第2話 みんな大好きなーろっぱ

 私を扶養していた老婆が死んだ。

 転生して九年目の夏が過ぎようとしていた。


 見慣れた木製の天井さんこんにちは。今日もあなたは角っこが腐っていますね。今にも剥がれ落ちてきそうですね。


 ベッドから体を起こすと腰に鈍痛が走る。ベッドといってもタンスの上に藁を敷いただけのものだ。

 いっそ床で寝た方がマシなのだが、一度床で寝て耳をネズミに齧られ酷い目にあった。以来タンスの上で寝ている。

 雑多なものが転がる床を小さな体で器用に歩いて物置をあとにする。

 そう、私の部屋は物置なのだ。ハリポタみたいで素敵でしょ?


 女神様との悪夢じみたやりとりの後、冗談抜きで異世界転生してしまった。

 私が転生したのはなろう小説でよく見た中世ヨーロッパ風異世界。家から出ればすぐ森のクソ田舎。メイン産業は農業。キリスト教の影響をモロに受けたような教会もある。うける。

 冒険者ギルド? そんなもの存在しない。魔法? あるわけがない。トイレは源泉垂れ流し。家電三種の神器もスマホもなろう小説もネットフリックスも存在しない。

 夢なら覚めて? 今からでも元の世界に戻りたいです女神様。


 居間で蝋で作られた偶像へ祈りを捧げる。顔の部分がのっぺらぼうの、手足を省略して作られた偶像は未熟な胎児を思わせた。老婆は村の教会へ行かず、グロテスクな偶像を丁重に祀っていた。

 私は老婆の言いつけ通り、今日も偶像に祈りを捧げる。


『呪いの子! 朝日を浴びる前に、母の胎の中でお前は死ぬべきだった!』


 老婆を思うと彼女に浴びせられた罵倒もセットでついてくる。

 祈りを終えると耐え難い空腹が襲ってきた。置きっ放しの鍋の蓋を開ける。鍋にはふやけ過ぎて食感の残っていない麦の残骸があった。もう一口程度しか残っていない。私は汲んでおいた水を鍋の半分程度まで入れ火をかける。カサ増しのためだ。

 最後の一頭だった老いた家畜は相続税として、老婆が使い損ねたなけなしの金は死亡税として徴収された。

 残されたものは崩壊しかけの小屋、裏の畑、わずかな麦。その麦も今日で食べきってしまう。


 両親は私が産まれてすぐに死んだ。親族は私を憎み扶養を拒んだ。赤の他人でありながら、私を引き取り養ってくれた老婆も死んだ。


 私は鍋の中身を口に運ぶ。まずい。ほとんど水だ。二、三口だけ飲んで蓋を閉じる。残りは取っておかねばならなかった。


 小屋の裏にある畑へ向かう。領主はここを畑と呼んだが、痩せた狭い庭では育つものも育たない。伸び伸びと育っているのは食に適さないハーブとよくわからなく草だらけ。

 去年まではハシバミの木が植えられていたのだが、老婆が切り倒してしまった。残されたハシバミの切り株がわびしげだ。

 今朝雨が降ったのであろう、ところどころに水溜りができていた。


 老婆の死骸もそこに野ざらしになっている。雨に濡れたその姿は醜悪で、穴という穴から多足類が勤勉に出入りする。目は落ち窪み皮膚は骨に張り付いて、すでにほとんどしゃれこうべ。どんな言葉よりもあざやかに死を描写していた。

 これが村人から「魔女」と呼ばれ、忌み嫌われた老婆の最期の姿だった。


 共同墓地の使用料が払えなかった。引き取り手のいない死骸は私有地に埋める他ない。

 私はひとり老婆をぼろ切れの上に乗せ、ぼろを引きずるようにして畑まで運んだ。昨日はそれだけでバテてしまった。

 悠長に構えていられない。今日中に死骸を埋めねば。暑さの盛りが過ぎたとはいえ、この時期肉はすぐ腐る。


 私は木製のかごで地面を掘り始める。雨のせいで土が重い。栄養が足りない九歳児の体力はすぐ底をつく。数回土をすくっただけで息も絶え絶えだ。肩で息をしながら、ふと足元の水溜まりに目がいった。


 手入れせずとも艶めく黒髪はたおやかに流れ、大きな黒い瞳は星またたく夜空を思わせる。すっと通った鼻筋に息を呑む。唇は愛らしく目が離せない。頬はこけているが、それすらも人を魅惑するチャームポイントとなり得るだろう。


『醜く劣った容姿も美しく作り直してあげる』


 自称女神の言う通り幼いながらに完成された美貌は、なるほど非の打ち所がない。

 これが転生した私の姿だ。


 私は水溜まりに映った美しい顔を踏みしめる。踵で何度も執拗に、二度と水面に顔が映らぬよう、憎しみを込めて怒りに任せて踏みしだく。体が熱くなる。酸素が足りなくなる。それでも私は足を止めることができない。


 ここは中世ヨーロッパ風異世界。村人たちは欧米人のような金髪に白い肌、青い瞳を持つ。私の両親も村人同様の容姿をしていたらしい。


 金髪碧眼の両親の間に、黒髪で黒い瞳の私が生まれてしまった。


 私は産まれてすぐの記憶を持っていない。目が見えなかったし、どこか意識も曖昧模糊としていた。意識と記憶がはっきりし出すのは五回目の冬が過ぎた頃だ。

 それ以前の出来事は老婆が懇切丁寧に教えてくれた。



『お前の両親は村でも有名なおしどり夫婦だった。お前の父はお前の母の胎に子が宿った時、いたく喜んだ』


『胎の子は月がひとつも回らぬうちに産まれ落ちた。産まれ落ちたと同時に胎の子は死んだ』


『腹の子が死してなお母の胎は膨らみ続けた。お前の母は胎の存在に怯えた』


『果たしてお前が産まれた。父にも母にも似ない、色褪せた肌を持つお前が!』


『お前の父は妻の貞操をうたぐった。お前の母は不義を働いていないと主張し続けたが、お前という動かざる証拠があった』


『お前の両親の諍いは村中に知れ渡った。おしどり夫婦と呼ばれたふたりの姿はどこにもなかった』


『諍いの果てにお前の母はお前の父を生きたまま燃やした。お前の母は最後までその罪を否定していたが、縛首になった』


『おぉ、お前は呪われた子! 母の胎の内で死んでおけばよかったのだ!』



 だってさ。うける。

 さて、ここからは私の予測。確証はない。


 あの女神、「わたくし様の考えたさいきょーに美しい女」を作って、何も考えずに適齢期の女の胎に私をぶっ込んだんじゃないかと。お腹に赤ちゃんがいるかどうかも確認せずに。私が胎の中に滑り込んだせいで、本来産まれるべき赤ちゃんが無理矢理押し出されて死んじゃったんじゃね?



 もしそうだとしたら、女神のせいだとしても、人を三人も、せめて金髪であったなら両親は、でも私は、いや金髪でも私は産まれるべき赤ちゃんを蹴り飛ばして、でも私は悪くない、その子になり変わって両親を奪い取って、私は悪くない、人を殺した事実は変わらない。

 私は簒奪者だ!

 憎い。この黒髪が、半端な色の肌が、暗い瞳が何もかも憎い。私は悪くない。髪を引きちぎり皮膚を剥いで目を抉り出してやりたい。この見てくれが憎い。

 他人と異なる容貌が憎い!

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