第26話「魔王の願い」
マリアは破顔してシンドウに近づいてきた。
「まさか四百年も眠らされるなんて、あなたの封印の腕は大したものだわ」
「お前こそ百年でよく世界を変えたな」
「いいえ。ほとんど変わっていたわ。私がしたのは最後の一押しだけ。師匠の教え覚えてる?」
「忘れるわけがねぇだろ」
魔術は殺しの技術。魔道は人の生きる道。人殺しの道具の魔術ではなく、魔道として多くの人々を救い、楽しませるものになってほしい。カワシマ・ガンテツは、常々そう語っていた。
「私は、師匠の願いを形にしたくて衰退した魔術闘技をマギシングサークルとして競技化したの。不出来な弟子にできるのはそれぐらいだったわ」
シンドウが目覚めた時、世界でなにが起きていたのかを知るために読み漁った歴史書にも、その辺りの事情は記載されていた。
マリアが目覚めた百年前の世界では、神事としての魔術闘技すらも衰退。さらに民間人の魔術使用は法的に規制されており、警察や軍隊などが戦争や治安維持目的で攻撃魔術を使用するにとどまっていた。
魔術は、人魔大戦の頃と変わらない人殺しの技術であり続けた。
そんな世界でマリアは魔術闘技を神事ではなく、次世代のスポーツとして百年の歳月をかけて確立し、現在では世界的な娯楽として親しまれるようになった。
「だけどねシンドウ。それは師匠のためだけじゃないわ。私のためよ」
「お前自身の?」
「ええ。あなたとの決着をつけるための舞台を作りたかった」
命を賭さずに魔術の腕を競い合う場所。どちらが優れた魔術の使い手かぶつかり合う競技。
シンドウの復活を百年先延ばしにしたのは、マギシングサークルを競技として定着させるために必要な時間というわけだ。人間よりも寿命の長い純粋な魔族である上に、強大な魔力の持ち主であるマリアなら百年の時間経過も人間の老化に換算すれば数年程度だろう。
マギシングサークルの世界にシンドウを誘うため、マリアは手を尽くしたというわけだ。
「俺をここに連れてくるためにイズナにちょっかいかけてたわけか。随分と回りくどいな」
「それもあるけど、あれはユーリを思っていればこそよ」
「あの子を?」
「ユーリは、競技を楽しむ心が欠けていたわ。それを思い出してほしくてイズナちゃんと試合するように仕向けたのよ。もちろんあなたにも思い出してほしかったわ。師匠の元で過ごした日々の幸福を。魔術の腕を競い合うあの快感を」
やっぱり食えない女だ。それは師匠の元にいた頃と寸分も変わっていない。
「一石二鳥ってわけか」
「賢いやり方でしょ?」
マリアは上着のポケットからプラスチック製のカードを二枚取り出した。色は黒と白。
黒いカードには『マギシングサークルジムマスターライセンス』と金文字で記載されている。
白いカードには『マギシングサークルプロライセンス』と黒い文字で記載されていた。
「この会場は、もう押さえてあるの。二週間後、私とあなたの決着をつけるために」
マリアの目的は、昔から一貫している。
シンドウをライバルだと認め、自分のほうが強いと証明したい。
師匠の元で修業していた頃も、果ては人魔大戦の時も。
だけど――。
「俺たちの決着なら付いてるだろ?」
「誤魔化さないで。私を封印したのは、あなたが勝負を放棄したからよ」
そうだ。なにも言い返せない。彼女の指摘通りだ。
「敵同士になっても、あなたは私を殺せなかった。他の魔族もそうよ。あなたは殺しが好きな人じゃなかった」
違う。買いかぶり過ぎだ。シンドウは臆病なだけだった。不殺を貫いたわけじゃない。数えきれない命を奪った罪悪感を誤魔化すための偽善的な行為だった。
「封印した数より殺した数のほうがケタ違いに多かっただろ」
「それでも全てを殺すことを良しとはしなかったわ」
「お前は違ったな。目の前の敵は全て殺した」
「私なりの敬意の表し方よ」
マリアは、快楽殺人者じゃない。覚悟を持ってぶつかってきた敵に、敬意を示して全力で戦った。シンドウよりもずっと勇敢な魔道師だ。
「分かってるよ。お前だって好き好んで殺してたわけじゃない」
「ええ。でも戦うこと自体は、好きだったわ。強敵と戦う高揚感。お互いに魔術を出し合う緊張感。そこに身をゆだねる快楽は、今でもはっきりと覚えているわ。だけど命の奪い合いがしたかったわけじゃない。だからこそ用意したのよ!」
両腕を広げたマリアは、誇らしげに胸を張った。
ここにある全てが自身の夢の結晶であると見せつけるかのように。
「命のやり取りをせずに、お互いの魔術を極限まで交えられる世界。魔道師としてお互いに高め合うための舞台。シンドウ、あなたとの決着をつけたいの。どちらがより強いのか!」
百年を経ても昔と変わらない。あの頃のままだ。無邪気に強さを追い求める純粋無垢な魔道師。ガンテツの弟子に相応しい類まれな魔道師。そんなマリアがずっと妬ましかった。
「マリア。俺は、ずっとお前に嫉妬してた」
ガンテツに弟子入りしたのはシンドウの方が僅かに早い。身寄りのないシンドウにとって彼は父親のような存在だった。彼に認めてもらいたくて魔術の修業に励んでいた。
「お前の才能を妬んでた。師匠を取られたつもりになって恨んでた」
魔族でも有数の魔力を持って生まれたマリアと、魔力を持って生まれずガンテツから魔力を分け与えられたシンドウ。
師の教えを注ぎ込める大器と師の才覚を奪い取った凡夫。その差は、あまりに大きすぎた。
「だから俺は、戦争に行ったんだ。師匠に俺だけを見てほしくて。俺を認めてほしくて……そう、俺の動機はお前と違う。大義があったわけじゃない。醜い嫉妬で人を殺す道を選んだんだ」
ガンテツが示した魔道とはまるで違う道。魔術で人を殺す罪悪の道。
自分の選んだ道なのに、耐えきれなくなって結局逃げ出した。
「それなのに封印から目覚めて、それがお前の行いだって知った時、俺はまたお前に怒った。あのまま眠っていたかったのに、どうして俺を起こしたんだって」
この世界でなにをしろというのか?
どうやって生きていけと?
夢も目標もなにもない。だらだらと生命を浪費して死を迎える人生が待っていると思っていた。それが愚か者に相応しい罰だとも。
「無意味に生きることが俺への罰なのかもしれないってそう思った」
だけど違った。マリアは、そんなつもりでシンドウをサルベージしたんじゃない。
「マリア、お前が世界を変えてくれた。お前は、この世界を俺に見せたかったんだよな。俺みたいな古い〝魔術師〟の時代は終わって、これからは新しい〝魔道師〟の時代だ。そういう世界をお前が作ってくれた」
「ええ。だから命をかけずにお互いの技量を――」
「俺は、戦うことよりも大切なことを見つけた。自分が選手になるんじゃない。師匠のように若い奴等を育てていきたいんだ」
「それは分かっているわ。あなたがそういうことをしたいだろうと思って、ジムマスターのライセンスも用意したのよ。でも選手のライセンスと両方持っている人は、珍しくないわ」
「俺は、もうお前とは戦いたくねぇんだ」
マリアから闘志と興奮が削ぎ落とされ、その下から現れたのは困惑であった。
「なによそれ……戦いたくないって……だって師匠のところで修業してた頃は!」
「昔は、お前より強くなりたいって気持ちがあった。師匠に認めてもらいたい一心だった。でも今になってようやく分かったんだ。師匠は、あの人は俺を認めてくれていた」
ガンテツは、マリアと同じように、シンドウを愛してくれていた。
自分が指導者の立場になってようやく気付くことができた。
シンドウがマリアよりもっとずっと弱かったとしても、ガンテツは気にも留めなかったろう。
たとえ最強になれなくてもいい。弟子が少しずつ成長してくれる姿を見せてくれたらそれだけでこの上のない幸せなのだ。
「弟子が傍にいて、一緒の時間を過ごして、一緒に飯食って……それが指導者にとって一番の幸せだってようやく気付いた。たしかにイズナは俺と違って天才だ。天才を教えるのは楽しくて仕方がない。それは事実だよ。じゃあもしもイズナが天才じゃなかったとしたら、今イズナに抱いている愛情が消えてなくなるのか?」
そんなわけがない。才能なんかなくったっていい。そんなものがなくても欠片も愛情は薄れたりしない。
あの天真爛漫な少女と一緒にマギシングサークルをやっていけたら、その時間はどんな財宝よりも価値のある財産だ。
「もしもイズナがさっきの試合で負けたとして、俺はイズナとの関係を断ち切ってたか? イズナの弱さに失望して、マリアの元に行くように促してたか? そんなことしねぇよ」
見捨てるはずがない。できる手段全部使ってイズナと一緒にいられる場所を守ろうと足掻いたはずだ。関わりが切れないようにもがいたはずだ。
「イズナが俺を求めてくれる限り、俺はあの子の側にいようと最善を尽くしたはずだ。それになによりな。俺はもう、お前に対して汚い情を抱けねぇんだ。嫉妬とか敵愾心とかもうないんだよ。この世界に俺を蘇らせてくれた感謝しかしないんだ」
マリア・マクスウェルと対峙しても、あの頃のような醜い感情は少しも湧き上がってこない。嫉妬に塗れた汚泥のような闘争心は、もうとっくに消え失せている。
「だから俺は――」
「ふざけないで!」
熱を帯びた怒声が、アリーナに木霊した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます