第11話 移ろう季節、変わりゆくあなた
私を手違いで殺した女神は糞である。
あの糞ビッチ女神の雑転生によって本来産まれるべき赤児は死に、両親は諍いの末果てた。ドゥの声が出ないのだって、赤児の呪いをもらったのも糞糞女神のせい。糞女神糞マジ糞。
糞女糞神糞糞に転生されられたこの異世界も、不衛生で不便な糞世界である。文化が洗練されておらず、痩せた農民が己が食うためではなく納税のために働く。ネット環境はないしYouTubeもない。TwitterもマカロンもUSJも漫画もSwitchもない。滅んでしまえ。
満場一致の大真理だ。
*
ドゥの手を借りマリアの部屋を片付ける。
穴の空いた下着、底が焦げついた器、かたわの靴、異臭のする端切れ。山のものとも海のものともつかぬ物体を次々火にくべていく。
部屋の掃除も骨が折れた。天井をほうきではらうと、数十年間積もりに積もったほこりが落ちてくる。壁と床を水拭きすると、瞬く間に布が黒ずみ使い物にならなくなる。腐った床はどうしようもない。部屋のベタついた臭いを消すために何日も窓を開けっぱなし。
片付けがひと段落したのは初夏の候。物置にあった木箱を並べ、干草を詰めた麻布団を置いてやる。
「ドゥ、今日からここがあなたの部屋」
戸の前に立ち尽くす彼の手を引き部屋の中央へ。『自分の部屋』という概念をうまく飲み込めていない様子だった。
「ドゥ、目を閉じて。頭の中で想像するの。
何を置こうとあなたの自由。想像して。あなたが河原で拾ったつるりとした、瑠璃色の石を窓辺に並べるの。太陽の光に反射して七色に輝いてきっと綺麗よ。
天井に拾ったまだらの羽を飾るのもいいかもしれない。部屋の角に、杖にも剣にもなる丈夫な木の枝を置いてもいい。
ねぇ、わくわくしない?
何をしようとあなたの自由。好きな時に来て、好きなことをしてちょうだい。ここはもうあなたのものなんだから」
ドゥの頬は紅潮し、開かれた緑の目はきらきらと輝いていた。彼の頭を撫でる。
ドゥは赤児の呪いを解いてくれた命の恩人だ。ちょっとずつ、恩を返していければいいのだけれど。
村人との交流に力を入れる。村でハブられたら即死だからね仕方ないね。
村の行事には全参加。元気よく挨拶、決死の笑顔を着払いで送りつける。みんなが面倒がる村の美化活動も積極的に取り組み、休日は誰よりも早く教会へ向かう。
年上のにーさんねーさんの太鼓持ちに邁進し、年下の子たちの面倒も積極に殴り込み。
あとはひたすら媚を売る。
みんなの望むキャラクターはなんだろう? 自分を戯画化べったべった濃いめなキャラ付けお口に合いますか? 猫を叩いて被ってにゃんにゃんにゃん。
『私は善良な村人です!』『礼儀正しい子供はお好きですか好きですね!』『気安く声をかけてください! そして可愛がり愛してください!』
アイデンティティもプライドも自我もドブにスローイン。だって村人が望むのは従順で自分の意見を持った穏やかで明るく控えめで面白い便利な女。『私』はいらない。
私はいらない!
『私』を希薄希薄にしていたら、村人五十人とお友達になれました!
『子供のくせにさかしらで気持ち悪い』
村人たちからの悪口が聞こえる。
『いい顔したがり』『八方美人』
私が村人とパイプを作る。私がドゥと村人との架け橋になる。ドゥが少しでも快適に生きていけるように。
今日も私は拳に力込め歯を食いしばり笑顔を作ります。
あれ? 前世とおんなじ人間関係作ってない? 人の顔色ばかり伺って、言いたいことも言えなくて。おんなじ過ち繰り返してない?
あれ? なんだ? どうすればいいんだ?
ドゥとの揉め事が増えた。私が我慢すればいい。相手はガキなのだ。そのガキに本気で腹を立てなじってしまう自分がいた。ドゥは言葉を話せない。故に私が言葉をまくし立てて彼を傷つける。
どうして大人になれないのだろう。どうして寛容であれないのだろう。
私は居間の椅子に腰掛け、喧嘩の内容を反芻する。思い返せば返すほど恥ずかしい。些細なことに目くじらを立て、子供を追いつめて。自分の幼稚さに耐えられない。
外はすっかり暗くなっていたが、蝋に火を灯すのも億劫だった。
ゆるゆると月日が流れて行く。
村に激震が走る。
黄金の季節、麦の収穫期。これまでひとつの種籾から二粒しか取れなかった麦が、六粒も七粒も取れたのだ。この衝撃が伝わっているだろうか? 収穫量が三倍以上になっている。
村では人手が足りず、たまたま村に来ていた商人に手伝いを求める始末。私は他人の畑で落穂拾いに精を出す。対価に燕麦をもらえるのだ。
汗が目に入って痛いこと痛いこと。腰を何度か叩き背伸ばしをする。
なぜ収穫量が急に増大したのだろう?
肥料を改良したという話は聞かない。何もかも例年通り、むしろ今年は冷夏で不作を懸念されていた。それにも関わらず、生産効率が上がっている。品種の突然変異でも起こったとしか考えられない。
さて、と小さく呟き作業に戻る。
何につけても収穫量が増えるのは喜ばしいことだ。ご飯をお腹いっぱい食べられる。
自分たちの食糧だけでなく、家畜の飼料に回す村人も出てきそうだ。馬は高価な上に良質な飼料が必要になるため飼っている村人はいなかったが、これを機に馬の購入する者も出てくるだろう。
暮らし向きが少しでも良くなればいいのだけれど。
庭をいぢっていると、背後から手で目隠しされる。
「ドゥ? どうしたの? 目をつむっていればいいの?」
頷く彼の気配を感じ、素直に目を閉じる。間を置いてドゥの手が私の両目を離れた。疑り深い彼は私の顔の前で手を振っているようで、ついつい笑みがこぼれてしまう。
「ちゃんと目、閉じたよ。……これからどうするの?」
ドゥは私の両手を掴み、私の手を引き導き始めた。私は足裏の触感から、庭を抜け森へ入ったことを知る。
段差があるたびドゥが手を強く握り注意を促す。それでもつまずいて、足取りはおぼつかない。ドゥは辛抱強く私の手を引き歩む。その熱意に当てられて、私も慎重に歩き続けた。
言葉を話せない子供と目を閉じた女の、ふたりぼっちの大進行。三十分近く歩いてドゥは急に立ち止まり、私の頬を叩く。
「目、ひらいていいの? ひらくよ?」
目をひらけば予想通り森の中。ただし見知らぬ場所だ。苔むした地面は目に映えるライトグリーン。木漏れ日によって艶やかに光る。
伸び放題の木々の中で一際目を引くのは幹のがっしりとしたブナの木。
その隣に、円錐形の簡素な小屋が建てられていた。ドゥは私を小屋の中に入るよう急かす。私の背丈ほどしかない小屋は、子供が二人腰掛けるだけでいっぱいいっぱいだ。丈夫そうな幹で小屋の骨が組まれ、その上に腐葉土が葺かれている。地面にはオンボロながらも板が渡されていた。
「……ドゥ、一人でここを作ったの?」
ドゥは目を輝かせながらまばたきした。
「すごいねぇ、びっくりした! いつの間に作ったの?」
何度も頷いたあと、ドゥがそっと人差し指を私の唇に当てる。
「他の人には内緒にしないといけないの? ……わかった。私とドゥだけの秘密基地ね。大切な秘密を打ち明けてくれてありがとう。この秘密基地に名前つけた?」
彼の表情がころころ変わって面白い。はしたないと思いつつ、笑い声を上げてしまう。
「ふたりで考えましょう。ね? 約束。指切りしましょう。……指切りのやり方知らない?」
『指切り』という行為がお気に召したらしく、ドゥはことあるごとに約束と指切りを求めてきた。今日の晩ごはんはライ麦パンだ。ドゥとの指切り通りに。
きっと食後には明日の朝ごはんの指切りをする。
老婆の墓に埋めた種が実をつけた。大きさは拳ひとつ分、林檎とよく似た赤い果実はプラムのような味がする。
青々とした葉に隠れ成った実は、ドゥがつま先で伸びをしても届かない。
「いつか届くといいね」
私がドゥの取ろうとしていた実を取って渡してやる。私の方がドゥより頭ひとつ分背が高いのだ。こればかりはしかたない。
私と実を見比べて、彼は眉間にしわを寄せていく。
「ごめんごめん。悪気はなくて……」
ドゥの緑瞳は、言葉よりも雄弁に感情を示す。
季節は繰り返し、そして過ぎてゆく。
私は言葉をなくしてしまう。
ドゥの右目上にはでかでかとたんこぶができ、左目から頬にかけて紫色のあざができていた。口端は赤々とし、鼻血が痛々しい。
人為的にできた傷であることは明白だった。
ドゥが小屋の戸を開いたその瞬間に何も考えられなくなった。手酷い暴力を受けてなお彼は涙ひとつこぼさない。ドゥの父親も暴力を振るうがわかりやすく傷を残さない。他人の仕業だ。
「……ドゥ、傷の手当を。横になってて。ひとりで部屋まで行ける?」
ドゥは私の介助なしに部屋へ向かう。濡れタオルを用意している時、その後熱を出した彼を看病している時、私は延々泣き続けた。
ドゥは怒りっぽいが、心根は素直な良い子だ。感情豊かで利発的な子だ。こんなに優しい子が暴力を受けるとしたら、理由はひとつしかない。
ドゥは言葉を話せない。
コミュニケーションを取れず、疎まれ爪弾き。自然の帰結。いぢめは陰湿である。前世の世界でも、このナーロッパクソ異世界でも。
私の責任だ。私が、言葉を奪ったせいで!
ひたひたと私の背後をついてくる。過去の行いが、罪が、忘れるなと耳元でささやいてくる。
泣くな、泣くより先にこの子に対してできることを考えろと自分を叱責しても涙が止まらない。ドゥの前なのに!
どうすればいい? 誰に殴られたか詰問し、その相手を殴りにいくか? 私が関わったせいで余計話がこんがらがったら? この世界は男尊女卑が前世より凄まじい。女なんかに頼って、といぢめが加速する可能性がある。
ドゥは恩人なんだぞ誠意を見せろ!
怯えのせいで一歩も前に進めない。前世から一歩も進めてないんだもの当たり前っちゃ当たり前、反吐が出そうですね?
考えて、考え抜いて、私は今までと同じ結論を出した。
熱が引き、もりもり燕麦粥を食べるドゥの頭を撫でた。ドゥは心地よさそうに目を細める。
「ドゥ。自分で解決できなくて、どうしようもなかったらあなたを殴った人を教えて。そしたら私がぼこぼこにしてやる!」
緑瞳は私を見つめ返すばかり。
そう、私は物事の判断と責任を小さな子供に丸投げした。こんな小さな子供に!
私は物置に隠れ、布を噛みしめひとり泣く。情けなかった。
『先見の明があるわたくし様は知っている。同じ世界に転生してもお前はグズのまま』
糞女神の言葉を思い出す。ああそうだよその通りだよ流石女神流石だよ死ね。死ね。私は私である限り救いようがないグズだよ。死ね!
でも女神、あんたはばかだ。
同じ世界に転生しても異世界に転生しても、私はグズなままだったよ! 私は異世界へ転生してまで何やってんだ? 何もかも前世の焼き直し。
死ね、女神死ね!
本当は知っている。本当に死ぬべきは、
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