口なしドゥワァ、全て失い、

「今晩褪せ肌に夜這いをかけよう」


 今となってはいつどんな経緯で男たちの会話を聞いたか覚えていない。ただ確かに村の男三人が話していたのをドゥワァは聞いた。


「あすこは村から遠いし誰も気づかない」

「まだガキだから自分が何されてるかもわかんねぇだろ」

「後見人もいねえから壊しても問題ない」

「いいオモチャだ」


 ドゥワァは会話の大半を理解できなかった。考えるより先に男ひとりの横面を殴りつけていた。

 男たちはドゥワァより力があり体つきも良かった。押さえつけられ何度も男たちに殴られる。意識が飛びかけた。ドゥワァは抵抗した。首に食らいつき目を潰しにかかった。

 気がつくと男たちは地面に転がっていた。視線の端がチカチカまたたいていた。

 周囲には人集りができている。ドゥワァは魔女の小屋へ向かう。

 ドゥワァを見た少女は泣いた。よっぽど目立つ怪我をしていたらしい。殴られ過ぎて熱を出し数日間寝込む。怪我の痛みよりも少女に泣かれてまいった。



 ドゥワァはモミの木を登る。熱は引いた。切れた口内が痛む。


『あなたを殴った人を教えて。そしたら私がぼこぼこにしてやる!』


 自分より力も度胸もない少女は必死の形相でドゥワァに言った。ドゥワァが男たちを指差して教えようものなら少女は本気で殴りにいく。恐怖に体を震わせながら。

 己が情けなかった。


 ドゥワァはささくれた幹に腰掛け村を見下ろす。森に囲まれた村の中央にとんがり頭の教会。村の大半は畑で家が点在している。川ははるか東側にあった。


『お前は愛する者と結ばれず』!


 湖月の妖魔の言葉を思い出す。

 今のドゥワァは無力な上に口なしの餓鬼だ。少女を愛するに相応しくない。湖月の妖魔の言葉も納得だ。

 男として誰からも認められる偉い人にならねばならぬ。さもなくば少女のとなりに立つことすら恥ずかしい。

 この村一番の働き者になろう。そうして初めて少女を愛するに相応しい存在になれる。


 清冽な覚悟がドゥワァの胸に宿る。


「おーい! お前、口なしドゥワァだろ!」


 聞き慣れない声がする。目をやると赤毛の少年が樹下で手を振っていた。


「俺、教会の神父の次男坊! よろしく!

 村はあんたの話で持ちきりだよ。口なしドゥワァが大の大人三人を殴り倒したって! すげえよあんた!」


 赤毛は両手を広げ叫んだ。


「ドゥワァ、俺と友達になってくれ!」


 ドゥワァの生活が一変した。

 赤毛は話たがりだ。放っておくと延々話し続ける。ドゥワァは気が楽だった。

 赤毛は村の女を年齢問わず口説いて回る。少女も赤毛に口説かれる。ドゥワァは気が気じゃない。


 手伝っていなかった生家の畑仕事を熱心にやるようになった。朝は誰よりも早く畑に出た。皆が寝静まった頃小屋へ帰る。体を動かせば動かすほど体力がついた。


 村では豊作が続き食糧があふれた。生家の畑のみらず家々の手伝いに奔走し食糧を手に入れる。食べれば食べるだけ背が伸び力がついた。


 少女と共に過ごす時間は減った。その分ふたりで過ごす時間がかけがえのないものとなる。


 一度赤毛とふたりで森を散策していると熊に出くわした。辛くもふたりで追い払う。赤毛をかばいドゥワァは軽い怪我をした。以来赤毛はドゥワァのことを親友と呼ぶようになった。

 ある日父を殴り返す。以来父はドゥワァに近寄らなくなる。


 赤毛のツテで村の若衆の仲間入りをする。認められた男だけが参加できるグループだ。ドゥワァはそこで農耕に関する知識や狩猟の知識を学ぶ。酒を知る。甘ったれた性根を矯正される。年上を立てることを学ぶ。

 若衆の宴会で珍しく女の話になる。


「女にゃとりあえず愛してるって言っとけばいい」


 酔っぱらった赤毛は語る。赤毛はよく女に言い寄られ愛される。皆秘訣を赤毛に乞うた。


「誠意とか愛情とか、どんなに尽くしてもあいつら理解してくれない。女が理解できるのは上っ面の愛の言葉だけ!

 心からの言葉じゃなくていい、どうせわかってくれねんだから……」


 ドゥワァは酔い潰れた赤毛を家まで送ってやる。近い生家に寄らず魔女の小屋へ向かう。

 ドゥワァは言葉が話せない。愛を伝えられない。赤毛の言葉が正しいのならドゥワァはいかにふるまうべきだろうか。答えは出ない。

 深夜だというのに小屋の中が明るい。扉を開くと机に突っ伏していた少女が面を上げた。


「お帰り。飲み会お疲れ様」


 少女の目はしょぼしょぼだ。机上の蝋は短くなっている。ふらふらと近づいてきた少女をドゥワァは抱きしめた。


「ドゥはあったかいねぇ」


 寝ぼけた声が腕の中から聞こえる。

 ドゥワァは自分の部屋のベッドへ少女を運ぶ。少女の提案で別の場所で寝るようになったため同衾は久しぶりだった。

 寝息を立てる少女を抱きしめる。体が細い。彼女の髪のかおりをかぐ。額に口付けようとしてやめる。あまりに彼女が美しく汚すを躊躇われたからだ。眠りに落ちる直前もう一度少女を強く抱きしめた。


 夢を見る。


 少女がドゥワァと同じ肌の色を持つ赤児を抱いていた。少女と目が合う。少女は目を綻ばせた。



 少女は歳を重ねるごとに美しさに磨きをかけていく。


「お前さぁ、褪せ肌ちゃんに近づく男にガンつけ過ぎ! あからさまに機嫌悪くなるしさぁ! お前のせいで、男どもみんな褪せ肌ちゃんに近づけないんだぞ!」


 赤毛に肩を小突かれる。ドゥワァも赤毛の肩を殴り返すと赤毛は笑った。



 ドゥワァへ好意的な視線を向ける女が増えた。勤勉に働く男を「セクシー」に感じると赤毛から聞いた。

 ドゥワァは覚えていた。自分がただの口なしであった頃彼女らが向けてきた視線を。害虫に向けるそれと同一の眼差しを。

 役人や領主付きの騎士から娘との結婚を打診されるようになった。

 ドゥワァは気づいていた。彼らはドゥワァを「勤勉に働く家畜」程度にしか捉えていない。彼らは次女や三女と結婚させようとしてくる。

 ドゥワァに家督を継がせる気がないことは明白だった。


 魔女の庭へ行く。

 少女が果実をもごうと手を伸ばしていた。ドゥワァは彼女を抱きかかえる。背の低い彼女の手ずから実を取れるようにしてやる。


「降ろして! 降ろしてください!」


 少女の紅潮した顔が好きだ。彼女の柔らかな体からほのかに香る腐りかけの果実の香りが好きだ。

 愛しい愛しい夜空の瞳。

 口なしで醜いだけだった頃から変わらぬ夜空の視線!

 

 彼女に惹かれて焦がれて頭がおかしくなりそうだ。



 ドゥワァは十四になる。

 ドゥワァの父が死んだ。


 父が死んだ。




 父が死んだ晩に小屋へ帰る。彼女が机に突っ伏して寝ていた。酒が床にこぼれている。

 ため息ひとつ。ドゥワァは少女を抱え上げる。腕の中の少女がドゥワァの胸に首を力無く傾けた。

 ドゥワァは衝動的に口付けする。息つく間もなく口付けを繰り返す。口内を執拗に犯す。啜った少女の酒臭い唾が糸を引く。少女は目を開かない。

 かわりに口が開いて言葉が落ちた。


「気持ち悪い」


 翌朝少女は繰り返し口をゆすいでいた。

 口付けを覚えているかたずねる勇気も方法もドゥワァにはない。



「早く結婚しちまえよ」


 青年になった赤毛は穏やかな表情で語る。


「村のみんなお前とあの子が結婚するもんだと思ってるぜ。とんでもない美人になったよなぁ」


 ドゥワァの微妙な表情の変化に気づいたらしい赤毛は肩を叩く。


「惚れた女じゃなくてもさ、別にいんじゃね? 俺も子供できちまったからってんで今の嫁さんもらったけど……。それなりに幸せよ。

 冬に親父さんも亡くなったんだしさ、ずっとひとりはキツいだろ」


 赤毛は諦めたような笑みを浮かべた。


「じゃ、帰るわ。ガキの面倒見なきゃ。

 あばよ親友!」


 家へ帰る友の背中がどこまでも遠く感じられる。


 おれを拒むのは口なしだからか?

 愛してくれないのは醜い肌の色のせいか?


 ドゥワァは彼女の背中に言葉をぶつける。ドゥワァの言葉が彼女の鼓膜を揺らすことは終ぞなかった。


 ドゥワァを拒絶する忌まわしい夜空の瞳。その瞳を抉り出してやりたい。



 春を賀ぐ祭りの席だった。

 教会の周囲には各地から押し寄せた商人が露天を開く。特設されたお立ち台では吟遊詩人が火の妖魔と月の妖魔の許されざる恋模様を切々と歌う。

 ドゥワァは彼女のために商人から木苺パイを購入していた。


「この女と結婚する! 結婚してやる!」


 村で後ろ指さされる乞食が吟遊詩人を押し退け宣誓する。乞食が手を引く女はドゥワァがよく見知った人物だった。ドゥワァは買ったばかりの木苺パイを取り落とす。


「言え、結婚すると言え!」


 乞食は女の肩を叩く。女は顔面を蒼白にし小さく頷いた。

 見間違えるはずがない。烏の濡れ羽色をした美しい髪。視界に入るたび焦がれた愛しい肌の色を。

 抉り出してやりたいほど望んだ夜空の瞳を。


 おれの女だ!


 ドゥワァの体に殺意が漲る。ドゥワァは通路を遮る村人を押しのけ乞食に近づこうとする。


 その女に手を出したらどうなるか分からせてやる。殺す。間違いなく殺す。間違えても殺す。



「はい。私はこの人と、結婚します」



 ドゥワァの求愛を拒み続けた彼女が宣言した。

 ドゥワァは歩みを止め殺意が急速に萎んでいく。頭に浮かぶは疑問符ばかり。


「ざまぁみろ! この女を得たぞ! 口なしめ、調子づいて、お前の女はもらったぞ!」


 脳が理解を拒む。


 ドゥワァはどうやって生家に帰り着いたか記憶がない。赤毛に助けてもらったような気もする。何か言われたような気もする。


 生家にドゥワァひとり。ぼうと椅子に座っている。無音が耳に痛い。


「秘密基地の名前決まった?」


 まだ少女だった彼女が声をかけてくる。ドゥワァは思い出の通りに頷いた。


「じゃあ教えて?」


 少女が上品に微笑んだ。

 幼いドゥワァは青年のドゥワァから離れて体をでたらめに動かした。


「待ってよドゥ、もっとわかりやすく教えてよ」


 本当は名前なんて決めてない。少女に構ってもらいたい一心でドゥワァは動く。


「わかった、ドゥの動きで当ててあげる。身の丈に合った秘密基地! 大きな三角屋根の小さな秘密基地! 僕と私の秘密基地! ……違う?」


 ドゥワァは首を振る。もともと正解なんてない。少女も多分気づいている。笑いが止まらなかった。楽しいばかりだった。

 あの頃のふたりは心が通じ合っていた。言葉など必要なかった。

 それも遠い過去だ。


 ドゥワァは納屋から持ってきた斧で机を真っ二つに叩き割る。父が使っていたベッドを八つ裂きにする。食器を棚から叩き落とす。

 ドゥワァは目につくもの片端から破壊していく。


 ドゥワァの人生は彼女によって構成されている。身を粉にして働き続けたのは彼女に苦労をさせないため。生きてきた時間全て彼女のために捧げてきた。言葉よりも雄弁に行動で忠心を示し続けた。最大限の愛情を彼女に注いだ。


 椅子を腕力でもって粉砕する。壁に拳で穴を開ける。扉に頭を何度も叩きつける。額が切れ血が流れる。彼女が見たら悲しむだろう。

 だが彼女は別の男のものになった。


 よりによって年上の男と結ばれようとしている。自分よりもひと回りも年上の男と!

 目の前が真っ暗になるような屈辱感が襲いかかってくる。口惜しさのあまり唇がぶるぶると震える。


 あのクズを選ぶなんて!


 ドゥワァはさめざめと涙を流す。もう彼女が分からない。


『女にゃとりあえず愛してるって言っとけばいい』

『誠意とか愛情とか、どんなに尽くしてもあいつら理解してくれない。女が理解できるのは上っ面の愛の言葉だけ!』


 親友の言葉が頭をよぎる。

 血の滲む努力も満腔の誠意も口なしと醜い肌をくつがえすには足りない。


 こんな想いをするくらいなら霧と出会わなければよかった。他の村人と同じように蔑ろにして欲しかった。

 彼女に愛されなければドゥワァも彼女を愛さなかった。


 ゾッとするような白い肌の赤児を抱く彼女を想像してしまう。


 ドゥワァは激しく嘔吐する。

 強烈な臭気を放つ吐瀉物を眺める。

 彼女を殺してやりたかった。

 夜空の瞳が憎くて憎くてたまらない。


 ドゥワァは刃こぼれした斧を片手に自分の血に濡れた扉へ手をかける。小屋へ行けば彼女がいる。間違いなく酒を飲んでいる。手をかけるのは容易い。

 取っ手を握りしめる手が震えた。斧を扉へ叩き込む。斧は扉をぶち破り外へと飛んでいく。床にへたり込む。


 彼女を殺せない。

 ドゥワァは彼女を愛していた。


 ドゥワァに残されたのは己の吐瀉物と風の吹き荒ぶ古びた家屋のみ。


 口なしドゥワァ恋をした。

 口なしドゥワァ身の程知らずに愛を求めた。

 そして全てを失った。


『お前は愛する者と結ばれず、愛した人間共々十五の歳に死ぬ。この運命は変えられない。決して、決してだ!』


 ドゥワァは今年で十五となる。

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