第18話『雷』
暗黒の中でユーリ・ストラトスは困惑していた。
呼吸する度、鼻の奥で鉄の匂いを感じる。
瞼が異様に重い。鋼鉄の糸で縫い留められているようだ。強引に目を開くと視界がドロドロに溶けており、無数の眩しい光の玉がこちらを見下ろしている。
ここはどこだろう?
自分はなにをしていて、どんな状況に陥っているだろう?
たった一つわかるのは痛みだ。顔の中心が痛くて痛くてたまらない。痛い部分を押さえたいのに指が動かない。微睡の感覚が意識にまとわりついている。夢でも見ているのだろうか?
ワァーン――。
声が聞こえる。男性の声だ。
ツゥー――。
起きなくちゃ。早く起き上がらなくちゃ。そんな気にさせてくる声だ。
スリィー――。
でもなんで?
どうしてこんなに焦ってしまうの?
この声は誰の声?
フォー――。
どこで聞いたのか思い出さなくちゃ。この声はついさっき聞いたはずの声。
ファイブゥ――。
レフェリーの声?
レフェリーがカウントしている?
何故?
「はっ!?」
意識の覚醒と同時に、ユーリは自分の置かれている状況を即座に把握した。
ここはシンドウアリーナのサークルの中。ユーリは仰向けに倒れて天井を見ている。光の玉の正体はサークルを照らすスポットライトだ。
視線を左右に振ると、左側にカウントを進めるレフェリーの姿を捉えた。
「シックス! セェブン!」
まずい。早く立たなくちゃ!
渾身の力を込めて肉体を奮い立たせる。顔面の痛みは相当だが、足にはきていない。これなら踏ん張れる。
「エイトォ!」
両足に全神経を集中して地面を蹴るようにして勢いをつけ、なんとかダウンを脱する。
三歩分の距離離れた真正面には喜色満面、絵に描いたようにほくそ笑んでいるイズナがいる。
なんて腹立たしい顔だ。今すぐ食い破ってやろうか。杖を構えようとした矢先、レフェリーは二人の間に割って入った。
「ユーリ選手。やれますか?」
「や……やります」
鼻の痛みのせいで口が動かしづらい。どんな攻撃をもらったのか全く覚えていないが痛みの質からして打撃系。拳で思い切り殴られたと考えるのが自然だが――。
――まったく見えませんでした……ユーリはなにをもらったんですか!?
「それでは無理をしないように。ファイト!」
レフェリーは両手を振り下ろし、サークルから転移魔術で外へ出る。それを合図にユーリは杖を振るい、自身の周囲に球状の魔力弾を展開する。着弾の衝撃で起爆する炸裂式射撃魔術ブラストバレット。その数はおよそ三百。
ユーリはバックステップしつつ、一斉射撃を撃ち放つ。高速魔弾が群れを成した狼のようにイズナに襲い掛かった。
どんな魔術を使われたかわからないまま倒されたということは、相手の速度がこちらの想定を大幅に超えている証拠だ。
接近戦はまずい。とにかく距離を離してイズナの間合いの外に。そんなこちらの目論見を嘲笑うかのように破顔したイズナが、魔弾の群れを掻い潜り、間合いを詰めてくる。
弾頭と弾頭の間にできた隙間を縫う稲妻の如き足捌きは、敵ながら見事だ。それでもさすがにフットワークだけで全弾避けるのは難しいらしく、いくつかの弾頭が直撃コースに入った。
当たれば炸裂の衝撃で足を止めて反撃のきっかけを作ることができる。
そんな淡い期待ごと、魔力弾は片手で払いのけられた。
「パリング!?」
バシュン! バシュン! っと魔力を受け流す特有の摩擦音が鳴り響く。
「ユーリのブラストバレットが!? 受け流しているんですか!?」
超高等技術でブラストバレットが容易く受け流していく。しかもイズナは、余裕の笑顔だ。
なんて腹立たしいのか。これは試合だ。なにを笑っている? なにが楽しい? 追い詰めていることがそんなに嬉しいのか!?
ブラストバレット最後の一発を受け流したイズナの姿が憎たらしい笑顔ごと視界から消え失せた。どこへ行った!?
考察の間もなく害意が頬を撫でる。視線を下に振ると、獲物を狙いすました猫のような低姿勢でイズナが懐に飛び込んでいた。
速すぎる! 反応できなかった!
攻撃して距離を空ける? いや、間に合わない! 目を見張れ!
この一撃は甘んじて受けるしかない。ダウンを取られても意識を断ち切られなければそれでいい!
徒手空拳は、上半身への攻撃に限定されるから打点の予想はしやすい。
顔面に魔力を集中! 歯を食いしばれ! 多少のダメージを覚悟しろ!
魔眼の出力も最大にする。視神経が焼き切れても構わない。一挙手一投足を見逃すな! この一撃を耐えきって攻略の糸口を掴め!
イズナの左拳から生じた魔力の輝きが網膜に焼き付いた刹那、蛇のようにうねる雷撃が牙を剥いた。鈍い衝撃がユーリの頭骨を貫く。脳から足に命令伝達する神経が麻痺して踏ん張りがきかない。拳に纏った雷撃の効果だろう。
ダウンは仕方ない。だけど意識だけは失うな。ここで手放したら次に戻ってくるのはよくて控室、悪くて搬送先の病院。この試合中に目覚めることはありえない!
ユーリは全力で意識を抱き止めながら、サークルに仰向けで倒された。石板の固さと冷たさが背中に広がっていく。
「ダウン! ナルカミ選手! その位置から三歩下がって! ワァン! ツー!」
顔面に魔力を集中して防御したが、想定以上のダメージ。しかし決して無駄ではない。雷撃を纏った左腕が鞭のようにしなっていたのが見えた。凄まじい速さだったが捉えることができた。まるで稲妻がそのまま拳の形になったかのような打撃。ライトニングフリッカーだ。
「スリィー!」
レフェリーのカウントの声が聞こえる。意識がはっきりとある証拠だ。
ギリギリまで寝ていればいい。今すぐ起き上がってもまた倒されるだけだ。対策を練らないと一方的に打ちのめされてしまう。
ダウンを恥じるな。勝つことだけ考えればいい。どんなにみじめだって最後に勝てばいい。
いい試合だと言われても負けたらなんの意味もない。客からすれば内容のつまらない試合であっても勝つことだけが正義だ。
「フォー!」
着弾点に魔力を集中して完璧に防御しても、あの破壊力相手ではもってあと一~二発。こちらが被弾する前に決着をつけないとまずい。
「ファイブ!」
スパーリングでは仕留めるのにレイジングフラッシュが二発必要だった。あの高速突進を捌きながら砲撃を最低二発。いや、以前より身体強化魔術の練度が増していることを考慮すれば更なる攻撃が必要かもしれない。
「シィックス! セブゥン! エイトォ!」
ダメージは大分回復した。休むのはもういい。ユーリは、はねるように立ち上がった。
「効いて……ません。やります」
レフェリーは、しばしユーリの顔を見つめてからゆっくりと頷いた。
「無理はしないように。ファイト!」
再会の合図と同時にレフェリーが転移し、入れ替わるようにイズナが手の届く距離に飛び込んできた。すさかず抜き放たれたフリッカーがユーリの顔面に直撃する寸前――。
「ストオオオオオオオオオップ! 第一ラウンド終了!」
レフェリーがユーリとイズナの間に割って入ってきた。
少し遅れてゴングの音がユーリの耳に届く。
「両選手、サークルを出て休憩席に戻って!」
「はーい!」
イズナは、明朗な声を上げると客席に向かって両手を大きく振った。
「みんな応援よろしくね! 次のラウンドで決めちゃうかもよー!」
嵐のような声援がサークルに降り注ぐ。観客は、すっかりイズナに魅了されてしまっていた。
祝福と応援のシャワーを一身に浴びるイズナの足元に、幾何学模様の魔術陣が展開され、サークルから東側休憩席に転移した。
まるで我こそが勝者だと言わんばかりの振る舞いを、ユーリは黙して見送ることしかできなかった。
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