第二章:二つの天賦の才

第9話『ユーリ・ストラトス』

 マリア・マクスウェルが経営するマクスウェルマギシングジムは、シンドウアリーナと隣接するサクラギ駅東側の目抜き通りに面している。通りに面した壁は一面ガラス張りになっており、練習する選手の様子を外から一望できた。

 ジャポニアでも有数の乗降客数を誇るサクラギ駅の近くとあって、通行人の数も時間帯を問わず多い。昼下がりの午後にも拘らず見物人がジムの前で列を作っている。


 数十人のプロ選手たちがトレーニングで汗を流している中、見物人の注目を一際集めているのは戦装束姿のユーリ・ストラトスだ。

 年齢十五歳。今年の四月にマギシングサークルのプロ選手としてデビューした。彼女の目的はただ一つ。ナルカミ・イズナを倒すことだった。


 アマチュア選手時代、ある時点までユーリは無敗であった。誰にも負けない。誰も追いつけないはるか高み。天賦の才能に恵まれたが、それ以上にユーリの強さを支えていたのは絶対的な努力値だった。

 才能に恵まれた者が誰よりも努力すれば必ず最強になれる。才能ある者の努力は、絶対に裏切られない。揺るがしようのない世の理だと、固く信じていた。

 中学に入る頃には、アマチュアからプロデビューまでの流れとティアⅠトロフィー獲得の道筋が見えていた。最短距離を最速で走り抜ける。ユーリの進む道を邪魔する者は誰もいない。そう思っていた。


 そんなユーリに初めて敗北の味を教えたのがナルカミ・イズナだ。驚異的な身体能力を武器にして、強引に砲撃を当ててくる戦闘スタイル。アマチュア時代、何度挑戦しても彼女にだけは勝てなかった。ユーリには、イズナほどの突出した身体能力はなかったのだ。

 イズナに追いつくために誰よりも努力した。でも彼女には追いつけない。さらに努力を重ねても、それでも遠い。どれだけ走っても走ってもイズナの背中は遠くて――。


 だから年頃の少女ならば誰もが抱く欲望は全て捨てた。ナルカミ・イズナに勝つためにはそれしかないと考えていたから。

 だけど違った。昨日のスパーリングで思い知った。なんと弱いのだろう。なんと情けないのだろう。だけど、それでも関係ない。叩き潰す以上は全力で徹底的に。

 我こそが最強である。そう念じながら杖へと魔力を送り込む。狙いは対魔術コーティングが施されたサンドバッグだ。


「レイジングフラッシュ!」


 杖頭から解き放たれた蒼い光が灼熱の激流へと姿を変えてサンドバッグを叩いた。直撃を受け止めた対魔術コーティングは瞬く間に焼け焦げ、白煙が立ち上る。


「調子はよさそうね」


 壁に寄りかかって練習を眺めるマリアの様子は、実にご機嫌だ。大好物のケーキを目の前にした子供のように、きらきらとした気配を纏っている。

 マリア・マクスウェルと出会ってから、ユーリの人生は変わった。早朝ジムを訪れて登校時間ギリギリまで練習をするのがモーニングルーティンとなった。学校が終わると家には帰らずジムを訪れ、深夜まで徹底的に鍛え上げてようやく一日が終わる。

 おかげで今ではティアⅠチャンピオンの頂にすら手が届く領域に到達した。ナルカミ・イズナなんて敵ではない。


「ええ、調子はいいです」

「それなのに随分と機嫌が悪いわね」


 心配する台詞と愉悦に満ちた表情がまったく噛み合っていない。マリアのことは尊敬しているが、彼女の思考を読めたためしがなかった。


「マリアさんは楽しそうですね」

「実際楽しんでいるわよ。こんなに楽しいのは何十年ぶりになるのかしら」


 相談もなしに突然決められたユーリとイズナのマッチメイク。やはり意図が分からない。


「……どうしてユーリとイズナさんの試合を?」

「あなたに必要だと思って。なにより私の目的のためにあなたを利用させてもらっているのよ」

「目的?」


 マリアの目的とやらは予想できる。伝説の魔道師シンドウ・カズトラに違いない。

 人間軍に所属して数多くの魔族を封印し、それよりも多い魔族を殺した英傑。

 魔族軍の魔王であったマリアとは浅からぬ因縁があるのは想像に難くない。とは言え、二人の因縁なんてどうでもよかった。今ユーリが優先すべきは打倒ナルカミ・イズナ、それだけだ。


「ユーリには関係ないので、お好きにどうぞ」

「釣れないことを言わないでほしいわ。そうね、あなたには話してもいいかもしれないわ。そう、私の目的はあの男と五百年前の決着を――」


 マリアの声を断ち切るように、ユーリのお腹が小さな悲鳴を上げた。時計を見れば三時。おやつの時間である。急いで栄養補給をしなければ!

 すぐさまローブのポケットに入れていたチョココロネを取り出して頬張った。もふもふのパン生地ととろとろのチョコクリームが口の中で混ざり合って旨味の協奏曲を奏でている。


「ユーリ? 聞いているかしら?」


 もくもくと口を動かしながら頷いた。


「そう……ならいいの。その五百年前の決着っていうのはね――」


 甘いものを食べる時間は無心になれる。味覚に全神経を注ぎ、それ以外の感覚を削ぎ落しておやつと一体化する。これで今日の練習にも耐えられそうだ。しかし食いしん坊な胃袋は、まだまだ栄養を求めている。

 再びローブから取り出したるはポテトチップス。コンソメ味三倍濃い目だ。バリッ! とビニールの破れる小気味よい音が木霊した。


「……ユーリ、聞いてる?」


 内魔術で身体能力を極限まで強化。最速でポテチを口に放り込みつつ頷いた。


「それで五百年前の決着っていうのは私とシンドウが――」


 さくりぱきりと香ばしい音が鳴る。コンソメ独特の風味と塩味がたまらない。甘さに支配された舌が喜んでいる。


「もうユーリ! ちょっと聞いて!」


 今度は揚げ煎餅。甘辛さくふわ食感がたまらない。


「ねぇユーリ! お願いだから聞いてちょうだい!」

「……はぁ」


 なんてしつこさだろう。一日で一番の楽しみ。全ての欲を捨てた自分に許した唯一のご褒美。人生の生きる意味の大部分を占めている神聖な行為を邪魔されるのは、極めて不快な気分だ。


「マリアさん。おやつは練習で使った栄養を補給するための行為です。つまりユーリのおやつは練習なんです。練習の中で一番大切な時間を削ってでも聞く必要があるほど、大切な話なんですね? もしつまらなかったらマリアさんでもひねりますよ?」

「大事な話よ! そもそも私とシンドウはね――」

「人の恋愛話ほど興味をそそられないものもありません」


 もうどうでもいいからおやつを食べたい。願いもむなしく、マリアは頬を真っ赤に染めてタコのようにくねくねしている。


「れ、恋愛だなんて! いやだわ! も、もしかして私とシンドウって、そういう関係に見える? そ、そりゃあまぁ人間と魔族、敵味方に分かれてたわけだからお互いに色々あったけど、いい時期もあったのよ? たとえば私とシンドウが……」


 このままだと話が終わりそうにない。マリアは一度行動を起こすと、中々止まらない性質だ。人の都合より、自分の都合を優先させる節がある。となれば現状を打開するのに必要なのは、実力行使だ。


「マリアさん。一つだけお尋ねしてもよろしいですか?」

「ええ、なんなりと。私とシンドウの話で聞きたいことがあれば――」


 マリアの発現を遮るように。サンドバッグに砲撃を叩き込んだ。最大出力の熱線は、対魔術コーティングを貫通してサンドバッグを哀れな燃えカスに変えた。


「マリアさん。ユーリのレイジングフラッシュはどうですか?」

「……え、ええ。とてもいい感じよ」

「それじゃあもう一つ聞きたいのですが、ユーリのおやつを邪魔して話を続けるか、黙っておやつが終わるのを待つか。どっちがいいですか?」

「ちなみに、前者を選ぶとどうなるのかしら?」


 問われたユーリは、なにも言わずに杖で無残なサンドバッグを指し示した。


「ゆ、ゆっくりおやつ食べてね」


 これでようやく栄養補給に専念できる。残った揚げ煎餅の欠片を口に放り込んで、無傷のサンドバッグに狙いを定めた。


「ちょ、ちょっとユーリ、食休みしないと体に悪いわよ?」


 そんな時間はない。栄養補給をしたのは練習を続けるため。己を鍛えるため。たとえナルカミ・イズナがどれほど弱かろうと全力で叩き潰す。そのためには一秒だって無駄にできない。

 だってユーリ・ストラトスが目指すのは、ナルカミ・イズナのいる場所の先の先。ティアⅠチャンピオンになることなのだから。

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