第3話 どうしようもなくなった者だけが祈ります

 泥水の中で私は目覚める。

 体を激しく動かしたせいで過呼吸になり、気を失っていたようだ。

 口内に入り込んだ泥水を吐き出す。


 転生後の体は病弱だった。

 私が五年目の冬を迎えるまで記憶があまりないのも、ほとんど伏せっていたせいだ。月に一度は病を患った。興奮し過ぎると所構わずぶっ倒れた。老婆は病に倒れた私をほうきで何度も叩いた。


『お前にゃ呪いがかけられている。産まれる前に死んだ赤児の呪いだ。呪いが体にこびりついて、まともに見れたもんじゃない。体が脆いのも自業自得だよ、呪われた子!』


 老婆の罵倒が脳内で響く。私は死骸を埋める穴を掘る。太陽がいっとう高く登り、私のうなじを焼いた。くらくらしてくる。

 地盤は固く、幼く病弱な私の力ではどうしようもなかった。深さ十センチも掘ることができないまま、老婆を埋めることにした。


『毎朝の祈りを忘れるな。私の墓の上に必ずこの種を植えろ。必ずだ。いいね!』


 老婆は凄まじい剣幕でがなりつけた。それが魔女の遺言だった。

 私は老婆の遺言に従い、十円玉くらいの大きさの種子を植える。遺言に従うことが私を養ってくれた彼女への、最低限の礼儀のような気がしたから。


 種子を埋め終え、老婆の墓地を見やる。

 土が少なすぎた。周囲から砂利をかき集めたが、顔やら手やら足やら地面から剥き出しだ。腹が鳴った。

 私は手を合わせて目を閉じる。


 前歯の欠けた、醜い人だった。左目は病気か何かで開くことができないらしく、それがより不気味な印象を与えていた。しわだらけの顔は老木を思わせる。

 老婆は私にまともな食事を与えてくれなかった。家事を私にやらせ、気に食わないことがあると汚い唾を飛ばして怒鳴る。

 私を引き取ったのは使用人が欲しかったからだ。魔女は死後の墓守が欲しかったのだ。

 

 それでも老婆に恩義があった。この村で唯一私に手を差し伸べてくれた人だった。私が老婆を恨みきれない理由だ。

 彼女をひたすら憎めたら楽なのに。


「さようなら」


 ぽろりと言葉が落ちてきた。

 草木の揺れる音で合掌をやめる。

 目を向けると、緑の大きな瞳がこちらを見つめていた。


「ドゥ。……気がつかなくてごめん」


 ドゥと呼ばれた少年はぽてぽてやって来る。私の服の裾をつかみ、土に埋められた老婆を不思議そうに眺めていた。


「私と一緒に暮らしてた人がいたでしょう? その人が死んだの。そいで、埋めた」


 彼は首を傾ぐ。ドゥは私の同い年であり、幼馴染だ。


「死の概念がわからない? それとも、死んだ人を埋める風習が理解できない?

 ……ご飯食べよっか」


 魔女の小屋は大きなモミの木を越えた先の、村と森の境にある。ドゥの家から少し離れた場所にあるのだが、彼はよく魔女の小屋にやってくる。

 私たちは二人揃って小屋に戻り、ほとんど水になった鍋を火にくべる。ドゥは無表情で火を観察している。


 ドゥの本当の名はドゥワァ。化物の名じみているが、実際聖書に出てくる化物から取った名前らしい。

 なんでも私を転生させてくだすった女神様を騙して彼女の腹を破り、胎児ごと女神を殺した化物なんだそうな。ガチモンの化物でうける。

 

 程よく温まったので鍋の中身を全て皿によそい、ドゥへ差し出す。もう麦は形も残っていない。


「全部食べていいよ」


 スプーンやフォークなんて小洒落たものはない。ドゥは直接皿に口をつけて麦の混じったお湯を飲み下す。


 老婆は私に語る。

 黒髪に褐色肌の彼は、私と同じく金髪碧眼の両親のもとに産まれた。ドゥは産声の代わりに「おもしれー女」と叫びながら産まれたらしい。


『「おもしれー女」って言う、黒髪褐色肌の男を用意すればいいのね? ふふふっ、キモい趣味!』


 そう、ドゥこそ女神が用意した私の番である。無論ドゥの両親は女神のご高配なんぞ知る由もない。


 老婆は私に語った。

 ドゥの髪、肌の色、そして「おもしれー女」発言。何よりドゥの両親は婚約こそしたものの、一緒になる前の子だった。

 ドゥの父は妻になる人を指弾した。子の容姿は元より、「おもしれー女」という言葉は子が胎の中で聞いた、間男の睦言であろうと。ドゥの母は身の潔白を示すため自殺した。

 愛する人を失い憔悴したドゥの父。彼はなおも「おもしれー女」と喚き続ける赤児の首を絞めた。幸い死にはしなかったものの、ドゥの喉は潰れ言葉を話せなくなった。


 全部私のせいで笑う。

 女神に褐色黒髪はそんな好きじゃないです、「おもしれー女」って言う男は嫌いですって言えてたらね。あはは。ぜーんぶ後の祭り。


 ドゥは空の皿を置いた。彼の腹は収まらない。


「腹の足しにもならないよね。ごめんね。オドリコソウ探してくるから。お留守番お願いできる?」


 オドリコソウは紫の小花を咲かせる野草である。花から少量の蜜を吸うことができた。


 ドゥは私を見つめるばかり。何を考えているかわからない分、居心地が悪い。

 ドゥの緑の瞳が嫌いだ。すべてを見透かすような、私を責め立てるような、澄んだ緑の瞳が大嫌いだ。

 彼の視線に耐えきれず、ひとりオドリコソウを探しに家を出る。

 幸運な事に、村はずれで数本見つけることができた。あともう二、三本、と思ったら急に目が回る。立っていられなくなって地面に倒れてしまう。空腹で足に力が入らない。飢餓感は激痛を伴って私に訴えかけてくる。


 ドゥに渡すつもりだったオドリコソウの蜜を吸うか? 否、花の蜜は極々少量なのだ。食べたところで満たされない。耐えろ、耐えてドゥに渡せ。

 ドゥが父にネグレクトされてるのは私のせいだ責任を持って飯を喰わせてやれ。

 知らないよ私のせいじゃないよあの無能なバカ女神のせいだよあんな可愛げのないガキ放っておけばいいじゃないお腹すいたよ。


 言葉がぐるぐる走る。腹がぐるぐる鳴る。うける。


 ドゥがあんな容姿で産まれたのはお前のせいだし「おもしれー女」もお前の妄言のせいだろ。

 知らないよたまたまレンタルで褐色肌BL漫画読んでただけでしょ別に私褐色黒髪好きじゃないし「おもしれー女」とかただのジョークでしょそんなのに責任取ってらんないよ女神糞死ね糞カス。


 起き上がる力も残ってなかった。頭の芯の部分がじんじんと痛む。うける。

 自分で自分を笑わないとやってられなくね?


『お前は転生早々に自殺なんてしないでね?』


 女神の言葉を思い出す。

 いやいやははは、そりゃあお前雑に転生させてりゃ自殺するわな。私だって死ねるもんなら死にたいもん。

 視界が涙で霞んだ。


 どうして私は泣くの?

 本当に泣きたいのは声を潰されたドゥでしょう? 自死したドゥの母でしょう? 本物の我が子を抱けずに死んだ私の両親でしょう? 産まれる前に死んでいった赤ちゃんでしょう? 

 他人の人生散々にしておいて被害者ヅラで泣くとか笑う。死ねよ私。

 ナイフを喉元に当てるイメージをする。そのナイフで皮膚を抉り、血を吹き出したあたりから想像がうまくできなくなる。

 こんなクソみたいな世界でなお、怖くて怖くて死ねないもんね? 死ぬ度胸もないもんね?

 うるさい黙れよ私。私は被害者だよ女神の間違いで殺されて意思確認されずにクソみたいな世界に転生させられて。死ぬべきなのは女神でしょ死ねよ。死ね。女神死ね。


 私と私が私の中で大暴れ。感情の波に飲まれて溺れて窒息しそう。土を喰み草を握りしめる。


「助けて……。助けてください、女神様……」


 にっちもさっちもいかなくなった人間だけが「女神様」とぼやきます。もちろん助けはありません。


 私はあらんかぎりの力をふり絞って起き上がる。


 ドゥが待ってる。私が死んだらドゥは糧を得られず飢え死んでしまう。勝手に死ぬなんて無責任だ。ドゥを養え。それがせめてもの贖いだ。

 そうやってドゥに縋る。

 私は本来縛首になるべき罪人です人殺しです、でもドゥには私が必要ですドゥのために生きるんです! だからこんなクソみたいな世界でも生きるんです、そんな私は健気でしょ?

 正義漢ぶって己に酔って被害者ぶって、私の手は血でドロッドロなんだよ。マッチポンプのセルフプロデュースは楽しいですか?

 私と私の不毛で無意味な殴り合い、私が死ぬ頃には終わりますかね?


 日は落ちてあたりは暗い。闇はますます濃くなるばかり。私は花を抱え、蹌踉とした足取りで森を後にする。


「死にたくない……」


 ドゥ、生きるためにあなたを利用することを許してください。

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