口なしドゥワァ、愛を求めて、

 少女が雪原を走る。その勢いのまま雪へ倒れた。慌ててドゥワァが駆け寄る。少女は体を起こし笑顔を見せた。


「見て!」


 雪上には少女の形のあとが残っている。ドゥワァもうしろ向きに倒れる。ぼすりと音がする。空は青々と広がる。しんと静まりかえった世界がドゥワァを包む。深呼吸する。太陽がまぶしい。

 少女がドゥワァの顔をのぞき込み手を差し伸べる。どきまぎしながら彼女の手を取る。

 振り返るときれいなふたつのひとがた。衣服のしわまでくっきり残る。


「次は手をつないだやつ作ろう!」


 少女からあふれ出す鮮烈な生命力にくらくらする。呪いで蓋をされていただけ。巨木に似た圧倒的な存在感が黒い霧本来の姿だ。

 少女がドゥワァを見つめる。


「うさぎの手袋とマフラー、どうしちゃったの?」


 ドゥワァの心臓が苦しくなる。


「なくしちゃった?」


 少女に向けられるであろう視線を想像する。

 妖魔に取られたと話できたら。ドゥワァに口はない。

 ドゥワァの頬があたたかくなる。少女がドゥワァの頬に手を添えていた。


「泣きそうな顔しないで。大切にしてくれてたのは知ってるから。

 私もね、小さい頃大切にしてたぬいぐるみがあったの。大好きだったから、いつも持っていってたから旅行先でなくしちゃって。親にすごく怒られた。大切にしてなかったからなくしたんでしょうって。違うの。大切にしてたからこそなくしちゃったんだって言いたかった。

 ……ええと、だからつまり……」


 ドゥワァは少女の話が理解できない。

 黒い霧がぬいぐるみを抱いていた姿を見たことがない。両親とは生まれてすぐに死別したのではないのか。


「わざとなくしたんじゃないでしょう? だから気に病まないで」


 少女がはにかんだ笑みを浮かべた。

 少女は自分がつけていた手袋をドゥワァに譲る。厚ぼったい毛糸の手袋は彼女の体温で暖かくなっていた。


「来年にはちっちゃくて使えなくなってただろうし。この冬は私の使っていいから」


 ドゥワァは編み目のかすかすなマフラーを巻かれる。言葉を交わさずとも理解し合うことはできるのだと学ぶ。素朴な感動に胸が震えた。

 少女はドゥワァを理解してくれる。


「ドゥ、今日からここがあなたの部屋」


 青葉が薫る季節にドゥワァは老婆の部屋を与えられた。


「何をしようとあなたの自由。好きな時に来て、好きなことをしてちょうだい。ここはもうあなたのものなんだから」


 ドゥワァは喜ばずにはいられない。生家に戻らなくて良いのだ。本当の意味でドゥワァの居場所ができた。

 少女はドゥワァの全てを理解してくれる。


「ドゥ、物に当たったり私を殴ったりするのやめて!」


 少女はドゥワァを理解する者であるはずだ。


「どうして怒ってるの? わからないの、ドゥ。あなたが分からない!」


 ドゥワァの期待は何度となく少女に裏切られる。季節を追うごとにドゥワァは学んでいく。

 少女はちっとも大したことない。

 村人と関わろうにも緊張しすぎて挙動不審になる。少女の強張りが村人に伝わって相手を疲れさせ辟易させる。空気を感じ取った少女はますます醜態をさらす。


「もしドゥが私を嫌になったなら、無理に気を遣ってここに来なくていいからね。ごめんね」


 激しい喧嘩のあと少女は言った。自分から関係を終わらせるのが怖いのだ。相手がそう望んだからと言い訳を欲している。

 ドゥワァの心情をこれっぽっちも理解してくれない。その上ドゥワァより背が高い。

 なんなんだこの女。


 だがドゥワァは知っている。


「私とドゥだけの秘密基地ね。大切な秘密を打ち明けてくれてありがとう。この秘密基地に名前つけた? ふたりで考えましょう。約束」


 憤りも苛立ちも失望も瑣末なことだ。少女の笑顔を前にしたら消し飛んでしまう。

 この少女は滝壺だ。底のない滝壺だ。沈みこそすれ浮かぶことはできない。ドゥワァ自身ももまた滝壺で溺れ死ぬことを望んでいる。


 ドゥワァは少女にも自分を好いて欲しいと願うようになっていた。悲劇の始まりである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る