
「はい」
「はい、ではなく!」
その後一週間、見張りからの要望で大柄司祭は私への接近禁止令が出される。もはや見張りと大柄司祭、どちらが上の立場か分からない。
夜の見張りも彼女が担当し、私たちは寝食を共にする。見張りは布団やら着替えやらを持参し、お泊まり会の様相を呈していた。
「大丈夫でしたか? 何か、変なことを……されませんでした、か?」
私だけベッドの上で眠るのも申し訳ない気がして、ふたりで床へござ寝する。枕は別々。毛布は一緒。間接照明は夜空の星々。
ベールがはだけることのないようにと足の部分を縛ってくれたが、黒いゴミ袋に突っ込まれたマネキンみたいになっいる。乙女として大切な部分が損なわれている気がする。
私たちはうつ伏せの状態でぽそぽそ話す。
「心配してくれてありがとうね」
見張りのゆるくウェーブがかかった金髪を弄ぶ。見張りはベールを被らなくなった。暑さで倒れたら大変だと大柄司祭がベールを外すことを許可したのだ。私は許可が下りず未だ寝る時でさえベールを被っている。差別である。
私の発言に安心した見張りは枕に頭を預けた。
「……眠る前に、あなたの……故郷の話を、また、聞かせてください」
「いいけど……。飽きない?」
「はい。わたしは、孤児で……。司祭様に、付いて、各教会を転々としている、ので、故郷がないのです。あなたの話を聞くと、故郷がどんなものか、夢想、できる。それが、たまらなく……。心地よいのです」
控えめに笑う彼女が愛くるしい。
「じゃあ、私の故郷を見張りちゃんの故郷ってことにしない? ……畑ばかりで何もない場所だけど……」
「よいの、ですか?」
見張りの瞳がうるむ。彼女は感情がストレートに顔に出るから分かりやすい。
「もちろん。いつか司祭さんに許可をもらって、ふたりで故郷に帰りましょう。ドゥもきっと喜んでくれるから」
「ドゥ……?」
「うん。本当の名前はドゥワァって言うの。畑仕事が得意で、私の家の手入れもやってくれてて……。そうだ、私の家の庭にはね、年がら年中実がなっている木があって……」
私はとりとめなく、思いついた話を思いついたままに語る。そのうちお互いに眠気が襲ってきた。
「……腹破りの妖魔風情が……」
寝ぼけた声で見張りがつぶやいた。
約束の一週間が過ぎ、大柄司祭は見張りに復帰した。彼女にこってり絞られたらしい大柄司祭は少々お疲れの様子だ。
この程度で懲りる輩は酒飲みなんぞやっていない。
「ここには酒飲みがいなくてな。ちょっと付き合え」
私と大柄司祭は満月の夜になると、酒を酌み交わすようになっていた。
「堕落したこの世に真実の愛などない」
「……真実の愛をありがたがって拝み倒してる人らの発言とは思えませんねぇ」
大柄司祭は酒が入ると饒舌になる。人懐っこい柔らかなまなざしに変わる。きっとこれが彼の素なのだろう。
「どれほど我らが教えを広めんとしても、子を捨てる親はいる。子を愛さない親がいる。
我々は教えに則って子らを引き取り愛すが、捨てられる子の頭数が多すぎる。どうしたって彼らに十全な愛を注げない。所詮他人だ、親以上の愛を与えるなど土台無理な話よ。
それでも偽の愛で守り慈しまねば子らは死んでしまう。偽善と冷笑し切り捨てても誰も救えぬのだ」
彼はグラスをくゆらせる。その仕草で彼がこれまで味わってきた悲しみの総量を押し測る。
「真実の愛は千年王国にある。そこにしかない。世は偽の愛に満ちているからこそ、人々は真実の愛を希求する。真実の愛を得るために不断の努力を続けることができる。それでいいじゃないか」
「司祭さんの考えは現実に即してる気がしますけど……」
「地に足がつかない考えなど妄言に過ぎん。
大司教も腹の底では真実の愛など信じてないと思うぞ」
「そうなんですか? 以前お話を伺った時は、真実の愛について懇々と説かれましたが」
「あれはなぁ。容貌のせいで苦労してきたことの方が多いんだ。どこに行っても女が群がってくる。
股間を触られるのは当たり前、服に月のものや愛液をかけられたり……」
「エグくないっすか?」
私は思わずゲップする。阿吽の呼吸で大柄司祭もゲップした。
「まだましな例だ。……ただでさえ国崩しの王子と呼ばれて捻くれたところに、そうした事柄が積み重なって、ますますあれはひねてしまった。
愛などクソ喰らえと思ってるだろうな」
「待ってください。王子? 大司教様が?」
「言ってなかったか」
私は大柄司祭のグラスにワインを注ぐ。最近はケチって安酒ばかり持ってくる。
「大司教はな、現王の双子の弟に当たる」
「マジっすか」
「事の重大さがピンときていないだろう。お前は少し聖書を学べ、阿呆め。
……妖魔の親玉たる火の妖魔と月の妖魔、奴らは双子なのだ。兄妹であるにも関わらず輩どもは男女の契りを交わす。双子は淫行と罪の寓意、穢れの象徴だ。
何か聞いたことはないか? 誰それの家は双子だから不義の子に違いない、だとか」
私はアルコールに浸った脳で、村の生活を思い返す。
「そういえば……。おばちゃん連中がそんなこと……言ってた……、ような?」
「ほらみろ。それが王族から産まれたんだ。縁起が悪いにも程がある。
さらに悪いことに当時存命だったカミガタリの予言があった。この双子は王国を滅ぼす存在になるだろうと。王は悩み抜いた末に双子の弟を殺そうとするが、果たせなかった。あまりにも赤児が美しかったからだ」
「美しい赤児って……」
しわしわの赤ん坊に美しいもクソもあるか? ベールのせいで二割り増しに顔が熱い。
「私も赤児の頃の大司教を見ていないからな、よく分からん。
予言を実現させぬよう弟は廃嫡、教会に預けられた。私が世話をするようになったのは、あれが六歳の時だったか。あの頃から性格がな……」
「大司教様が若くして成り上がった理由って、元王族だったからですか!」
「本人の前で絶対言うなよ。
あれは孤児や身寄りのない者を積極的に受け入れ、援助している。その人数はこれまでの比ではない。
さらには国に散り散りとなっていたガミガタリをまとめ上げ教会直轄の呪術騎士団復活させ、神の呪いを貰わずカミガタリの力を行使する法を確立させた。機密故、詳細は私も知らんがな」
「じゅじゅつきしだん」
漫画かよ、とぼやきそうになるが発言を飲み込む。私とて赤児の呪いなるものに蝕まれていたのだ。
「実績はあるんだ、あれは。
しかし出自故必ずケチがつく。あれが忙しいのも、教皇の跡目争いのせいよ。闘争に負けると、あれは教会にいられなくなる。あれは手柄を欲している。難癖のつけようのない、圧倒的な手柄が。
圧倒的な手柄……教会二百年の悲願を果たすことに他ならん。聖戦だ。他国へ分け入り、バダブの民を、妖魔どものこさえた褐色の肌をもつ民を轢き潰し舐り弄び鏖せんとしている。
そのために呪術騎士団を復活させた。とどのつまりは私兵と一緒よ。兵は揃った。次は金だ」
大柄司祭がしゃっくりをした。
「この教会、例年にない収穫高なる見込みだそうだ。あれの目論みは大当たり。たまたま豊作の年にお前がいるだけかもしれんが……。どちらにせよ一度お前の故郷に帰って確かめねば。
存在しているだけで作物に有意な影響を与える女、か。これが女神に祝福されし御子……」
ちらと大柄司祭が私を見やる。
「お前聞いてないだろ」
「なーに言ってんすか。酔っ払いにちゃんと話を聞けって方が無理な注文ですよ」
「それもそうだな!」
ギャッギャッと私たちは笑い合う。
翌朝見張りちゃんから説教を受けるまでがワンセットである。
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