信孝

 麗衣が、交通事故にあって死んでから、半年が経とうとしていた。信孝は、まだ麗衣を亡くした悲しみと後悔の真っただ中にいた。仕事はなんとかこなせていたが、家に帰ってくるとぼんやりと部屋の一点を見つめ、しばらく座り込んでからなかなか立ち上がれなかった。

 悲しみよりも後悔の方が強かった。マッチングアプリで知り合った頃、信孝は年上で美人の麗衣に好かれようと必死だった。元々会話が苦手だったが、話が弾むように苦心し、デートの場所もセンスがいいところを選ぼうと事前によく調べることを怠らなかった。

「信孝さんといると落ち着きます。」

 そう笑いかけてくれた麗衣のことを信孝は絶対に離したくないと思ったのだった。しかし、結婚し、一緒に生活をするようになってくると、会話をすることが苦痛になってきた。1人が好きなほうであったことが、裏目に出てしまっていた。 

 また、1人でいたいと思っている時によく麗衣からコミュニケーションを求められることもうっとうしいように思えた。食事中に麗衣が話をしている時に、スマホをいじることも増えていった。始めのうちは麗衣は、信孝の分も話そうと努めていたように見えたが、それも段々少なくなっていった。唯一、2人の間に夫婦らしい空気が漂うのは、信孝が育てている植物を2人で見ている時だった。

「花咲いたね。」

「そうだね。」

 たったそれだけの会話でもその時だけはお互いを愛おしんでいるように感じられたのだった。

(どうして、麗衣さんと向き合おうとしなかったのだろう。)

 信孝は、そのことばかり考えていた。2人の仲が冷え切っていった原因は、明らかに自分にあると思っていた。しかし、その時にどうにかしようと思えなかった。結婚式で、生涯の愛を誓ったはずなのに、いつの間にか忘れていってしまっていた。それを今後悔しても、もうどうにもならない・・・・・・。

(麗衣さん、ごめんよ、麗衣さん・・・・・・。)

 拭いきれない後悔を抱きながら、酒を飲んで無理やり眠りにつくという日々だった。

 季節が冬に差し掛かり、この冬一番の寒さと言われた日。仕事に疲れた信孝は、帰り道の途中、枯れかかったススキが伸び放題の荒れ地の前を通った。今日も自分以外誰も帰ることのない家に向かっていることを思い、悲しい気分になっていた。まだ麗衣と生活していたころと同じ、2LDKの部屋だったのでもう少し狭い部屋に引っ越すのもよかったが、引っ越す気力が湧いてこず、麗衣の荷物もまだ残っているという状態だった。荒れ地の前を通り過ぎる時、何かが目の端に写り込んだような気がして足を止めた。野良猫か何かだろうかと思ったが、何となく対象に目を向けた信孝は驚愕した。街灯の明かりに照らされて、桔梗の花がそこに咲いていた。

(そんな馬鹿な・・・・・・。)

 信孝は、スマホのライトで改めてよく観察したが桔梗に間違いなかった。ありえないことだった。桔梗が秋の花なのに、冬のこの時期に咲いているということもそうだったが、野生の桔梗は絶滅危惧種に指定されている。そんな花がこんな荒れた土地で咲いているということは信じられないことだった。呆気に取られて、信孝はしばらく桔梗を見つめ続けた。寒空の中、青紫の花弁は凛と輝いているように見えた。

(こんなところに咲いていたら、すぐに枯れちゃうんじゃないか。)

ふと思いたった信孝は急いで家に帰り、余っていた植木鉢とスコップを持って桔梗が咲いているところまで急いで戻ってきた。そして、桔梗の根を傷つけないように慎重に掘り返し、植木鉢に植え替え、自宅へと持ち帰ったのだった。そうしなければならないという使命感が、信孝の心に沸き上がっていた。そして、寒い外のベランダではなく、暖かい家の中のリビングのサイドテーブルの上に置き、桔梗を眺めた。久々に信孝の気分は高揚していた。曇り切っていた日常に、ぱっと光が差したようだった。

(すごい、まさかこんなことがあるなんて・・・・・・。)

 信孝は、じっと桔梗を眺め続け、感嘆の溜息をもらした。

(そうだ。明日もっといい土を買ってこよう。桔梗は育てたことがないから、育て方も調べて・・・・・・。)

 麗衣が死んで以来、鈍っていた頭の回転も速くなり、やりたいことがどんどん浮かんできた。信孝は、少しでもこの桔梗を長持ちさせようと決心した。翌日は、休日だったので信孝はホームセンターで土を買ってきて、肥料を混ぜた。その土を別の植木鉢に入れ、再度桔梗をその土に植え直した。根を傷つけないように細心の注意を払った。根が傷つくと枯れてしまうかもしれないからだ。そして、水をたっぷりと注いだ。桔梗は、この家に持ち帰ってから、その青紫色の花弁がさらに美しく輝いているように見えた。

(まるで、麗衣さんみたいだ。)

 荒れ地に構わず、凛と力強く咲いていた桔梗の姿に信孝はいつしか麗衣の姿を重ね合わせていた。麗衣が上品な笑顔で、信孝に笑いかけ、一緒に植物を眺めていたことを思い出した。気づかぬうちに涙が流れていた。麗衣が死んだときに、すっかり流し切ったと思っていた涙だった。こんなにも、自分は麗衣のことを愛していたのだ、愛していたはずだったのだ。

「戻ってきてよ、麗衣さん。大切にするから!」

 信孝は、慟哭し、何度も麗衣の名を呼んで、床の上に崩れ落ちた。拳が痛くなるほどに床を叩き、また泣いた。ひとしきり泣いた後、涙でにじんだ目で桔梗を見つめた。そして、桔梗の花にそっと手を添えて口づけた。

(麗衣さん、愛してる。)

 その瞬間、ぱっとまばゆい光が辺りを照らした。まぶしくて、信孝が目を覆っていると、桔梗はさらさらと光の粒へと変化していき、形が崩れていった。そして、どこからともなく風が吹いて、光の粒は、窓の隙間から彼方へと流れていった。

「麗衣さん?」

 信孝は、彼方へ向かって手を伸ばした。

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