第8話『天賦の才』

「イズナがユーリに勝つ方法はある」

「え?」


 五百年前、多くの命を手にかけた人殺しの〝魔術師〟にはその資格はないかもしれない。

 本来であれば相容れるはずのなかった純粋な〝魔道師〟の少女にどれほどのことをしてやれるかもわからない。

 だけど魔王の巣に絡め取られた後にできることがあるとするならば、とことんもがいて糸を引きちぎり、巣を破壊する以外ない。


「私が勝てる……」


 勝つ方法はある。シンドウの言葉を信じられなかったのだろう。イズナは呆気に取られていた。だけど、きっとそれはイズナがどんな奇跡よりも望んでいた言葉だったのだ。

 すぐさま普段のハツラツとした笑顔を取り戻し、飛び掛かるようにして抱きついてきた。まるで父親にじゃれつく子供のような反応だ。


「ほんとに!?」

「嘘じゃないさ。一から説明するよ。テレビでイズナの試合を見ながらな」


 シンドウは食卓の上に置かれたリモコンを取り、壁掛けにされたテレビに向けた。


「……イズナごめん。これどうやって録画見るの?」

「んっもぉー! いいから貸して!」

「面目ない……」


 我ながら情けない。穴があったら入りたい。穴がないなら掘ってでも入りたい。


「いつの試合見るの?」

「昨日の試合を最初から」


 ナルカミ・イズナ対カイル・ビンス。カイルは二十二歳でデビュー七年目。戦績は二十四勝・十八敗・四引き分け。剣を触媒とした近接戦闘を得意としている。


「イズナ。カイル・ビンスと戦った印象は?」

「強かったよ。接近戦でガンガン来るからすごくやりにくかった」

「でも一度もチャンピオンにはなっていない。ティアⅠどころかティアⅢでもだ」

「それは……でも強かったもん」


 戦績から考えても平均以上の実力を持っている魔道師であることは間違いない。だがイズナが生まれ持った器とは、到底比較にならない凡人であるのもまた事実だ。


「本来イズナが負けるような相手じゃない。圧倒的に格下だ」

「だけど!」

「画面に集中しろ。まずは序盤の展開だ」


 試合開始と同時にカイルは、イズナに接近するべくサークルを蹴った。恐らく射撃魔術に適性がないか、あるいは極端に低くて接近型の魔術しか取得できなかったのだろう。

 踏み込みの速度は悪くない。四十戦以上のキャリアを積んでいるだけあってスピードはかなりのものだ。


「イズナがこいつに判定負けをした原因がさっきも話した砲撃魔術の魔術構築の遅さだ」


 イズナはカイルを迎撃しようと、レイジングフラッシュの発射体勢を整えている。

 反動に備え、両足を前後に大きく開く。体内で循環する魔力を杖に通して杖頭に集中していた。だが魔術構築の完成よりも一手速く、カイルの剣先はイズナを射程内に捉えていた。

 すかさずカイルはイズナの杖を攻撃。手から杖を弾き飛ばす。

 杖を弾かれながらもイズナは拳の殴打でカイルの顎を抉った。そうして相手がひるんだ隙に杖を取り戻し、再び砲撃魔術の発射体勢を整える。


「昨日の試合はこの繰り返しだ。カイルが接近する。イズナが迎撃しようと砲撃魔術の構築をする。構築が間に合わずに触媒の杖を弾き飛ばされる。イズナが殴って相手を怯ませる。相手がひるんだ隙に杖を取りに行く。これでお互いに有効打が打てずに判定にもつれ込んだ、だろ?」

「う、うん」

「さっきも言ったがイズナには遠距離魔術全般の適性がない。砲撃魔術は適性的にはむしろ一番マシなほうで射撃魔術に関してはからっきしのはずだ。射撃の精度を度外視すれば高速で魔術構築もできるだろうが、それじゃあ弾がまっすぐ飛ばんだろ?」

「うっ!」


 痛恨の一撃だったらしくイズナは胸を押さえて後ずさった。

 素早い構築では、まともに魔術が飛ばない。実戦で通用する精度にしようと思うと魔術構築に時間をかけないとならない。となると昨日の試合と今日のスパーリングの再現だ。相手が近接型なら魔術を撃つ前に間合いへ入られ、遠距離型なら相手に魔術を先に撃たれる。イズナ自身が誰よりもそれを理解していたはずだ。

 祖父に教わったという心理的な要因もあるが、砲撃魔術以外は実戦で運用できるレベルに到達していない。故に砲撃魔術に固執していたのだ。


「さて、砲撃にこだわっても上には通用しない。射撃魔術も論外。となればどうするか? 簡単だ。答えはもう昨日の試合の中に出てる」

「え? 昨日の? でも負けたんだよ?」

「ちょっと試合終了の瞬間でビデオ止めてくれない?」

「う、うん」


 シンドウの指示の通り、イズナはリモコンを操作して試合終了直後の場面で一時停止した。


「イズナ。自分と相手の姿をよく比べてみろ」

「私とカイルさんの?」


 じっと画面を見つめたままイズナは首を傾げている。答えに気が付いていないようだった。


「……特に変わったところないじゃん」

「じゃあ自分とカイルの顔をよく見比べてみろ」


 イズナがテレビに近付き、画面を凝視している。


「うーん。あ!?」

「分かったか?」


 振り返ったイズナは、にしし、っと歯を見せた。


「私ってすっごく可愛い! とっても美人さん!」

「聞いてねぇよそんなこと!」


 形の良いイズナの頭を鷲掴みにして、強引にテレビに向き直らせた。


「顔の造りじゃなくて怪我を見ろ怪我を! お前とカイルの! お互いの怪我!」

「怪我って? 私、怪我なんかしてないじゃん。昨日の試合一発も被弾してないんだから。それなのに判定負けなんて……怪我?」


 どうやら気付いたらしい。昨日の自分の状態を。相手選手の状態を。


「カイルさんの顔は少し腫れてる。私が殴ったから?」


 鷲掴みにしていたイズナの頭から手を放して、軽く触れる程度にポンッと撫でた。


「その通り。接近戦を得意とするカイルにあれだけ接近を許していながら無傷。理由は単純。イズナの接近戦の能力がはるかに上をいくからだ。砲撃魔術の練習ばかりして接近戦なんかまるで考えていないはずのお前が、選手歴七年のベテラン選手を相手得意の距離で圧倒した。もしもあのまま杖を捨てて拳で戦っていたら、判定どころか確実にKO勝ちしてたぞ」

「私が素手でKO!? あんな強い人を!?」

「ああ、間違いなくな。イズナは接近戦に関して天賦の才がある。内魔術・外魔術両方の適性がずば抜けてるんだ。それがあったからこそ、未熟な砲撃でも今までの試合では勝ってこられた。足りない部分を才能が補ってくれていたんだ。そんな才能を重点的に鍛えれば、一ヶ月でユーリと互角に持っていくことは不可能じゃない」


 すでに輝きを放ちつつある原石を削る手間は、さしたるものではない。

 問題となるのは意識の部分だ。砲撃魔術の天才と謳われた祖父、ナルカミ・ゲンイチロウの呪縛である。


「ただし、今みたいなおじいさんの模倣じゃだめだ。触媒も変える必要がある」

「で、でも! あの杖はおじいちゃんの形見なんだよ!? 砲撃もそうだ! おじいちゃんが教えてくれたことは私の全てなんだよ!? おじいちゃんと私に残された繋がりなんだ!」


 辛い気持ちは分かる。それは嘘じゃない。恩師に託された形見を手放すのは、自らの肉を削ぎ落すよりも辛い作業だ。ましてそれが肉親ならなおさらだろう。

 自分の身に置き換えてみれば、どんなに重い決断か嫌というほど思い知らされる。出会って二ヶ月の人間に言われて、はいそうですかと納得できるはずもない。

 だとしても強くなるためには自分のこだわりを捨てなくてはならない時がある。

 イズナの場合、それが形見の杖であり、砲撃魔術だ。


「あの長い杖は接近戦型の魔道師に合う触媒じゃない。俺の見立てじゃイズナに一番向いているのはセスタスや籠手。徒手空拳を強化する触媒こそ理想だ」

「だけどだけど! おじいちゃんが教えてくれたことは私の全てなんだよ!」

「イズナが趣味としてマギシングを続けていくなら今のやり方のままで構わない。だけどトップを目指すなら自分のやりたいことと自分の得意なことは分けて考えるべきだ。違うか?」

「それは……そう、だけど」

「何度も言うがイズナの砲撃魔術の才能ははっきり言って平凡だ。お前の持っている魔力を一撃に全て注ぎ込めば強引に魔術構築速度と精度を高めることもできるが、そんな一発屋みたいな戦い方が通用するのは格下相手だけだ。ユーリ・ストラトスには絶対通用しない」


 有無を言わさず、的確に致命的な言葉を浴びせ続ける。分厚いナイフで幼子を切りつけるような最悪な気分だ。


「おじいさんはイズナのことを心の底から愛してくれている人なんだろ? だったらお前が変わることを許してくれるはずだ」


 イズナは右手を握り締めて拳を作り、そこへ視線を落とした。少女らしい細い指と小さな掌でできた拳は一見すると心もとない。だけどその小さな拳には無限の可能性が秘められている。


「シンドウさん……」


 拳から視線を上げたイズナと目が合った。吸い込まれそうな琥珀色の奥底に決意の炎が揺らめいている。


「シンドウさんのやり方に変えたら、今のユーリに勝てるようになるの?」

「保証する。ユーリと五分の勝負ができるように絶対なる」

「シンドウさんが教えてくれるの?」


 シンドウ・カズトラにそんな資格はない。などと言っていられる状況ではなかった。

 マリアの意図はわからないが魔王の策略の糸に絡め取られた今、イズナを取り残して自分だけ逃げる真似はしたくない。

 どうせここから先の人生、無意味で無価値な時間を過ごしていく。誰かの役に立つために一ヶ月分の時間を使えるなら、こちらにとっても悪い話じゃない。


「俺がまいた種みたいなもんだしな。俺でよければ協力するよ」

「……でもさ。五百年前と今の魔術って結構違うんじゃないの? シンドウさん、大丈夫?」


 多少なりとも喜んでくれると思っていたシンドウの幻想は打ち砕かれた。たしかに彼女から見ればシンドウは五百年前のロートル。指導者としての手腕を疑うのも無理はない。


「俺は古い魔術師だけど、魔術は昔も今も基本的な部分は殆ど変わってなかった。五百年前にほぼ完成された技術ってことらしい。むしろ科学技術の進歩のほうが凄まじくて驚かされたんだよ」


 これに関しては、技術的な完成度の高さ以外にも大きな原因となったいくつかの事象があるとイズナが使っていた中学生時代の教科書に書いてあった。

 人魔大戦により、多くの優れた魔道師が命を落としたこと。生き残った魔道師たちも人魔大戦の悲劇を二度と起こさないため、一部の危険な魔術の取得方法を後世に残さなかったこと。そして人魔大戦終結後、魔術に頼らない科学技術が急速に発展していったことだ。

 そもそも人間は、魔族と違って全員が魔力を持って生まれるわけではない。割合は一割程度である。後天的に魔力を取得する方法は何種類かあるが、いずれも軽い気持ちでできる簡単なものではなかった。

 人口比率的にも人間は、魔族の五十倍多い。魔力を持たない人間が世界では圧倒的な多数派だ。魔力の有無を問わずに使える科学技術の発達は当然と言えば当然の結果である。


「ま、当時と今で多少変わってる部分もあるけど、そこは対応済みだ。それじゃあさっそく明日から練習するか」

「えー!」


 ムッと頬を膨らませたイズナは、両腕のガードを上げてファイティングポーズを取った。


「私は今からでも大丈夫だよ!?」

「今日のスパーリングのダメージがあるだろ。しっかり身体を治すのもプロの仕事だろ?」

「うっ……分かったよー」


 枯れた花のように萎れたかと思うと、今度は窺うような目つきでシンドウの顔を覗き込んでくる。


「でもさ……シンドウさん、どうしてこんなに親身になってくれるの?」

「君が俺を助けてくれたからだよ。それにあの女が一枚噛んでるんだ。俺には動く責任ってもんがあるのさ」

「あの女ってマリアさん? あー! 分かった!」


 口角を吊り上げたイズナの顔は、まるでいたずらっ子だった。


「なーんか怪しい関係性なんでしょ!? さっき話してる時もすっごく仲良そうだったしー」

「あの憎まれ口の叩き合いが、どうやったら仲良く見えるんだ?」

「だってさ、よく言うじゃん! 喧嘩するほど仲がいいってね!」

「仲いいっていうか……人魔大戦の前は、同門の兄妹弟子だったからな。ていうかその話って結構有名なんだろ? 俺とマリアがカワシマ・ガンテツから魔術を教わってたって」

「まぁそれはそうなんだけど、なんかそれだけじゃない感じがしてさ……ああ! もしかして付き合ってたとか!?」

「……とりあえず飯にしようか」

「えー! 教えてよ! けちんぼ!」


 マリアの目的は定かではない。しかしイズナを魔王のおもちゃには絶対させない。

 闘志を胸に秘めながら、シンドウはイズナと食卓についた。

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