第23話『ライオットバレッツ』

 ナルカミ・イズナが笑っている。

 これほど追い詰められているのに全く動揺していない。

 それどころかこの状況を楽しんですらいる?

 敗色濃厚でありながら、なんで悔しさや悲しさ、動揺が微塵もない!?


「ユーリ」


 イズナは、うきうきとした声音で名前を呼んできた。敗北を目前にしているのに焦燥がまったくない。


「楽しいね!」


 楽しい? この期に及んでなにを言っている?


「ユーリはさ、楽しくないの?」

「……楽しいとか楽しくないとか関係ありません」


 そんなことのために戦っているんじゃない!


「じゃあさ、なんのために試合してるの?」


 そんなの決まっている。


「勝つためです。負けるために試合する人はいません」

「なんで勝ちたいの?」

「それは、ティアⅠチャンピオンになって――」


 そこまで言ったところで言葉に詰まってしまった。


「なって……チャンピオンになって……」


 ティアⅠチャンピンになるまでの道筋は見えていた。だけどその先に、なにがあるかを考えたことは一度としてない。

 チャンピオンになった後、ユーリ・ストラトスは……どうしたい?


「ねぇユーリ。君はチャンピオンになってどうするの?」


 ティアⅠチャンピオンになる。それだけを考えて走り続けてきた。でも夢を叶えた後も人生は続く。それなのに夢を叶えた後どうしたいのか、その先にあるはずのビジョンが全くない。

 ティアⅠチャンピオンになることが夢だと信じて疑わなかった。だけどいつのまにか夢を叶えることだけが目的になってしまっている。

 イズナとの試合に勝って、いずれティアⅠチャンピオンに挑戦してトロフィーを手に入れる。

 その後、どうすればいい?


「ねぇユーリ、君は――」


 やめて。もう言わないで。これ以上心をかき乱さないで!


「なんでいちいちあなたの質問に答えないといけないんですか!? 今は試合中ですよ!」

「君には聞こえない? この大歓声がさ」

「歓声?」


 客席からサークルへ数万人が奏でる歓声が、まるで暴風雨のように降り注いでいる。

 歓声を浴びるイズナは、澄んだ琥珀色の瞳を爛々と輝かせていた。

 だけどユーリにとっての歓声は違う。客席から浴びせられる声なんかただの雑音。どうでもいい煩雑な音にすぎない。


「ユーリ。私はさ、マギシングサークルが楽しくて仕方ないんだ」

「楽しい?」

「うん! サークルに立ってこんな気持ちになれたのは、初めてプロのサークルに上がった時以来なんだ。あの時も声援が雨みたいに降ってきて、それがとっても心地よくて、サークルの上が自分の居場所なんだーって!」


 そう語るイズナの姿がどこか懐かしく見える。

 何故だ。どうしてこんなに胸が締めつけられる?


「私たちが楽しいとね、お客さんも楽しくなっちゃうんだよ! わくわくしちゃうんだ!」

「観客がどうだって言うんですか!?」


 戦っているのは、ユーリとイズナの二人きり。どんな試合でもサークルにいるのは、二人だけ。見るべきは、眼前の敵のみ。それ以外どうでもいい。そう考えて、ずっと試合をしてきた。


「ふっふっふー。ユーリ、君はマギシングについて分かってないことがあるんだ! まぁ、私もついこの前まで忘れちゃったんだけどね……」


 分かっていない? なにを!?

 問い掛けるより速くイズナが懐に飛び込んできて、すさかず右のパンチを打ってくる。

 ユーリは、イズナの拳を咄嗟に杖で受け止めるが衝撃の全てを殺すことができず、両足がサークルから僅かに浮いた。

 なんて馬力だ。まだ重い拳を出してくる。警戒すべきものは、まだ残していた。


「私たちは、プロのマギシング選手で魔道師だけど、魔術師じゃない!」


 紡ぐ言葉と共に左右のフックの連打が襲ってくる。打撃の質が一撃毎に重くなっていく。杖で防ぐたび、ユーリの上半身が振り子のように激しく揺れた。


「相手を打ち倒すためだけに戦うんじゃない! 自分が試合を楽しんで試合に勝って、お客さんを楽しませるためにあるんだ!」


 身体だけじゃない。心をも揺さぶってくる。

 鬱陶しい。やかましい。いい加減にいやになってくる。

 だけどなんでこんなに懐かしくて、嬉しいと感じそうになっている自分がいる!?


「それが興行で成り立ってるスポーツってことだ!」


 ああ、そうか。今ここにいるのは昔のイズナなんだ。

 追いつきたくて背中をずっと追いかけていた。あの頃のイズナが帰ってきたんだ。


「それがマギシングサークルなんだ!」


 魔力を込めた右拳のチョッピングライトが打ち下ろされる。

 これをユーリは躱し、お返しに杖頭で鳩尾を突いた。想定していなかったらしい攻撃にイズナの身体がくの字に折れた。


「うるさあああああああいいいいいいいいい!」


 今更帰ってきたってもう遅い!

 もう憧れてなんていない!

 憧れてなんていないから、幻想は幻想のまま消え去ってしまえばいい!

 また期待を裏切られて、がっかりしたくないから!

 激情の発露に呼応してユーリの魔力が高まっていく。そのまま昂る魔力を鳩尾に打ち込んだ杖に注ぎ、零距離の間合いで砲撃を放った。


「ぐぅ!?」


 熱線の衝撃がイズナを押して後ずらせる。このまま押し切れるか!?

 いや、魔力の勢いそのものは凄まじいが威力は弱い。焦って撃ったせいで魔術構築がちゃんと練られていない。

 鳩尾を叩く魔力の奔流を右拳で受け止め、イズナはサークルを蹴った。熱線を切り裂く右拳へ魔力を込めながら凄まじいスピードで近付いてくる。

 だめだ! 熱線の集束が甘くて接近を拒めない!


「行けぇ! イズナ!」


 東側の休憩席からシンドウ・カズトラの声が轟いた。ユーリの目にもはっきりと見える。シンドウの声がイズナの背中を押していた。


「ユーリ! 私は、あの人のおかげでここにいるんだ!」


 イズナの琥珀色の瞳が煌めいていた。憧れていた時よりも透き通った光を宿している。


「どんな声援よりも背中を押してくれる人! あの人が応援してくれたら宇宙へだって飛んでいける!」


 ユーリとイズナの間合いが両者の拳の届く距離まで詰まった。

 なにか仕掛けてくる。最大の攻撃を打ってくる。そうはさせてなるものか!


「このっ!」


 砲撃の照射を打ち切って両手で杖を振りかぶると、魔力の剣が形成される。

 刹那の光刃は、射撃魔術の迎撃や近接型魔道師へのカウンターとして開発された攻性防御魔術。対物破壊力はレイジングフラッシュにも引けを取らない。

 おまけに左足が壊れているせいで、イズナはまっすぐ突っ込むしかできない。速度も第一ラウンドとは比べるべくもなく、タイミングを合わせるのは簡単。カウンターの格好の的だ。

 これで勝った!

 確信を胸に抱き、魔刃を振り下ろした。


「ユーリ! これが!」


 イズナは、極大の魔力を込めた右拳を繰り出して、刹那の光刃を迎え撃つ。


「イズナちゃん必殺の! ライオットバレッツだあああああああああああああああああ!」


 拳から発射された数百に及ぶ球形の小型魔力弾が、長大な光刃と杖頭を破砕した。

 砕けた光の破片と木の屑が中空に舞う。

 まずい!

 弾速が速くて回避は間に合わない。着弾点に魔力を集中して防御しなければ。だが数百に及ぶ魔弾の軍勢は、どこを狙ってくる?

 だめだ、読めない。数が多いせいじゃない。一発一発の弾道がめちゃくちゃでどこへ飛んでくるのか全く予測できない。射撃精度の低さを逆手に取ってきた!

 これじゃあどこに魔力を集中して、どの部位を守ればいいのか分からない!?


「いっけえええええええええええええええええええええええ!」


 イズナの咆哮に背を押された光の散弾がユーリの全身を打ち据え、サークルに叩き伏せた。


 ――ワァーン!


 鼓膜を揺らす声の主が誰なのか、ユーリ・ストラトスは訝しんだ。

 けど、すぐに考えることを諦めた。

 何故だか頭がうまく回らない。こういう経験は初めてじゃない気がする。

 初めてはいつだったろう?


『君もマギシングの選手なの? ふっふっふー。じゃあ君はイズナちゃんのライバルだね。絶対負けないよー!』


 そう、たしかにユーリはこの人に憧れていた。


 ――ツゥー!


『大丈夫だって! 私も試合に負けちゃったことあるからさ。だけど一回負けてもそれを乗り越えたら、うんっと強くなれるっておじいちゃんが言ってたんだ!』


 辛い時は、いつだって隣で励ましてくれた。

 まっすぐで明るくて優しくて強くて、こんな人になりたいってそう思った。


 ――スリィー!


『ユーリは、おやつが大好きなんだね。あ、私のもよかったら食べていいよ。このお菓子美味しいんだー』


 年下のユーリにも先輩風を吹かせたことは、一度もなかった。

 対等な友人として接してくれた。


 ――フォー!


『やっぱりお客さんに応援してもらえると元気がいっぱいもらえるよね! だから私たちもお客さんを楽しませなくちゃ!』


 マギシングサークルの選手に、大切なことを全部教えてくれた。


 ――ファイブゥ!


『次の試合楽しみだね。ふっふっふっー。可愛い後輩が相手でも私は負けないぞー! 全力でぶつかってきてよねユーリ!』

 

ずっと前を走り続けて目標でいてくれた。


 ――シィックス!


『だって君は、イズナちゃんのライバルなんだからね』


 イズナがいてくれたからマギシングサークルを好きになったんだ。


 ――セェブン!


 そうだ。

 憧れていたあの人とプロのサークルで初めて戦っているんだ。ダウンなんかしてられない。

 ゲンイチロウが亡くなって荒んだイズナは、ユーリの憧れたイズナとは別人になってしまった。あの頃のイズナに戻って欲しくて毎日会いに行ったけど、最後に返ってきたのは――。


『うるさい! 君のことなんかどうでもいいんだ! 邪魔なんだよ! 私のことは放っておいて! 君のことなんか……大嫌いなんだよ!』


 もう大好きなあの人はいない。ユーリの前を走ってくれるイズナは、ゲンイチロウと一緒に死んでしまったんだと理解させられた。

 憧れの背中がなくなったら、なにを目標にして走ればいいのか分からくなった。

 だから一番手近な目標に縋り付いた。勝つこと。勝って勝って勝ち続けること。ティアⅠチャンピオンになって名声を得ることだけを目標にした。


「だけど、ユーリは……本当は、ユーリは……」


 イズナと戦って思い出した。意固地になって忘れようとしていたけど、やっぱり魂は覚えていた。勝つことよりも大事だったのは、ライバルと一緒に強くなること。一緒に強くなって何度でも戦ってお互いの健闘を称え合うこと。

 強いライバルがここにいる。寝ているわけにはいかない。足腰が言うことを聞かないし、腕も鉄で固められたように重い。脳の命令伝達が全てショートしている。

 構うものか! 二度と立てなくなってもいい。だから今だけは立ち上がる力を!


 ――エイトォ!


 四肢に力を込めてもがきながら仰向けの姿勢から上体を起こす。すると三歩離れた位置からナルカミ・イズナが真っすぐなまなざしで見つめていた。

 分かってる。まだ戦い足りないよね? もっと一緒に戦っていたいよね?

 ようやく気付けた。思い出せた。だからこのまま終わってしまうなんてもったいない!

 杖頭を失い、罅(ひび)だらけになった杖に体重を預け、震える両の足に力を込める。


 ――ナァイン!


 ダウンなんかしてられない。失望させられたかつてのライバルはもうここにはいない。

 誰もが振り返る美貌と、それを彩る琥珀色の輝き。誇り高く気高い最強の魔道師だ。

 この人を目標にしたい。この人の背中を追いかけたい。いつか追いついて、いつか追い越したい。そう思わせてくれた、あの頃のイズナが帰ってきてくれた。


「イズナ……さん……」


 ユーリを蝕んでいた勝利への執着は、縋り付いていた杖諸共砕け散り、


 ――テェェェェン!


 試合終了を告げるゴングの音に包まれて微睡に落ちていった。

 再びライバルと相まみえた歓喜に包まれながら――。

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