第10話『修行開始』

 ナルカミマギシングジムのトレーニングルームに、早朝の蒼い光が差し込んでいる。

 部屋の中央で藍色のスタッフジャンパーを着たシンドウが、スマホを凝視していた。

 ジャンパーの背中にはデフォルメされた龍が杖を持っている絵が白と黒の線で描かれている。

 これはナルカミジムのマスコットキャラクター〝ドラマジくん〟だ。

 現在シンドウが見ている動画は、ユーリ・ストラトスの過去の四戦の試合映像である。


「インターネットってマジ便利だな……これやっべぇよ、マジで」


 魔術なしで構築された情報通信網とは恐れ入る。これが五百年前にあったら戦争の在り方は大きく変わっていた。が、それ以上に感心させられるのは、ユーリ・ストラトスの試合だ。


「やっぱり砲撃魔術の練度が図抜けてやがる。しかも射撃魔術も超一級品。正に天賦の才だ。さてイズナがこれを攻略するために――」

「早速練習開始だね!」


 サンドバッグの前に、杖を手にしたイズナが立っている。黒いドラマジ君のロゴが背中に入った白いTシャツと黒いハーフパンツ姿だ。彼女がいつも着ているトレーニングウェアである。

 やる気全開なのはいい。問題は手に持っている杖であった。


「なんだそれ?」

「おじいちゃんの杖だよ?」

「杖は、いらねぇから置いてこいっつってんだろ!」

「これはおじいちゃんの形見の杖なんだよ!?」

「昨日話したよな!? 杖はイズナには向いてないって! 納得してたよな!?」

「話は聞いたけど納得したなんて一言も言ってないもん!」

「屁理屈こねてる時間があるのか!? 随分と余裕だな!」

「だってシンドウさんも言ってたじゃん。私は天才だってさ!」

「接近戦ではって枕詞はどこに落としてきたんだ!?」

「どこだろー? ベッドの上かなー?」


 八歳年下の相手と口論するなんて大人げない。冷静に行こう。

 そう努めようとしたシンドウだが……やっぱり腹が立ってきた!


「杖は置いてきなさい!」

「やだ!」

「接近戦でそんな取り回しの悪い得物ってどうすんだ!?」

「棒術!」

「それなら棒術用のちゃんとした棒を使いなさい!」

「これがいい! これじゃなきゃ絶対にやだ!」

「じゃあ絶対に勝てないままでいいんだな!?」

「よくない!」

「だったら!」

「おじいちゃんの形見なんだよ!?」

「その杖は試合で使わなくてもなくならないだろ!? だけどおじいさんのジムはお前のこだわり次第でなくなるんだぞ!」

「でもぉ……」

「ユーリは適性に合ってない戦い方をして勝てる相手じゃないんだ! ほら!」


 スタッフジャンパーのポケットから革製の手袋を取り出す。指や掌、手の甲などの各部に白い金属板が取りつけられている。


「徹夜したんだぞ。材料は、ジムにあったから調達の苦労はしなかったけどな」


 シンドウ特製の触媒は、ジャポニア原産の魔獣〝剛魔牛〟のなめし革の手袋に、軽量で魔力浸透性に富むミスリニウムのフレームを仕込んである。装甲材には、重いが強度に優れるアダマンニウムを採用した。

 渋々触媒のグローブを受け取ったイズナは、上目遣いでシンドウを見つめてくる。


「……シンドウさんの言うこと聞いたら、ほんとにユーリに勝てる?」

「俺たちなら勝てる。保証するよ」


 イズナは、杖とグローブを交互に見ながら唇を噛んでいる。しばらくそうした後、ため息とともに杖を壁に立てかけた。


「……分かった。言うこと聞く。でもここには置いてていーい? おじいちゃんが見守っててくれる気がするんだ」


 まるで母犬に甘える子犬のような表情をしている。

 ここまでされたらさすがにダメとは言えない。


「もちろんだ。置いてていい」

「ありがと!」


 イズナは壁に立てかけた杖に囁きかけた。


「おじいちゃん、見ててね。シンドウさんが私に変なことしたら、枕元に化けて出てね」

「コラコラ。怖いこと言うんじゃない」

「冗談だよー。新しい触媒ありがとうねシンドウさん」


 グローブをはめたイズナは手を握ったり開いたりを繰り返し、眉間にしわを寄せた。


「むむむー。なんか、なにも持ってないと違和感あるなー」

「そのうち慣れるさ。それじゃあユーリ対策をさっそく教えようか」


 先程の仏頂面とは打って変わって、イズナは満面の笑顔で左右の拳を繰り出した。


「お、いいね! 早く早く!」

「いいかユーリは典型的な遠距離型魔術師だ。内魔術と外魔術の適性はお前よりも圧倒的な格下だ。習得してる技術も射撃魔術と砲撃魔術が中心。当然だが接近戦には弱い。もっとも彼女はマリアが鍛えてるから、その辺りのケアもしてある。例えば魔力の糸だな」


 糸で縛り上げた相手を遠距離魔術で叩くのは、マリアがよく使っていた戦法だ。


「あんなのアマチュア時代はやってこなかったよ! おかげでびっくりしちゃった」

「そこが彼女のミスだ。俺もユーリの試合の動画をチェックしたんだが、魔力の糸は一度も使ってない。恐らくティアⅠトロフィーホルダー挑戦を視野に入れた切り札だ」


 アマチュア時代にも使用していないというイズナの証言からすれば、最近覚えたばかりの秘密兵器といったところか。それなのにスパーリングでイズナとの力の差を見せつけたいがあまりに、その秘密兵器を使ってしまった。

 ユーリが魔力糸を使ったあの瞬間、マリアの顔色が曇ったのをシンドウは見逃さなかった。


「あの時、マリアは露骨に顔を曇らせた。明かしたくない手の内だったんだ」


 魔力の糸を使ってくると分かっているなら話は簡単。対策を立てればいい。


「糸なんてもんは焼き切っちまえばいい。イズナは雷の魔力属性変換、得意だろ?」

「すごーい! なんで分かるの!? 試合では全然使ってないんだけど!」

「魔力の属性変換は、内魔術・外魔術・遠隔魔術のどれが得意かで適性のある属性が分かるんだ。イズナは内魔術と外魔術の適性がずば抜けてる。この二つに高い適性を持つ者が得意とするのが雷だ」


 内魔術が得意だと炎や土、外魔術が得意だと風や水に適性があるとされている。雷は炎と風の複合だ。接近戦においてこれほど有用な属性はない。

 何故今まで使わなかったのか、理由は想像つくがあまり聞きたくない。それでも念のために聞いておいた方がいいだろう。


「……ちなみに理由を聞いてもいいか?」

「だっておじいちゃんは使ってなかったんだもん。あんな小技は好かん! って言って。でも本当は苦手ってだけだったみたい。私も砲撃のほうが好きだったし、属性はいいやって」

「予想通りの答えをありがとう……」

「でもさ、糸をなんとかしてもあの集中砲火にどうやって切り込めばいいの? さすがにまっすぐ突っ込んだらただの的じゃん」

「さーて、どうする?」


 挑発的に尋ねてみると、イズナの頬が焼いた餅のようにぷっくらと膨らんだ。


「むー! 私を試してるな!? んーと、そうだなぁ……」


 腕を組んだイズナは、こくりこくりと頭を左右に振っている。


「このグローブを使ってだから射撃とか砲撃で撃ち合いじゃないよね。昨日はそれで負けちゃったし……」


 今度は両の拳を握り込み、両腕のカードを鼻の高さまで上げる。


「でもガードしてるだけじゃ、火力と手数に押し切られちゃう。ユーリの砲撃の破壊力は……悔しいけど私より上だ。防御は無理だから受け流すしか……」


 ハッとしてガードを下したイズナがシンドウを一瞥する。


「もしかしてユーリの魔術を受け流すの!? 掌で!?」


 勘のいい子だ。説明の手間が省けて助かる。


「正解だ。パリングは聞いたことあるかい?」

「掌に魔力を集中させて魔術を受け流す技術でしょ? 知ってるけど今時使ってる人なんていないよ! あれって使いこなせる人全然いなくて廃れちゃったんだ! おじいちゃんでもできなかったんだよ!」


 それなら尚のこと効果的だ。誰もやらないことをやるのは相手の意表を突ける。


「よし、さっそく実践だ。試しに魔術を撃ってこい」


 シンドウが魔力を集中した右掌をイズナに向けると、彼女はいじけたように口を尖らせた。


「杖なしで撃ったことなんてないよ! シンドウさんだって――」


 イズナが言い切る前にサンドバッグに目標を定める。パリング用に集中した魔力を高速で射撃魔術の構築に組み直し、掌から魔力弾を発射した。

 魔力弾特有の甲高い炸裂音を響かせてサンドバッグの着弾点が赤熱化する。精度・速度・威力。そのいずれもが五百年前と同等の水準を保っている。まだまだ鈍ってはいないようだ。


「シンドウさんの射撃魔術……おじいちゃんよりすごいかも……」


 イズナは呆気に取られていたが、すぐさま不服そうに眉尻を吊り上げた。


「あ、今のって自慢でしょ!?」

「まぁな。マリアもそうだったが、戦場じゃ持ってる触媒の種類で得意な魔術系統が悟られるからな。基本的にみんな素手とかイズナが使ってる手袋型の触媒で魔術を使ってた」

「へぇ。でもたしかに素手はすごいけど、素手で魔術使う人って今時あんまいないよ?」

「たしかに素手は汎用性に富むが、その分器用貧乏になる側面はあるからな」


 武器を触媒にして魔術を使う方法は、特化型の魔道師には効果的だ。

 そもそも今は昔と違って特化型の魔道師も多い。尖った技術を持った魔道師同士がぶつかり合うほうが試合で映えるというのも理由の一つだろう。


「さて、素手と違って触媒で魔術を発動するには、使う魔術に合わせて触媒を調整する必要がある。杖を使う場合、どんな魔術の運用が想定されるかわかるか?」

「んもう! バカにしないでよ! そんなの基本じゃん! 射撃とか砲撃の遠距離魔術。あとは懐に潜り込んだ相手を追い払う時用に、杖を長物に見立てた打撃とか斬撃とかでしょ?」

「そうだ。例えば刹那の光刃」


 シンドウの右手に魔力を凝縮して作られた剣が現れた。燃え盛る蒼炎を目には見えない力場で無理やり剣の形に押し留めているようだ。だが剣の形を保っていたのもほんの束の間。瞬く間に魔術の剣は砕け散り、霧散していく。


「こいつは今でもよく使われるみたいだな。迎撃カウンター型の近接防御魔術だ。接近してきた相手を魔力の剣で迎撃する。俺と俺の師匠が共同で開発した魔術だよ」

「シンドウさんの師匠って魔術の祖カワシマ・ガンテツだよね? やっぱり生きた魔術辞典は師匠もすごいなぁ!」

「だから俺をその名前で呼ぶのはやめなさいって! ったく……話を戻すぞ。刹那の光刃はマリアも得意な魔術なんだ。ユーリが試合で使用してる姿は出てないが、覚えてないはずがない。杖は刹那の光刃とも相性がいい触媒だからな」

「近距離では剣。遠距離では射撃魔術……やっぱり杖優秀じゃん!」

「逆に言うならそれ以外の魔術を使うなら杖以外に適した触媒があるってことだ。今からイズナに教える魔術はどれもこれも杖向きじゃない。それじゃあパリングの手本を見せるぞ。サークルに入れ。あ、さっきはああ言ったけど杖使っていいぞ。杖使っていいから俺にレイジングフラッシュ撃ってくれ」

「え!? 本気!?」


 目を丸くするイズナを他所に、シンドウはスパーリング用サークルの縁を踏んだ。足の裏から靴底を通して魔力を流し、サークルを起動して中に入った。


「本気本気。ほら早くしろ」


 杖を持ったイズナは戸惑いがちにサークルに足を踏み入れると、ジトッとした目付きで睨んできた。


「……馬鹿にしてるでしょ?」

「してねぇよ」

「ウソだ! 私のレイジングフラッシュが大したことないからって!」

「お前のは威力だけならいい線いってるよ。いいから撃ってこい。最大出力だ」

「怪我しても知らないからね!」

「お前こそ手加減するなよ。それじゃ意味がないからな」

「じゃあいくよ!」


 イズナの構える杖から青白光の熱線から放たれた。

 すかさずシンドウは、右手へ魔力を集中させる。まっすぐ突っ込んでくる魔力熱線に照準を合わせると右手で熱線の先端に触れた。掌を押してくる勢いに逆らわない。力まず、素早く、正確に、右腕を薙ぐように振るった。


 バシュン!


 魔力を受け流した際に発生する特有の音が響いた。標的を失ったレイジングフラッシュはまるで酔っぱらった蛇のように空中を迷走した後、蒼い魔力粒子と化して大気に溶けていく。


「これがパリングだ」


 意識してあえてドヤ顔を作ると、イズナの目から羨望と尊敬の念が滲み出した。


「すごーい! 超高等技術なんでしょ!? なんでそんな簡単にできちゃうの!? さっすがシンドウさん! 伝説の魔道師は伊達じゃないね! すごいなー。なんでもできちゃうんだ。苦手な魔術とかってないの?」

「実は覚えてる魔術のうちの半分以上は、あんまり得意じゃないんだよな」

「ええ! シンドウさんも得意と苦手あるんだ! 魔術辞典なのに!?」

「そりゃあ誰よりも多くの魔術を覚えたんだ。全てを一流になんかできないさ。だけど二流の技術でも使い方次第で極限まで鍛え上げた一つの技に対抗できる。まぁ全部二流じゃ話にならないけどな。そして次魔術辞典つったらぶん殴るぞ!?」

「じゃあさ! 得意な魔術はなんだったの!? 気になるー!」

「砲撃と封印だ。まぁ砲撃のほうはユーリやマリアには劣るがね」

「封印かぁ。封印が得意だから魔族を封印してたの?」


 人魔大戦の最中、敵対する魔族を封印していた。字面だけなら命を尊重している博愛主義者然としているが実際には違う。命を奪う度に傷付く己の心を救おうとしただけだ。昔の自分の身勝手さと見苦しさに自嘲を禁じえない。


「まぁ、そんなところだ」

「ふーん……」


 イズナはなにか言いたげだったが、それ以上口に出さなかった。

 ナルカミ・イズナという少女は、人との距離感が近いようで必要以上には踏み込まない。

 出会ってからの二ヶ月、シンドウの過去を全く詮索しなかったわけではない。それでもこちらが少しでも言いよどんだりすると、イズナのほうから即座に話題を打ち切ってくれた。そしてそれ以降、同じ話題を尋ねてくることもない。

 八歳も年下の少女の気遣いがありがたく、同時に頼っている自分が情けなくもある。

 ならばせめて魔術の先達として教えられることを教えねばなるまい。


「さ、パリングの練習やってみるか。少なくとも今の俺よりも高精度にしてもらうぞ!」

「え!? シンドウさんよりも!?」

「当たり前だ。俺なんか超えてもらわないと困る。実際、五百年前は俺よりパリングが上手いやつが何人もいたんだぜ?」

「へー! すごーい!」

「みんな死んじまったけどな」


 嬉々としていたイズナの面差しに影が差し込んだ。


「俺だけが生き残っちまった」


 魔術全盛時代においてシンドウは、人間側に限っても最強の魔道師とは呼べないレベルだ。

 今の時代では伝説の魔道師だの生きた魔術辞典などともてはやされても、五百年前の水準から見れば〝上位クラスの魔術師〟の一人にすぎない。


「俺は才能の欠片もなかったし、魔力を持って生まれたわけでもない。歴史の教科書とかにも書いてあっただろ?」

「う、うん。魔力を持たずに生まれたのに、最強の魔道師になったって」

「俺より才能に富んだ強い魔道師は多くいたのに、この時代で一番の有名人は俺だ。伝説は脚色しやすい人物を選んで作るもんなんだよ」


 後天的に魔力を獲得して誰よりも多くの魔術を操った。シンドウの経歴を箇条書きしたらそれらしい逸話に聞こえる。

 実際には際立ったものがないから、誰でもできることを極めただけにすぎない。


「だけどイズナは俺とは違う。その溢れ出る才能をいくつかの魔術に注ぎ込めば、俺を超える魔道師になれる」

「私がシンドウさんを?」


 イズナは訝しげにしているが、この場面で嘘をつくほどひねくれた性格じゃない自負はある。

 期間は一ヶ月。敵は魔王が育てた天才ユーリ・ストラトス。相手にとって不足はない。


「よし! まずはパリングの特訓だ」

「うん! ねぇねぇ」

「なんだ?」

「パリングって……杖でもできる?」

「だああああああああああああああああっ! もう! まだ言うか!? このあとは使う予定ないから適当な場所に置いてきなさい! 俺はその間に練習の準備しとくから!」

「ぶー! はーい……」


 イズナが杖を持ってサークルから出ていくのを横目で確認しながら、シンドウは両手に魔力を集中させた。

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