番外編

わたしがネコになる日 前編

 ララエは物心ついてから外の世界に触れた事がない。この長閑な狭くも美しい屋敷しか知らない。外への好奇心は不思議と湧いては来なかった。ララエの好奇心と情熱は幼い頃に出会った絵と音楽に大半を占められ、その異常性を指摘する者もなく、それが許される環境が父親によって完璧に作られていた。


 外に出た事のないララエは、活気と賑わいを見せる市になど行った事がない。毎月一度開かれるこの地方の大きな市はいつも使用人達の話題にのぼり、ララエが小耳に挟むのも珍しい事ではなかった。


 一度父親に戯れに聞いてみた事がある。屋敷の外へララエが出る事に難色を示した父親は、翌月屋敷の中を市のように変えて見せた。それから年に何度かララエのために屋敷に外商を呼び寄せるようになった。




 部屋一面に色とりどりの物が並べられている。キラキラと眩しいばかりに輝く宝石、光沢の美しい鮮やかな布、精細で緻密な模様が施された磁器もあれば、異国の奇妙な形をした置物まである。統一性のない様々な物が並べられているが、どれも一級品で美しく珍しいものばかりで到底庶民には手を出せるような品物ではなかった。


 部屋の隅に控えている侍女達はうっとりと商品に魅入っていた。決して自分達には手に出来ないものでも、若い娘にとって美しい品々は心躍るものなのだ。


 普段の市ではみない高級品は彼女達にほんのひと時の夢を見せる。気に入った商品に目を付けてそれを手にした自分を想像する。それしか彼女達には許されていなかった。


 唯一それを現実に手にする事が出来るのは彼女達の主だけだった。この屋敷で一番、いや、この領地で一番美しいものが似合わない醜い娘だ。


 何度もこの屋敷を訪れている商人はきちんと理解していた。全ての決定権は年端もいかない領主の娘にある。領主は娘のために金を出し惜しみしたりはしないのだ。だから必然的に商人はララエの相手を丁寧に行う。自慢の商品を一つ一つ手にとって説明していく。


 商人はララエの相手を密かに楽しみにしていた。娘の幼さや外見はともかく、その審美眼が本物だと長い付き合いで商人は知っていた。


 ここに持ち込まれるものは一級品ばかりだが、その中にも値段は抜きにして序列がある。ララエが選ぶのは最上のものが多い。商品を売り込む者としてララエの判断は小気味いいものだった。


 美しい物はいつだってララエの心を満たしてくれるが、ララエの気の引く物にあまり統一性はない。目も眩むような豪華な宝石よりも職人によって丁寧に作られた筆を美しいと感じる事もある。革張りの優美な椅子よりも木の温かみとそこに座る人間の座り心地だけを追求したシンプルな椅子を美しいと思う。


 値段は重要ではない。ただララエの心が美しいと感じる物をいつも選んでいる。


(あ、あの石、ロウのひとみの色だ)


 金の鎖に大きめの青い石が埋め込まれている。それを手に取り眺める。よく見るとロウの瞳より少し青みが濃いだろうか。部屋に控えているロウを振り返った。


 ロウは静かに佇んでいた。精緻な美貌は美しい品々を前にしても関心はなさそうだ。ロウの視線は窓の外を向いている。


 ララエは手にとった宝石が色あせて見えて、そのまま元に戻した。ララエの視線は色んな商品の上をさまよった。


(あの布はロウににあうかな?・・・こっちの時計は・・・このくつなら)


 ロウが喜んでくれそうな物を一生懸命に探すがどれも違う気がして、やがてララエは溜息をついた。


 今まで一度だってララエの贈り物をロウが喜んだ事はないし、受け取ってくれた事もなかった。無理矢理押し付けても、ララエが泣いても怒ってもロウは拒絶し続けている。


 何ならロウが喜んでくれるのかララエにはわからなかった。

 沢山の美しい物を前にしているのにララエの気持ちが萎んで行く。


「お気に召すものはありませんでしたか?」


 次第に勢いを失くしていくララエに商人が声をかけた。ララエが静かに首を振る。


「この布など如何でしょう?触り心地もとても良く、大変薄いですから、布を重ねれば美しいドレスになりましょう」


 商人が手にしたのは淡いランベンダー色の優しい色合いの布だ。きっと素晴らしいドレスになるだろう。侍女達の溜息が聞こえる。けれどもララエはやはり首を振る。


 ララエの欲しい物はこの中にはない。


「お嬢様?」 

「………きょうは、もういいの」


 内心で商人はがっかりしていた。だが、無理強いは出来ない。大切な得意先なので次回に期待するだけだった。愛想よくにこやかに笑みを浮かべる。


「そうですか。大変残念ですが、次回こそお嬢様のご期待に添えるものをお持ち致しましょう」


 そういうとララエは灰青色の瞳に少しの期待が浮かんだ。ララエは内緒話をするように商人の袖を引いて彼の耳の傍で口を開いた。


「あのね、ロウがよろこぶモノがほしいの」


 商人はチラリとロウに視線を投げた。一言も声を発せず、感情を映さぬ美しい少年は人形のように見えた。少年の経緯を商人は知らなかったがララエが執心なのは伺いしれた。


 流石に人の売り買いをするような下劣な人間に成り下がる気はないが、彼が人形ならば高値で売れるだろうと思われた。それ程の美貌だった。

 

 商人は心得たとばかりに頷いた。


「わかりました。色々と見てまいります」


 ララエが退出しようとすると商人がララエを呼び止めた。彼は手に木箱を持っていた。

 商人は跪いてララエと視線を合わせた。


「実は、私はこの屋敷に飾られている絵のファンなのです。領主様に絵をお譲り頂くか、画家を紹介して頂くようお願いしているのですが、色よいお返事を頂けなくて」


 実際には領主は画家の名前さえ明かしてくれず、使用人達も知らないの一点張りだった。


 ララエは目を丸くして商人を見ている。「画家」がなんなのかわからない。絵はララエが描いたものだが、誰かにあげようと思った事も考えた事もない発想だった。それに父親が屋敷の者以外にララエが絵を描いている事を言ってはいけないと言っていた。

 

 理由はわからない。知られたら大変な事になると言われてララエは素直に頷いたから、今も知らない振りをする。もじもじと手を動かして不安気に商人を見上げた。


「お嬢様がもしこの画家とお知り合いなら、どうぞこの絵具をお渡し願いたいのです」


 商人が木箱を開けると、十数種類の絵具が並んでいる。


 ララエの顔が輝く。商人を真っ直ぐに見つめた普段は目立たない小さな灰青色の瞳は宝石のような透明度があった。

 

 その美しさに驚いて商人は少しまごついたが、優しく説明をした。


「これは新しく開発された絵具の試作品です。貝殻を細かく砕いたものを混ぜた、従来のものより柔らかい質感の色合いが出ます。きっとこの画家の画風に合うと思いますので」


 木箱を差し出されてララエは思わず受け取った。色々とララエには難しい事を言われたが、新しい絵具は嬉しい。


「ありがとう」


 商人は満足そうに微笑んだ。




 結局、ララエが手に入れたのは絵具だけだった。侍女達は「あの布が素敵だった」とか「あんな色の宝石はみた事がなかった。勿体ない」などと色々惜しんでいる話を聞いたが、ララエの欲しいものではなかった。どんなに凄いものを用意されてもきっと同じだっただろう。


 ララエの欲しいモノ。

 それを手に入れる事が出来たなら、きっと他には何もいらないだろう。






 ララエが目を覚ました時、ロウは傍にいなかった。机に広げられた画材の上でララエは寝入っていたようだ。窓から差し込む光は斜陽を帯びていて部屋の所々に影を落としていた。


 目を擦りながら見回した部屋にはララエ以外誰もいない。不意に寂しいような心もとないような不安が胸を過る。


 椅子から飛び降りて急いで部屋を飛び出した。


 ロウの行きそうな場所はララエにも予想が出来た。馬小屋だ。ロウは馬が好きだ。度々馬の世話をするロウをララエは知っている。


 ララエが息を切らせながら馬小屋へ急いでいると微かな動物の鳴き声が聞こえた。


 ―――………みゃあっ


 もう一度聞こえた。思わずララエは足を止めた。乱れる息と心臓が静まるのを待つ間にも鳴き声は止まなかった。

 

 何となく、音を立てないようにゆっくりと歩きながら鳴き声のする方へと向かって行った。

 

 発生源は馬小屋の裏手だ。慎重に近づくララエの顔には好奇心が浮かんでいた。ドキドキと高鳴る鼓動と共に期待が膨らんだ。


「みゃあっ、みゃあっ、みゃあ」


 馬小屋の陰からそっと覗き込む。


 小さな子猫達だ。胡坐をかいたロウの足の上に3匹の子猫が戯れていた。黒と白の斑毛様が2匹と、もう一匹は灰色の毛並みだ。


 灰色の子猫はロウの気を引こうとロウに向かって一生懸命に鳴き声を上げている。ロウの手が優しく子猫を撫でている。


 ララエが見えるのはロウの横顔だ。長めの前髪が俯くロウの瞳を隠している。けれどロウの頬は緩んでいて、口許は綻んでいた。


(!!ロウが、ロウが笑ってるっ!!)


 叫び出しそうになった口を自分の手で塞いだ。顔を引っ込めて頬を抓る。痛かった。もう一度見つからないように覗いた。


 子猫がロウによじ登ろうと服に爪をかけている。ロウが子猫を両手で抱き上げてその鼻にキスをした。


 ララエの胸が苦しくなった。ロウが笑っている。それが飛び上がるくらい嬉しいのに何故か苦しくて胸に両手を当てた。


 ロウはララエに気付かなない。だからララエはロウの横顔をすっと眺める事が出来た。

 ロウが立ち去るまでララエは息を殺してその場から動かなかった。

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