第11話『魔術の……修行?』

 ナルカミ・イズナは、トレーニングルームの中央で巨大な水球から頭だけ出して佇んでいた。

 トレーニングルームの天井は、五メートルほどあるのに頭が天井に着きそうだ。

 球状の水面が窓から差し込む朝日を浴びて、スノードームみたいにキラキラと輝いている。

 イズナがゲンイチロウの形見の杖を壁に立てかけている僅かな時間に、トレーニングルームに水球が設置されていた。シンドウに中へ入るよう指示され、言われたとおりにして一分経過。

 当のシンドウは、スマホを弄っているだけで練習は一向に始まらない。


「なんなのさー! この練しゅ――」


 叫んだ瞬間、凄まじい力場に引っ張られて、水球の中心に沈み込んでしまう。まるで巨大な手で鷲掴みにされて、水中に引きずり込まれたかのような感覚だ。

 咄嗟に水をかいて浮上しようとするが微動だにできない。魔術で身体能力は最大まで強化しているのに変だ。絶対に普通の水じゃない。まるで鉄の塊の中を泳いでいるみたいだ。


「ほら、力入れると沈むぞ」


 水球の中にシンドウの声がぼわぼわと響いてくる。多分この水球は、力ずくではどうにもできない。シンドウが魔術を使って、そういうふうに作った水球なのだ。

 ひとまずは言われたとおりにするしかない。イズナは泳ぐのをやめて身体の力を抜くことに全神経を集中する。

 やがてふわり、と浮遊感が生じた。


 浮遊感に身を任せると、

 ぷかり。

 ぷかり。

 少しずつ浮力が増していき、天井が近付いてくる。

 筋肉の奥底に残っていた僅かな力みを抜き去ると同時に、イズナの頭は水球から飛び出し、数十秒ぶりに地上の空気と対面した。


「はぁ……はぁ……」


 酸素ってなんて美味しいんだろう。じっくりと堪能してからシンドウを睨みつけた。


「この水なんなのさ! 普通のよりも沈みやすいよ!? あと硬い! 水なのに!」


 抗議の声を上げてみるが、当のシンドウはまったく悪びれた様子がない。


「そういうふうに調整してるからな。いいか、パリングで大事なのは脱力だ」

「脱力?」

「身体のどこかに無駄な力が入ると、パリングはできない。相手の魔術を受け止める技術じゃなく相手の魔術を受け流す技術だからな。だからまずは脱力する感覚を身体に覚え込ませる。水球から顔が出ている今の状態を一時間キープだ」

「一時間も!?」


 思わず叫んでしまい身体に力が入る。しまった! などと考えたが時すでに遅し。


「ぶくごぶこぷ――」


 空気よ、さよなら。水と数十秒ぶりの再会と相成った。


「イズナ、がんばって脱力しないと溺れ死ぬぞ」


 言われなくても分かってる!

 脱力……脱力……筋線維に意識を落として解きほぐし、少しずつ力みを抜いていく。

 再び水球から脱出を果たしたイズナは、脱力の維持に努めつつ思いの丈を叫びに乗せた。


「がんばって脱力って矛盾してない!?」

「悪態つきながら浮かび続けられるのが理想だ。その調子でがんばれよ」


 普段温厚なくせに、練習になるとここまで底意地の悪い課題を課してくるとは予想していなかった。しかもシンドウ本人は、これのどこが厳しいの? とでも言いたげな顔でスマホをいじくっているあたりがイラ立ちを倍増させてくる。

 こっちも仕返しをしてやらないと、気がすまなかった。


「今日のお夕飯、ピーマンにしてやるぅ!」

「ちょっと待った! 勘弁してくれ! ていうか現代人はなんであんな苦いの食ってんの!? 味覚おかしいの!? 信じらんねぇ!」

「それは調理法次第だよー。ふっふっふー。私が美味しいピーマン料理を作ってあげよう」

「やだ! 絶対にやだ!」

「わがまま言わないの! シンドウさん二十四歳でしょ! いい大人じゃん!」

「よーし! なら勝負だ! 五十五分間、一度も沈まずに浮かんでられたらピーマンでもなんでも食ってやる!」

「言ったなー! がんばるもんね!」

「今すぐ沈んじまえ!」

「ちょっと!? それトレーナーにあるまじき台詞じゃん! ってぶくぶくごぶ!」

「はーい! 沈んだー! 俺の勝ちぃー!」


 師弟というよりは、気心知れた兄妹のようなじゃれ合いを交えながらトレーニングは続く。

 イズナは何度も何度も沈んでは浮かび、沈んでは浮かび。そうこうしている内に時間はどんどん過ぎていき――。


「よし。一時間経過だ」


 イズナを包み込んでいた水球は、大気中の水の微粒子に還元され、その威容が消滅した。

 トレーニングウェアに染み込んでいた水分もシンドウの魔術操作によって大気中の水分に戻されて服はからからに乾いている。

 だが水に一時間入り続けたせいで身体の芯まで冷え切ってしまった。


「ううぅ! 身体冷えちゃったー! 寒いよー!」


 いくら七月でも、この練習はさすがにきつい。

 外の気温は三十五度を超えているのに、今すぐ暖房を点けたい気分だ。


「安心しろイズナ。次の練習は身体があったまるぞ」

「いいね! どんな練習!?」

「走るぞ」


 今なんて?


「外を走る。魔力による身体能力強化は一切なしで」

「……えええええええええええ!」


 予想外の原始的な練習内容にイズナは、シンドウにトレーナーを頼んだ昨日の自分を少しだけ呪った。

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