第20話『ユーリの計略』

「第二ラウンド! ファイト!」


 サークルに入場したイズナが十メートル離れた位置でユーリと相対していると、第二ラウンドのゴングが鳴り響いた。

 イズナは、右のガードはこめかみの高さ、左腕は腰の高さにしてステップを踏みながらリズムを刻む。第一ラウンドは上手く試合を運べた。シンドウにもガンガン行くと宣言したが、そう簡単に事が運ぶと思うほど幼稚ではない。


 あのユーリがこのまま負けてくれるはずがない。プロになる以前から彼女のことを知っている。負けん気が強くて、勝ちにこだわる。最強でなければ意味がないと考え、どんな敗色濃厚な状況でも絶対に諦めない。必ず起死回生の手段を持っている。相手の持っている手札を全て握り潰さない限り、勝利はない。


 ユーリは上段の構えで杖を持ち、杖頭でこちらを狙っている。相手がどんな魔術を使ってくるつもりにせよ、イズナの戦術は前進あるのみ。

 両足へ雷に変換した魔力を集中し、筋力強化と反射速度の高速化を図る。同時に体内で魔術を構築して自身の質量を低減させると、最大出力で石畳を蹴り抜いて加速をつけた。


 落雷の先駆放電と互角の機動速度は〇・〇〇〇〇五秒という極小の時間単位で十メートルの距離を〇に変える。並の魔眼では超高速のステップインを知覚するのは不可能だ。

 だがユーリの瞳は接近するイズナの姿を見据えていた。こちらの最高速度に目が慣れつつある。これ以上決着を長引かせたらスピードに対応されかねない。


 左拳へ雷撃に変換した魔力を流しこみ、脱力を伴って放たれる一撃がユーリの顔を弾く。秒速二百kmに到達する神速の拳撃を受けながらもユーリは倒れない。

 ヒットポイントへ正確無比に魔力を集中してダメージを低減している。それだけなら基本技術だがユーリのそれは桁が違った。着弾点を読みづらいライトニングフリッカーの軌道を正確に予測して防御しているばかりか、麻痺防止のために帯電性能までプラスしている。

 こちらを狙い定める目が死んでいない。まだ意識を保っている。


 だけど反撃の隙は与えない! 行動を許すな!


 弧を描く軌道で二発目! 手首を返して三発! フリッカーを左右の顎に叩き込む。だがグローブ越しに拳へ伝わる感触が固い。魔力で集中防御している。意識を刈り取れていない。


 反撃が来る!


 イズナの予想に応えるかのように、上段構えにした杖へ魔力が凝縮された。両手でしっかり杖を握り込み、打ち下ろしてくる。杖頭からあふれ出す魔力は、炎のように揺らめきながら長大な剣の形を形成した。


 ――刹那の光刃!?


 魔刃がイズナの前髪に触れた瞬間、刃の横腹を右の裏拳で叩きつつパリング、返す左に魔力を集めて大砲の用意をする。

 杖を両手で振り落とした分、勢いがついて上体の戻しが遅い。

 この隙に渾身の一撃をぶち込め! 試合を終わらせる決定的な一撃を!

 イズナが左の主砲を放つ直前、拳の射出が強烈な力によって強制停止させられた。


「なっ!?」


 自身の拳を見やると地面から伸びた大量の糸が左腕に絡みついている。なんて拘束力だ。全力の拳をあっさりと止められてしまった。

 だけど対処方法は予習済み。電撃で千切ればいい。しかしイズナが左腕に雷撃を流すより速く、ユーリは宙を舞うような軽快なステップで後退していく。

 刹那の光刃は、パリングされることを見越してのブラフだ。振り終わりの隙をあえて見せることでこちらの大技を誘い、本命の魔力の糸を左腕に巻きつけてきた。手札の切り方が抜群にうまい。


 さすがユーリ・ストラトス。さすがライバルと認めた魔道師。これぐらいしてくれなければ面白くない。このまま距離を離されるとユーリのペースに飲まれる。目標との距離は三十メートル。雷撃を左腕から放出して糸を焼き切り、ユーリを追って駆け出した。

 接近を拒絶するように無数の魔弾が飛翔し、サークルの床からは魔力糸が躍り出る。ユーリの姿を覆い隠すほどの弾幕と真夏の雑草のように生い茂る糸の波状攻撃だ。


 弾幕はパリング、フリッカーで的確に迎撃しつつ、雷撃で糸を切断した。絶え間ない魔術の連打を雷速のサイドステップを織り交ぜて掻い潜り、ひたすら前進。距離を詰めていく。

 ブラストバレットは、パリングと体捌きでどうにでもできるが、糸は、厄介だ。避けようと思うと射撃への警戒がおろそかになる。逆に糸への対応を誤れば一瞬で絡め取られ、集中砲火の的だ。最善手を打ち続けるしかない緊張感と高揚感。自然と笑みがほころんでしまう。


 前へ! 前へ! 前へ! 前へ! 足を止めるな! 常に足を動かし続けろ!

 まだ試してない大技がある。これを早く使いたい。早くぶっ放して気持ちよくなりたい!

 だからユーリ。全力で抵抗して。そうでなくちゃ面白くない! 楽しめない!


 快感は、限界まで焦らされて初めて得られる。まだ我慢が足りない。まだスリルが足りない。

 そんな願いを聞き届けるかのように、ユーリの魔術は一層の物量作戦を仕掛けてきた。魔力の消耗を度外視した連続攻撃ながら一発一発がスナイパーの精密狙撃に匹敵する精度を誇る。気を抜けば即急所を射抜かれてサークルに突っ伏すこととなるだろう。


「ユーリ! そうこなくっちゃ!」


 パリングと電撃とフットワークで魔弾と糸を避けながら、進撃を続ける。ユーリの後退速度より、イズナの前進の方が数段速い。あと一歩で射程圏内の間合いだ。

 右拳を固く握って大きく一歩踏み込むと、膨大な量の糸が地面から射出された。

 咄嗟のことに雷速の俊足を以てしても前進も後退も間に合わず、糸に囲い込まれてしまう。


 無数の糸が絡み合って形成された牢獄は、前後左右が完全封鎖され、空中にも逃げ場がない。

 構うものか。こんなものは焼き切ってやる!

 左腕を脱力させて繰り出すライトニングフリッカーが糸を断ち切った瞬間、視界に蒼い火花が走った。


「え――」


 突如イズナの眼前で蒼い爆炎が劫火の花を咲かせる。

 虚を突かれた!? ガードを固める間もなく、全身を爆圧が包み込む。

 凄まじい破壊力! 立っていられない! 歯を食いしばり堪えようとするとも、左足が痛い! 力が入らない!?


「ぐっ!」


 左足から崩れ落ちるようにして、爆風に押されたイズナは、その場に倒れ込んでしまった。


「ダウン! ユーリ選手その位置から三歩下がって!」


 レフェリーがサークル内に現れ、イズナを見下ろしてカウントを始める。


「ワァン! ツゥー!」


 ユーリは絶対零度の視線でこちらを一瞥すると、背を向けて三歩離れていく。

 なにが起きた? 砲撃を撃たれた?

 いや違う。糸だ。魔力の糸が爆発した。砲撃に匹敵するとんでもない破壊力だ。


「立たなきゃ……うっ!?」


 左足全体に熱が走る。溶けた鉄が血管と筋肉の中で暴れ回っているようだ。

 立ち上がりたいけど、左足が動かない。足をつった時の一万倍は痛い。筋肉が断裂してる?


「スリィー! フォー!」


 立て! 立て! 念じながら力を籠めるが左足が反応はしない。

 だめなのか、ここで終わりなのか?

 こんなところで――。


『イズナ選手立てええ!』


 聞こえる。


『頑張ってイズナちゃん!』


 観客の声援だ。ここまで聞こえている。


『こんなところで終わるな!』


 そうだ……もっと戦っていたい。


『もっと戦ってるとこを見せてくれ!』


 いやだ。こんなところで終われない!


「ファイブゥ!」


 だってこんなに楽しいんだ。楽しくて仕方ないんだ。


「シィックス!」


 そうだ。観客を楽しませられない選手に声援が送られるわけがない。


「セブゥン!」


 みんな楽しんでくれている。この試合を喜んでくれている。

 イズナが楽しいからみんなも楽しいんだ。


「エェイト!」


 勝利を信じて待ってくれている人がいる。東側の休憩席で見守ってくれている人がいる。


「イズナ!」


 トレーナーだ。シンドウ・カズトラだ。世界でたった一人、イズナだけのトレーナーだ。顔を見ればわかる。あの人が信じてくれている。勝利を待ち焦がれている。


「立て!」


 こんなに応援してくれている!

 こんなところで寝てられない!

 このまま負けるなんて絶対に嫌だ!


「ナイィィィン!」


 それ以上のカウントを寸断するようにイズナは立ち上がった。

 両の拳を握り締め、飛んでいきそうになる意識を捕まえる。

 休憩席で見守るシンドウに目配せすると思いの丈を込め、右手の親指を立てた。

 心配しないで。ダメージはあるけど動けないほどじゃない。

 まだ戦える。絶対に勝つ。だからそこで見ててね。


「ナルカミ選手。やれますか?」

「大丈夫……やれるよ」


 両腕のガードを上げてファイティングポーズを取り、左足を一歩踏み出そうとした瞬間、痛覚が悲鳴を上げた。思わず顔を歪めて左足を見やる。目立った外傷はないが、この痛みの質はやはり筋肉の一部が断裂している。


「足、大丈夫ですか?」


 レフェリーがイズナの左足に視線を落とした。

 マギシングサークルは、生命の危機が生じないよう安全に配慮しているが、それでも負傷を完全に防ぐことはできない。骨折や筋肉断裂などの重傷を負った場合、試合を止めるレフェリーも少なくない。だけどこんな形でTKO負けなんて納得できない。

 まだ二ラウンド。試合はこれからだ。あと八ラウンド分のお楽しみがあるのに、左足一本の負傷でやめるつもりは毛頭ない。


「大丈夫だってば。ほら早くサークルから出てよー。試合できないじゃん!」


 早く試合を再開させて。待ちきれないんだ。

 この後の展開を考えただけでぞくぞくする。笑いが止まらない。

 不利な状況、大いに結構。ハンデを背負って勝ったら気持ちよさは何倍にもなる。


「……無理はしないように。ファイト!」


 レフェリーがサークルから転移して姿を消した。

 左足が動かないなら右足だ。右足に全体重をかけた踏み込みの間際、魔力の糸がイズナの両足に巻き付かんとする。また爆発するかもしれない。雷撃で焼き切る選択肢はない。

 後ろに跳んで糸をかわすも、今度は両手を縛ろうと伸びてくる。

 さすがに腕を取られるのはまずい。パリングで受け流し、糸の軌道を変える。なるべく素早く。だけど優しく。爆発されたら厄介だ。


 襲ってくるのは糸だけじゃない。射撃魔術による精密射撃の連射が糸とともに行進してくる。右足一本では複雑な機動は困難だ。回避は難しい。パリングの比重を多くするしかない。

 後退しつつのパリング連打で魔弾と糸を受け流し続けると、一本の糸がぼこぼこと不規則に膨らみ、凄まじい速度で膨張していく。


 また爆発! だけどもう同じ手は食わない!


 糸を食い破って姿を現した蒼い爆風を右手で上方向へ受け流す。爆炎は、ドームの天井目掛けて登ったが、サークルを囲うように展開された防御障壁に阻まれて散らされていく。やはり魔力の爆発であるが故、パリングで干渉して爆炎を受け流せる。これならいける。接近できる!

 遠方で杖を振るい続けるユーリにロックオンして突撃しようとした矢先、ゴングの音と共にレフェリーが転移してきた。


「第二ラウンド終了! 両選手、休憩席に戻って!」


 これから攻勢に出て大逆転する場面だったのに、冷や水をかけられた気分だ。


「ちぇっ……」


 イズナは、不完全燃焼になった快感を次のラウンドで開放することにして、サークルから休憩席に転移した。

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