第四章:シンドウ・カズトラVSマリア・マクスウェル
第25話『人魔大戦の終結』
数時間前まで天地が揺るがす熱狂が渦巻いていたシンドウアリーナは、今や深海のような静寂に包まれている。
時刻は午前〇時過ぎ。既に観客は全員帰路につき、会場の清掃とサークルの修繕作業も終了していた。
スポットライトの灯りが一つだけ点灯し、サークルを照らしている。
シンドウ・カズトラは、サークルの中央に立ち、瞳を閉じていた。このドームの地下にある封印陣の中でシンドウは五百年間眠り続けていた。
五百七年前、ガンテツの元で魔術の修行に励む日々は突然終わりを告げた。
人間と魔族の種族間戦争のはじまり、人魔大戦の幕開けである。
最強の魔道師の元で魔術を学んでいたシンドウとマリアは、人間と魔族の両軍それぞれに白羽の矢を立てられた。
もちろんガンテツは、抵抗の意思を示した。両軍と戦うことになってでも二人の弟子を戦争に加担させてなるものかと。
しかしマリアは、ガンテツの元を去る決意をした。
『家族を……仲間を……殺されていく同胞を見捨てることなんてできません! ごめんなさい!』
マリアが去った後、ガンテツは抜け殻のように落ち込んでしまった。最強の名をほしいままにしていた魔道師の片鱗すら感じられない。惨めなほど急激に老いさらばえてしまった。
変わり果てた師の姿にシンドウが抱いた感情は、子ども染みた醜い嫉妬心だった。
――そんなにマリアが可愛いですか?
不満ばかりが募ってしまった。
――俺じゃダメなんですか?
ガンテツに見捨てられたと感じてしまった。
――どうして今ここにいる俺じゃなくて、もういないマリアばかり見るんですか!?
ガンテツのような魔道師になりたい。そのためにはガンテツに認められる魔道師にならなくては。でもガンテツが見ているのはここにいるシンドウではなく、ここにいないマリアのこと。
悔しい!
どうすれば認めてくれる?
マリアより弱いから認めてくれないのか?
やっぱり弱い魔道師はダメなのか?
だったら証明してやる。自分が強いのだと。マリアよりも強いのだと。
対抗心と嫉妬心と焦燥。おぞましい感情の群れがシンドウの背中を押した。
『俺も軍に入ります』
『な、なにを言うのじゃ!? そんなことはいかん! マリアと殺し合うつもりか!?』
『俺が戦争を止めます!』
もっともらしい言い訳だった。実際にはそんな思慮深いわけでも青臭い理想を掲げるほど幼かったわけでもない。ただ愚かだったのだ。
『こんな戦争……俺が止めてみせるから』
――だから俺だけを見てください。俺だけを褒めてください。
『いかん! ここを出るというなら破門するぞ!』
どうして自分に向けられるガンテツの愛情に気付けなかったのか。
『やっぱりそうなんですね……俺よりもマリアのほうが大事なんだ……』
『どちらが大切だとか比べられるものではない! わしにとってどちらも大事――』
『あなたが大事にしてるのはマリアです! 俺じゃない!』
あんなに愛してくれていたのに。
『あいつの才能が愛しいんだ! あいつの強さが欲しいんだ! だから俺が証明してみせます! あなたの魔力をもらった俺こそがあなたの弟子に相応しいって!』
『わしは、お前に人殺しをさせるために魔力を与えたのではない!』
あの時の忠告をどうして素直に聞けなかったのだろう。
『人を殺めれば必ず後悔する! わしも後悔し続けておるのじゃ! だから頼む! お前はわしのようにはならんでくれ!』
ガンテツの懇願を振り切って、シンドウは彼の元を去った。
軍に入ったシンドウは魔族を殺した。殺して殺して殺し続けて……心が錆びついていくのが分かった。
やがて封印魔術を使って魔族を封印するようにもなった。魔族の命を尊んだわけじゃない。命を奪う罪悪感に己が押し潰されないためだ。
己の矮小さに反吐が出る。己の愚かさに反吐が出る。己の無力さに反吐が出る。
それでも歯を食いしばって戦い続け、戦場で多くの武功を立てた。
いつしかシンドウ・カズトラは、英雄と呼ばれるようになった。英雄と言えば聞こえはいいが、その名声は、殺人者であることの証明にすぎない。
人を喜ばせ、人を導く魔道師になって欲しい。
そんな師の思いとは正反対の存在である、人殺しの魔術師に成り下がっていた。
ガンテツの忠告通り、人を殺めた記憶は一生拭えない。毎晩戦場の夢を見た。殺した魔族たちが怨嗟の中でのたうち回り、腐った骸が身体中にまとわりついてくる。
絶叫しながら目が覚める度、胃の中のものをそこら中にぶちまけた。
朽ち果てた心を引きずりながら無我夢中で戦場を生き延びた。終わりの見えない戦争に絶望を抱きながらそれでも戦った。戦争が終わった世界には、なにかがあると思っていたから。
人魔大戦が長引き、世界は荒廃していった。どこへ行っても戦乱の産み落とした廃墟が地平線まで続いている。家屋を築いていた煉瓦や石材、木材の破片に人の亡骸が埋もれていた。腐臭が絶え間なく鼻腔を痛めつける。
地獄のような戦場でシンドウはマリアと再会した。
『シンドウ。決着をつけましょう。あなたは人間の英雄として、私は魔族の王として――』
マリアと再会した時、思った。
ここでマリアと殺し合ってどうなる? マリアの命を奪いたいのか? 兄妹のように育った妹弟子の命を奪った先になにがある?
なにもない。なにかがあるわけがない。だけど後悔してももう遅い。いつのまにか全てを失っていた。きっとあの時だ。戦争に身を投じると決めたあの瞬間、全てを失っていたのだ。
このまま突っ立っていればマリアが殺してくれるだろうか?
ああ、だけどマリアだってきっと罪悪感を抱いてしまう。一生罪を背負って生きていく。
じゃあシンドウがマリアを殺して罪を背負えばいいか? でもそんなことしたくない。
自らの手で命を絶つか? いや、マリアに対抗できる魔道師は、人間軍にはシンドウしか残されていない。シンドウが負けたらこの戦争は、人類の敗北となる。戦場で命を散らした仲間のためにもマリアに負けることは許されない。マリアに殺されてはならない。だけど――。
『マリア……俺は……俺には』
もう疲れた。戦いたくない。殺したくない。このまま眠ってしまいたい。
それでもこの戦争だけは、終わらせなくてはならない!
戦場を駆け抜けるように、紅の光が走った。それは一帯を囲い込むかのように円状に広がっていく。光の円の中央にはシンドウとマリアがいた。
シンドウは、地面に両手をついている。掌を中心として光は広がっていた。
マリアは、シンドウを見つめたまま立ち尽くしている。紫に妖しく光る獣のような虹彩を支配するのは、最愛の人に裏切られたかのような悲哀の情であった。
『どうして……シンドウ?』
『マリア……今の俺には、もうこれしかできないんだ』
まばゆい極光が空間を埋め尽くした瞬間、輝きはシンドウとマリアを取り込んで急速に収束していく。後に残されたのは巨大な円形の封印陣だった。
その封印陣の上に、九十五年前に造られたのがシンドウアリーナだ。
シンドウがマリアを封印してから五百年。今やあの頃の戦場の残り香すらありはしない。
封印されている間、まったく意識はなかった。
感覚的には、ほんの三ヶ月前までこの周辺が死と破壊で染め上げられた大地であった。
未だに平和な世界に慣れてない。
自分とマリアを封印したあの時から時間が止まってしまったままのような気分だ。
シンドウが足元にあるサークルの石板を見つめていると、コツコツと小気味の良い革靴の音が近づいてくる。
「懐かしい場所でしょ、シンドウ」
声のした方に視線を振ると、マリアがこちらに向かって歩いてきていた。
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