ロウ10
決して失敗は許されないただ一度のチャンスだった。領民風情には何も出来ないと思われている今しかチャンスがない事を誰もが理解していた。まだ雪深く、道の通行が復旧されていない冬の晴れた日に計画は実行された。
ロウ達は迅速に行動した。恐ろしく統率のとれたロウ達は領主の私兵を制圧し、領民達の決起を予想していなかった領主側は、完全に不意を突かれる形になった。
ララエの屋敷の眼前、領主を乗せた馬車が止まった。護衛は僅かに5名。その内の一人はジャスの手の者だ。ロウとジャスを含めた6名で領主を襲った。
馬車から引きずり出された男は数年前の貴族然とした容貌は崩れ内面そのままの汚らわしい姿を晒していた。
傲慢な灰青色の目が血走り唾を飛ばしながら口汚く罵る。その殆どの言葉は耳を傾ける価値のないものだ。
「汚らわしい娼婦の息子風情が!!」
領主の言葉がロウの鼓膜を震わせた。暴れる領主の片腕をジャスの剣が一閃した。
地面に落ちる腕。聞くに堪えない絶叫。流れる血飛沫を前にしてもロウは眉一つ動かさない。
地面に無様に転がる男を見下ろす眼差しは人を見る目ではなかった。コレは人ではないのだ。家畜以下の存在だ。この世でもっとも醜悪な物。
失血で意識を失いかけている領主を足で転がす。
「おい、まだ死ぬな」
冷徹に言い放つ。血に塗れ表情のないロウの美貌は悪鬼のようだった。一片の慈悲もその顔にはない。
「誰か、松明を持って来い」
ジャスが松明を受け取ってロウの傍に並んだ。
「お前は楽には殺さない」
松明を受け取ると血を流す肩口に宛がった。獣そのものの叫びが上がる。肉を焼く焦げた臭いが漂う。誰もロウの凶行を咎める者はいない。みっともなく暴れるもう片方の腕を煩わしく見つめ、一片の躊躇いもなくロウが剣を振り下ろす。暴れる手を失って領主は地面に転がりのたうち回る。
「もう片方も焼いてくれ、失血死などさせるな」
ジャスが頷くとロウはララエの屋敷に押し入った。
ここはララエの城だ。大抵の者は初めその美しさに息を飲む。ララエはここで幸せだけを与えられ守られて何も知らずに育った。それこそがララエの罪だった。
多少の悲哀はララエにもあったかもしれない。だがそれは領民達の苦難や悲嘆と比べる価値すらないものだ。
ララエは恨まれている。領民達はララエも領主と同じく血も涙もない傲慢で極悪非道な娘だと信じている。昔ララエが解雇した侍女達が広めた噂は瞬く間に真実として人々に受け入れられた。
それが真実でないとしても、ララエ自身が直接的に何かをしたわけでなくともララエは領主と同罪だった。
何も知らない事がいい訳になるのなら、領主によって犯された者や死に追いやられた者達はどうなる。彼らこそ何の罪もない人々だった。ララエを許す事は彼らを侮辱する事だ。
ララエには死ぬ以外の道は残されていない。それも出来るだけ惨たらしく死なねば領民達の溜飲は下がらない。
完全な復讐を果たすまでロウは立ち止まれない。今のロウにはそれ以外の考えは存在しない、してはならなかった。
ロウの足取りは鈍る事無く突き進んだ。屋敷の構造は今でも頭の中に残っていた。南側の庭の眺めが一番いい部屋がララエの部屋だった。
扉を叩くような上品な真似はしなかった。部屋に押し入ればララエは目を丸くしてこちらを見た。剣を片手に返り血を浴びた尋常でない様子のロウを認めると恐怖に顔を引きつらせた。
「あっ………」
ロウは冷静だった。ロウがララエに一歩近づく。領主のようにララエはみっともなく喚いたりはしなかった。これからどんな目にあうのかわからないのだろう。
ララエには今もロウが人形のように見えるのだろうか。無表情はあの頃と変わらない。いつもロウを見て楽しそうに笑っていたララエはロウに怯え恐怖を滲ませている。
ララエは言葉を失っているようだ。ロウからもかける言葉はない。無言の中部屋の空気が張り詰めて行く。ララエの心臓の音さえ聞こえてきそうだった。
後ずさり逃げようとするララエをロウは鞘ごと振り上げた剣でその右足を砕いた。ララエの体が傾き床に倒れた。ララエは声にならない絶叫を上げた。血が滲む程に口を噛みしめて目もきつく閉じている。全身に力が入っていた。
痛みが全ての感覚を凌駕した。ララエは暴力に晒された事がない。これほどの痛みを経験した事はなく、思考は痛みに塗り潰される。ララエの全身から汗が噴き出す。のたうち回りたいのに体は痛みで動けない。
そんなララエをロウはただ無言で見下ろしている。自分が引き起こした事態にまるで興味がないように、ロウの表情はピクリとも動かなかった。
ロウが倒れたままのララエの腕をとった。ロウからの初めての接触も苦痛に泣くララエには認識出来ない。ロウはそのまま容赦なくララエを引きずって行った。
門前にはいつの間にか沢山の人が集まっていた。今回の暴動に参加した者達だけではなく、領主に恨みを持つ領民達だ。誰もが領主親子の最後の姿を見るべく集まっていた。
領民達の前に引きずり出されたララエの意識は痛みのために朦朧としていた。領民の一人がララエの頭から水をかぶせる。その瞳に少しだけ光が戻り沢山の憎しみの目と対峙した。傍らに両腕を失くした瀕死の領主がいる。
地面に転がり泥水に汚れ、己の血で穢れて行く哀れな領主親子に同情する者は一人もいない。憎しみと、殺意に満ちた歓喜がこの場を支配していた。
ララエは血の気を失くし震え上がる。無数の石が罵声と共にララエに向かって投げられた。石は柔いララエの肌を破って血を流させた。蹲って体を丸めても恨みの分だけ容赦なく降り注ぐ。
剣でもってララエの顔を上げさせたロウは震えるばかりのララエに向かって口を開く。
「己の父親が何をしてきたか知っているか?お前が何をしてきたかを?お前の父は俺達から様々なものを奪い去っていった。物や金だけじゃない。父や母、妹や―――恋人を。俺達の怒りが理解できるか?お前達の薄汚い命だけでは足りない」
ロウの剣がララエの脇に転がる領主のわき腹を抉る。汚らわしい領主の血が流れる。ずっと殺してやりたかった相手だ。実際にその願いが叶う時もっと苦しめばいいと願う。きっと悪魔はロウのような顔をしている。
「お前にも俺達の苦しみを教えてやろうとしたが………」
そう言ってロウが再びララエを見た。朦朧としながらも恐怖に彩られたララエの瞳は魅入られたようにロウから目が離せない。
ロウはララエにわかるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「こんな醜い娘ではいくら金をつまれても誰も犯す気にはならないな。豚の娘にはお似合いだ。お前達親子は醜悪で見るに耐えない」
瞬きを忘れたララエの瞳が絶望に覆われていく。領主の愛したララエの無垢な心が死んでいく。魂が砕かれていく者はきっとララエのような顔をしている。
ロウが手にした剣の切っ先が意思を持つようにキラリと光った。
「奪われる気持ちくらいは教えてやろう。こんな醜い娘でもお前が本当に愛していたのなら」
ロウはララエの心臓を一息に貫いた。ララエの口から吐き出される真っ赤な鮮血がロウを穢す。見開かれた灰青色の瞳が光を失い濁るのを最後までロウは目を逸らす事なく間近で見ていた。
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