第12話 私はひとり舞台で踊る

 季節は過ぎて。



 豊作は続き、今や馬を持っている家の方が少ない。馬は良い。調教が牛より簡単だし、小回りがきく上に動きが早いから仕事が早い。まぁ私は持ってない方なんですが。

 空前のベビーブームであっちもこっちもおぎゃあおぎゃあ。商人の出入りも増え、数年前では考えられないほど活気に満ちている。

 村ではとある人物が注目を浴びていた。


 ハロー皆さん十三になった私です。髪が腰まで伸び身長が多少伸びました。鏡を見ると胡散臭いくらいの美少女に正統進化してて笑います。

 そんな私は今、坂を登っています。勾配のキツい坂を、麻袋いっぱいの小麦を背負って歩いています。


 そうです、苦役です! しんどい時ほど自分を揶揄してからかうクセが治りません!


 ばばあのように声にならないうめきを上げていると急に背中が軽くなる。近頃村でうわさのドゥさんだ。うしろから歩いてきた彼が、私の麻袋を持ってくれたのだ。

 ドゥはすでに三つの麻袋を抱えていたが、私の麻袋も担いで歩き去ってしまう。慌てて彼を追いかける。

 怜悧なドゥの横顔は、何度見ても見慣れることはない。


「ドゥ、平気。私強いもん。運べるよ」


 ドゥは鼻を鳴らすと早足で坂を登っていってしまった。追いかけるも、太ももが重くて言うことを聞かない。

 ここ数年でドゥの背はつくしのように伸びた。よく食べ、よく働き、村一番の美丈夫へと成長した。

 ドゥが村を歩けば黄色い歓声が上がる。男たちからの信用も厚い。彼に手を上げようとするバカはどこにもいない。今では私と過ごすよりも村の男たちと過ごす時間の方が増えた。

 で、私に残ったのは空疎な人間関係のみと。


 私が無理に村人とのパイプ役にならずとも、彼はひとりで円滑な人間関係を築くことができたのだ。私の努力はなんだったんでしょうね。


「ドゥ。お前さんは牛よりも力持ちで我慢強く、馬よりも鋭敏に働く。うちの娘と結婚して婿にならんか?」


 息も絶え絶えで坂を登り切るとドゥが役人に話しかけられていた。膝が震え、汗が無様に垂れる私とは対照的に、彼は余裕の表情で次の指示を仰ぐ。

 仕事ができない無能と婿に来てくれと懇願される有能男。これが私とドゥの差です!


 どこで差がついた? いつの間にドゥは遠くに行った?


「……ドゥ、ありがとう。次は必ず私ひとりでやるから。余裕だから、ね?」


 働くから、働くから!

 無能な私にも居場所をください。



 小腹が空いたので、老婆の木になる果実を取ろうと手を伸ばすがどうにも届かない。幹に手をかけつま先立ちで手を右へ左へ、どうやったって届かない。

 黒い手が私の狙っていた実を取った。目で黒い手を追う。ドゥだった。頭ふたつ分私より大きい彼は、私の手に赤い実を握らせる。

 

「……ありがとう」


 あまり反応の良くない私の態度が気に食わなかったのか、ドゥは形の良い眉をひそめた。

 途端私の視界は緑に染まり、体のバランスは大きく崩れる。私は混乱してばかのひとつ覚えみたいにドゥの名前を呼び、目の前の何かにしがみつく。


 呼吸を繰り返して気づく。泥と汗の働き者の香りに包まれていたことに。目を凝らして気づく。視線がいつもより高く、周囲には成った実がたくさんあることに。

 私は腕を解き、必死になってしがみついていたものを見る。


「ドゥ!」


 彼が私を抱きかかえていたことを理解し、頬が熱くなる。


「危ないし、私重いから! 降ろして!」


 ドゥは涼やかな緑瞳を細め、口を開く。


「……食べさせろって? ドゥ、あなた届くでしょ。自分で食べなさい!」


 彼が首を振るたび、彫りの深い顔に影が落ちる。口をまん丸に開けたドゥが憎たらしく、さっき取ってもらった実をそのまま口に入れてやる。


「ほらいいでしょ、降ろして! 降ろしてください!」


 彼は時間をかけて実を咀嚼する。種を地面へ吐き捨て、また私に向かって口を開いた。

 心臓が跳ねる。顔がカッカッと熱い。

 頼むからやめてくれ。


「ドゥ、あとで食べさせてあげるから……! 降ろして……!」


 ドゥはひしと私を抱えたまま離してくれそうにない。ドゥを怪我させては大変なので、私も思い切り抵抗できない。

 否、抵抗できない本当の理由は、私は彼を愛して



 彼を愛して良いわけないだろう!


 私は酒の入ったコップを机に叩きつける。

 ハローハロー十四歳になった私です。ドゥは帰りません。こんな日は酒を飲むに限ります。

 今日、ドゥの父親が亡くなりました。彼はいつもの仏頂面で淡々と葬送の儀式に臨んでいました。式が終わり、彼は墓前にひとり。声をかけようとして気が付きます。ドゥは必死に声の出ない口を動かし、何かを伝えようとしていました。唾を吐き、地面の草を引きちぎっては墓に投げつけていました。

 最後は墓前に伏して肩を震わせていました。


 私が転生を拒んでいたら、父子がすれ違う悲劇は起こらなかった!


 女神に否を突きつけていれば、ドゥは抜けるような白肌で生を受け、言葉も話せ、真っ当に生きれた! 優しい家族に囲まれ何不自由なく、辺鄙な場所に建てられた魔女の小屋に来なかった!

 私という異世界からの外来生物が何もかも台無しにした!


 私は酒をあおる。


 どうして健康を犠牲に酒を飲むか知ってる? 飲まないとこの夜を越えられないからだよばーか。


 幸せな記憶を思い返す。


 ドゥはまだまだ小さくて、緑瞳も大きいまま。外は吹雪、私とふたりで家遊び。

 小さな小さな彼が、全身を大きく伸ばす。手を開いて閉じて。彼のボディーランゲージをヒントに知恵を絞る。


「身の丈に合った秘密基地! 大きな三角屋根の小さな秘密基地! 僕と私の秘密基地!

 ……違う?」


 私たちはブナの木の下の秘密基地名を考えた。ドゥに妙案があるようで、先ほどから激しく動き回っている。彼の考えを言語化したいが何かを言うたびドゥの首は勢いよく揺れる。


「もっとかっこいいやつ? 全てを幻夢に還す密の帷とか……。ハイパーラストエクスプロージョン最終基地みたいな? えっ違うのか」


 若い子のセンスが分からなくてタジタジになる。ドゥは笑い通しだ。言葉が通じないことそれ自体を楽しんでいるが如く。


 言葉がなくても笑い合えていたあの日々よ!

 酒の入ったコップを倒してしまう。机に広がる液体をどうしようも出来ず、私は突っ伏した。



 ドゥに口づけした夢を見た。目覚めてすぐ、井戸水で何度も口をゆすぐ。

 ドゥを性的な目で見ている己の性欲がおぞましかった。軽い吐き気すらあった。彼から全てを簒奪しておいて、性的な目で見て脳内レイプとか恥を知らないの?



 時は止まらない。



「ツラがいいからってお高く止まりやがって、褪せ肌め」


 春の訪れを祝う祭りで村人が私に声をかけてきた。顔には加齢の跡が深く残されているのに、どことなく成長しきっていない印象を受ける男だ。頭髪は残っておらず、体中にシミがある。

 彼は個性的な面立ちと気質故に齢四十を超えても所帯を持たず、働きもせず、物乞いして食いつなぐ。どんな扱いをされているか語るまでもない。

 

「てめえももう十五だろ。このまま醜いばばあになって、てめえの人生は終いだ」


 私の心臓はどきりと跳ねた。


 この世界において十五という歳はもう若くない。同年代の村人たちは結婚し、子供までいる。私は行き遅れだ。広場で繰り広げられる催し物を漫然と眺めながら考える。

 この異世界は元の世界より結婚しろ圧が強い。結婚していない女は軽蔑され爪弾き。

 一人前の人として見てもらえず、何かにつけて「だから結婚もできないんだ」と陰口を叩かれる。もちろん女社会での身分は最底辺。

 女社会とは身分社会の言い換えだ、最底辺の女には何をやっても許される。


 ドゥと疎遠になって、さらには空疎な人間関係すら失ったら、私は一体どうなってしまうんだ?


 声をかけてきた男に目線を送る。彼が笑うと黄色く不潔な前歯が見えた。結婚と恋愛は違うのだと必死に言い聞かせる。


「感謝しろ、俺がお前をもらってやるよ」


 私は前世から歳を数えると齢は軽く三十を超える。見た目の年齢こそふた回り違うが、精神年齢はどっこいだ。そもそも私が男を選べる立場ではない。村の男から求愛されることは一度としてなかった。

 ドゥでさえも、私を求めてくれなかった。ドゥと「そういう」雰囲気になった機会は幾度となくあった。しかし彼は私に手を出さなかった。愛してくれなかった。

 石垣から降りて、私を欲してくれた唯一の男に手を差し出す。


「……よろしくお願いします」


 男は満足げに頷くと、私の手を強引に引っ張り歩き出す。男の力強さに思わずうめくが、私は安堵していた。

 これで私も結婚できる。恋愛ゲームからようやく降りれた。女性社会での最底辺を回避できた。

 この男と結婚すれば間違いなく地獄を見る。この身は穢れ、不快と生理的嫌悪感と共に日々を過ごす。散々他人の人生を引っ掻き回した女には丁度良い。私に必要なのは罰だ。


 このおっさんと結婚することを罰ゲーム扱いしている私、倫理観酷過ぎやしないか?


 祭りの催しを押しのけ、私との結婚を大々的に叫ぶ男の横顔を盗み見る。男は満遍の笑みを浮かべ、幸福そうだった。


 便所みたいなおっさんとの結婚は心底嫌だけど、結婚したという事実だけが欲しい。

 ついでに罪滅ぼしをしたい。


 これが私の思考回路。男の笑顔でいたたまれない気持ちになる。相手は素直に私との結婚を喜んでくれているのに、わたしは男を穢れそのものと捉え見下している。

 自分の非礼に吐き気がする。

 男が私の肩を叩く。強い衝撃に肩がひりひり痛む。


「言え、結婚すると言え!」


 覚悟を決めろ。この小汚い男を、生涯かけて愛し養い尽くすと誓え。何より相手に望んでもらえているのだ。

 これ以上何を望む?


「……はい。私はこの……。この人と、結婚します……」


 おっさんの名前知らねぇ。失礼が過ぎてウケる。泣きそう。

 ドゥの目が、燃えるような緑瞳が、脳裏から離れない。



 その日の夜アホほど酒を飲む。

 おっさんは今晩から家に来いって言ってたけど、他の村人が止めてくれた。結婚式前に初夜など言語道断! 風紀を乱すな! とのこと。

 おっさんに押し切られて明日か明後日には同居してそうですけどね。独身最後の夜ですわ。

 当然ドゥは小屋にいない。コップを机に叩き付けたらついに割れた。ドゥと揃いのコップだったのにね。笑う。


 涙があふれて止まらない。


 どうしてドゥは私にプロポーズしてくれないんだ? 私と結婚すると言ってくれれば、理由をこねくり回してなんやかや彼と結婚していた!

 いや違う、私はドゥとだけは結婚したくない! 私はドゥの人生を壊したから、加害者だから結婚は無理だけど彼と結婚したかった。


 私は何を考えている?

 思考と言葉が錯綜して意味不明。誰か翻訳と解説を!


 どうしてうまくいかないんだろう。

 思えば前世からそうだった。

 必死に受験勉強して、それなりの高校に行って、ほどほどの大学に行って、ショボい企業に就職して。真面目に働いて、納税して、たまの贅沢を楽しみに毎日を生きて。そしたら女神の手違いで死んだよ。

 私は人生をどこで間違えた?


 本当は知っている。どうしてうまくいかないか。恋愛ひとつまともにできないのか。

 それは私が、どうしようもなく、


  *


 異世界は糞。女神も糞。

 でも一番糞いのは私。


 どうしようもなく糞なのが私。一番真っ先に死ぬべき存在が私!

 満場一致の大真理。

 死んじまった方がいいのに死ぬ勇気もないんだ前世から。未だ前世の精算できてないのすごくない?


 紳士淑女の皆々様!


 私は脳内劇場で声を張る。

 どうか私を嘲ってください。最近は自分を嘲る余裕すらなくなったんです! せめて誰かに笑ってもらえたらまだ私は救われる!

 たったひとりの晴れ舞台。舞台を転げ回る私を無人の客席が睥睨している。


 明日から地獄の結婚生活編が始まります! 急展開でわくわくしますね! たのしー!

 お願いです、皆さん嘲り嗤い笑ってください!


 

 笑えよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る