ロウ5

 ロウはララエの前では徹底した無表情でも、ララエ以外の人となら時には感情を素直に表す事もある。ここで飼育している荷馬車用の馬をロウは可愛がっていて笑顔で話しかけるのは珍しくないし、使用人の冗談に笑う事もある。四六時中感情を殺すのはとても難しい事だった。


 ある時、無反応でも気にしなかったララエが顔を強張らせながら命令した。


「ロウ、わらって」


 ララエはわかっていない。人形には感情がないのだから笑う必要もない。

 ロウは冷めた目でララエを一瞥した。ララエの醜い顔が益々醜く歪む。


「わらって!!」


 ドレスを握って足を踏ん張り真っ赤な顔で強請る。子供の癇癪だ。何事も思い通りになったララエは自分の願いを叶えてくれないロウに強い怒りを感じた。無反応を貫くロウにしびれを切らし、唐突に走って部屋を出て行く。


 ロウが溜息をついている間にララエは再び戻って来た。その手には革のベルトが握られている。


 息を切らしロウの前に立つ。ベルトを見せつけるようにロウの眼前に掲げた。


「いうことをきかないならムチでうってもいいのよ、とうさまがおしえてくれた」


 馬鹿な子供だと思った。あの男の娘らしい発想だと。ララエのために瞬き一つでもしたくない。

 ロウは怯む様子を見せなかった。

 

 益々腹を立てたララエが腕を振り上げた。条件反射で掴んだベルトは強かにロウの頬を打った。


 自分が起こした事態に驚いたララエはベルトを落として顔を蒼褪めさせた。ララエのお気に入りの顔に傷がついたのだ。どこか歪んだ満足がロウの胸に湧き上がる。


「ああ、ごめっ」


 後悔を滲ませて震えながら暴力を知ったばかりの手がロウの傷に触れようとした。


 ロウは我慢出来なかった。


「さわるな」


 思わず言葉がついて出た。ララエに向かって口を開いた失態にロウの目つきが一瞬きつくなる。


 この娘にはロウからは何一つ与えたくなかった。それがロウの矜恃だった。


 ララエの顔が歪み小さな目に溜まった涙が一滴零れ落ちた。再び顔を真っ赤に染めてララエはロウに詰め寄った。


「わたしはわたしのすきなときにふれるの!ロウはわたしのものだもの!さからうならまたムチよ!!」


 ロウの手を掴んだ。一瞬抵抗のようなものを感じたがロウは直ぐに無反応になった。

 

 ララエは真っ赤な顔に目には涙を貯めて、その日は一日中ロウの手を離さなかった。




 その宣言通りララエは強引にロウに触れるようになった。ロウの体を傷つけるような行いはしないが、意地になって触れて来る。その度にロウの美しい顔が僅かに歪む。ララエが引き出せる唯一のロウの反応だった。


 ロウが見せた反抗をララエは誰にも話さなかったが、ロウへの執着はより強まる結果になった。




 そんな生活が2年も続いた。ロウは栄養不良が解消されて若木のような成長を遂げている。12歳になり2年前よりも一回りも二回りも大きくなって背は侍女達の身長を超えた。


 特筆すべきはその美貌だ。美しさは研ぎ澄まされてますます迫力を増している。侍女達がうっとりロウに見惚れるのも珍しくない。12歳のロウにあからさまに誘いをかける者もいる。


 ララエがロウをひと時も離さないから彼女達の不満はララエに向いていた。


 ララエの生活は彼女自身のように一つも変わっていない。美しいが狭い箱庭で決まった者とのみ交流を持ち、体は成長を遂げても心は止まったまま疑問に思う事もない。


 ロウといる間ララエは沢山の絵を描いた。スケッチブックはロウで埋まっている。どのロウも美しいが人形のように完璧で表情というものがない。ララエは鉛筆でロウを描いても、絵筆を握ってキャンパスに向かう事はなく、完成したロウの絵は一枚もなかった。


 ロウ以外の絵もララエは描いている。風景や花の絵は色彩鮮やかで屋敷に至る処に飾られていた。


 ララエはロウに笑えと命令する事はなくなった。代わりに髪を撫で、肩に触れ、手を握る。




 花が咲き乱れる美しい庭先でララエはロウに寄りかかるようにして眠っている。ロウはただ座って遠くを眺めているだけだ。庭に植えられた木のようにそこにいるだけ。


 庭師のアルトがララエの膝から落ちたスケッチブックを拾った。スケッチブックには彼が端正込めて育てた花が美しく鮮やかに描かれている。

 

 アルトの目が優しく微笑むのをロウはぼんやりと見つめていた。


「嬢ちゃんは眠ってしまったんだな。どれ、ここは冷えるから部屋に運んでやろう」


 アルトは長年庭師をしていて、重い土を運ぶ体は鍛えられていた。危なげなくララエの体を抱き上げて運んでいく。


 ロウの肩から重みが消えた。ほっと体の力を抜いたのもつかの間、ロウの肩に触れる者がいる。

 

 驚いて振り向けば、侍女の一人が傍に立っていた。ララエが寄りかかっていた肩を白い手が撫でる。


「ロウも大変ね。あんなのに懐かれて。突き飛ばしてやれば良かったのに」


 侍女の瞳には嫉妬と羨望と欲望が見てとれる。ロウはさりげなく体を反らしてその手から逃れる。


「本当に悍ましいわ。お嬢様というだけでロウを好き勝手にして。あんなに醜いくせにロウの隣にいようなんて」

「…………」

「困った事があったらいつでも言って?私が助けてあげるから」


 それが正義だと疑ってはいない表情だ。


「…………ありがとう」


 ロウの顔に見蕩れて満足げに笑う侍女には、触られた肩を自分の手でぎゅっと握るロウの手の震えに気が付かなかった。


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