三十七話 有紗の迷い
「じゃあ、帰ろうよ」
僕は有紗の大きな鞄を持ち、横に並んで歩く。隣を歩く有紗は僕を何度か見て、やがて俯いた。
「お願いしては見たけれどもねっ……」
僕は有紗の手を繋ぐ。上目遣いの視線は、暗く憂いに満ちている。
「無理だよっ。わたしがどこに逃げても、きっと連れて行かれるっ。高校生のわたしが何かできるわけがないんだっ」
有紗の手が僕から離れる。
「もし、平くんの家に一緒に帰ったとしても、お爺様はお母さんを使って連れ戻そうとするんだっ。わたしはただの家出娘で、平くんと平くんのご家族は誘拐犯……」
有紗は泣きそうな表情で僕を見た。
「ごめんねっ、平くん。わたし……、平くんの彼女になれないよっ」
有紗はそれだけ言うと走り出した。僕は後を追う。ここで捕まえられなかったら一生後悔する。僕は有紗の後ろから腰に手を回して、僕に引き寄せた。
「大丈夫、有紗のお母さんは被害届を出さない」
身体のバランスを崩して僕たちはその場に倒れる。
「どうして? お母さんはお爺様の言いなりだよ。だってあの人は……」
ひくっ、ぐすん……、しばらく嗚咽で声にならないようだ。少し時間が経ってやっと有紗は話せるようになった。
「お父さんがいなくなる日、なんでもしますからここに居させてください、ってお爺様に
中学生の有紗にとってお母さんの言った言葉がどれだけショックだったか想像できる。
「だからね。わたしが太一の許嫁になることも仕方がないと思ったんだよ」
有紗はお母さんとの生活を守るために、許嫁になろうと思ったんだ。
「だってさ、お母さんは大学生になってすぐに結婚したから、社会に出たこともないんだっ。お母さんは何もできない。そんなお母さんから今の生活を奪うことなんてできないんだよっ」
僕は有紗からも、そして有紗の母親からも日常を奪ってしまうのか。
でも、有紗の犠牲で成り立つ幸せなんて間違ってる。
「有紗、よく聞いて……中学の時の有紗の苦しみがどれほどのものだったか、僕は分からない。お母さんが外に飛び出すことをどれほど怖がっていたかも、僕は分からない。でもね……」
有紗の瞳が僕をじっと見つめている。もう、ひとりで悩む必要なんかないんだ。
「有紗は、無理して太一と婚約する必要なんてないんだ」
「でもっ、お爺様はきっとお母さんを使って……」
僕は首を左右に振る。
「大丈夫、お母さんは絶対被害届を出さない」
「どうして、分かるの?」
「お母さんから渡された鞄の中身を見てよ」
僕は有紗に鞄を手渡して、空を見上げた。鞄には下着なども入ってるから、見ない方がいい。
「えっ、嘘……、わたしの服と……衣類だっ」
「お母さんは一番大切なものに気づいたんだよ。だから大丈夫。僕の家に来たって被害届は出されない」
「それじゃあ、ママはきっとお爺様の怒りを買って屋敷から追い出されるわ」
「それでいいんだよ。有紗の犠牲で成り立つ幸せなんて、間違ってる」
有紗は僕をじっと見つめていた。その目は戸惑いと期待が同時に見てとれた。
「わたしだけ幸せじゃ、駄目だよっ」
「でも、有紗が幸せじゃないと駄目だ」
有紗は僕から視線を外して遠くを見つめる。
「そっか、昨日わたしがいない間、お母さんとその話をしてたんだね」
「太一と婚約するとお母さんから聞いた。その時、有紗を匿って欲しいと頼まれたんだよ」
「わたしより臆病なくせに……、本当……馬鹿だよ。ママ、ママ、……本当にごめんなさいっ」
有紗は僕に抱きつく。その拍子に座ってた僕の身体は倒れ込んでしまった。
微かな嗚咽、しゃくりあげる有紗の声だけがしばらく耳に残る。
道端に抱き合って寝転がるふたりを自転車に乗った親子づれがじっと見ながら通り過ぎる。
「うわっ、抱き合ってたよ……」
「こらっ、見ないの」
なんかいけない事をしているように見えたのだろう。有紗が慌てて起き上がり、ごめんと僕に言った。
顔が真っ赤に染まってるのがハッキリ見てとれる。
有紗が手を伸ばし、その手を僕が握る。
有紗に引っ張られながら身体を起こした。
「やっぱり男の子だね。起こすの大変だよっ」
はにかんだ笑顔で僕をじっと見つめる。
「帰ろうか」
「うんっ」
僕は有紗と家に向かって歩こうとした。
「やはりかよ」
後ろから一番聞きたくない声がした。太一の声だ。僕は後ろを振り返る。
「あまりにも聞き分けが良すぎたからな。おかしいと思ったんだよね」
太一が数メートル先から僕たちを見ていた。
「どこに帰るのかな。有紗の家ならこっちだけどね」
「有紗がどこに帰ろうと太一、君には関係ない」
「へえっ、有紗の母親まで騙してどうするつもりなのかね」
嬉しそうにしてるが、目には怒りが渦巻いている。このまま、ひとりなら逃げられるが、有紗とふたりだと無理だ。
「有紗、そのまま走れ。君が捕まらなければ大丈夫だ」
有紗は少し困惑していたが……。
「怪我しないでねっ」
僕の意図が理解できたのか、それだけ言うと慌てて僕の家に向かって走り出す。
太一は有紗の逃げた方向を見ながら嬉しそうに笑った。
「有紗はちゃんとお前の家まで逃げ帰ることができるかなっ」
まずい、太一は囮か……、本命は……、僕は太一から視線を移す。視線の先には黒塗りのベンツと数人の男。しまった。
「やめてっ」
数人の黒服の男に有紗は無理やり後部座席に放り込まれ、車はすぐ走り出した。
「甘いんだよ、お前はさ」
太一の笑い声だけが僕の耳にいつまでも響いた。
―――
うわっ、予想外のことが起こりました。
大丈夫でしょうか。
誰が連れ去ったのか。
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