第4話『スパーリング』
私と賭けをしないか。
唐突なマリアの提案にイズナは、きょとんとした顔で小首を傾げた。
「賭けって? なにするの?」
まずい。それだけはまずい!
経験上、マリアと賭けなんかしたら絶対ろくでもないことになる。
「イズナやめとけ。こいつ本当にろくでもない勝負吹っかけてくるぞ」
「いいよ! 乗ってやる!」
「ちょっと待てぇ!? 人の話聞かねぇなお前も!」
イズナの負けん気の強さは、昔のマリアそっくりだ。マリアもそれを自覚しているのだろう。常任理事とやらの責任感より、個人としてこの状況を楽しんでいるのがよくわかる。
「賭けと言っても単純よ。ユーリと試合して勝ちなさい。試合は二人ともトロフィーホルダーじゃないからノントロフィー戦。一ヶ月後よ」
最初からこういう事態になるのを想定して、お気に入りの少女を連れてきたというわけだ。
「イズナちゃんがユーリに勝ったらシンドウ、あなたにライセンスを渡すわ。特例処置でね」
「え? なにそれ!? ちょっと待ってぇ! なんで俺がそこで出てくんだよ!?」
「あなた二十四歳だもの。年齢は問題ないじゃない?」
「特例処置ならイズナの年齢を不問にでもしてやれよ!」
「さすがに国の法律は変えられないわよ。ジャポニアでは十八歳が成人年齢よ。未成年にはジムマスターライセンスは発行できないの」
妙な巻き込まれ方をしてしまった。さすがに魔術の指導者になるつもりはさらさらない。この状況を脱するにはどうしたものか。などと考える暇もなく、イズナは手に持っていた杖をマリアに突きつけた。
「いいよ! その条件で!」
「ちょっと待てってお前ら! 俺の意見は!? 意思は!?」
試しに叫んでみたが、案の定誰の耳にも入っていない。疎外感を感じるシンドウを尻目に、無言を貫いていたユーリが嘲笑を浮かべながら口を開いた。
「イズナさん。今のあなたがユーリに勝てるとでも思っているんですか?」
「うっ……」
イズナはユーリから目を背けた。恐怖心や自信のなさからきた行為ではないのが分かる。表情から伝わってくるのは強い後悔と罪悪感だ。
それでも、ここで退いたら大切なジムを失うかもしれない。そう考えたのだろう。
イズナは、己を奮い立たせるように唇を引き締め、強気な笑顔を作って胸を張った。
「……ふ、ふーんだ! な、なにを言うか! アマチュア時代、一回も私に勝ててないの忘れちゃったのかな!?」
「ではイズナさん、ユーリと今ここでスパーリングしてみますか?」
「三人ともさ、俺の意見聞かないで話進めるのやめてくれる? どうせやめないだろうけど」
ユーリは長物の触媒に捲きつけられていた布を取り払う。姿を現したのは真新しい長杖だ。
杖が露わになった途端、トレーニングルームに充満する魔力の濃度が増していく。試合で相当量の魔術を使った証だ。
一方のイズナからは、強者と相対した時に発せられる特有の警戒感が見られない。自分の格下を相手にしている雰囲気だった。
「いいよ! やろう! すぐに準備するからさ!」
イズナはトレーニングルーム中央にあるサークルの前にしゃがみこんだ。サークルの縁に両手で触れると白く光り輝き、不可視の魔力壁を展開する。
マギシングサークルに使用されるサークルは、起動すると二種類の魔術が展開される。
一つは選手が一定以上の負傷をしないように働く自動防護魔術。もう一つが外部に攻撃魔術が漏れて周辺に被害を及ぼさないようにする封印型防護魔術の機能である。
「じゃあユーリ! 早速スパーしようよ!」
「ええ。望むところです」
ユーリはたおやかな足取りでサークルに入場して西側の端で立ち止まった。サークルに上がった立ち姿から強者の風格が漂ってくる。
そんな相手を前にしているのに、やはりイズナから警戒心が漂ってこない。悠々と東側からサークルに入ろうしたところを、肩を掴んで制止した。
「イズナ、彼女の実力は本物だ。あの女が鍛えたんなら注意しないと――」
「心配いらないよ! アマチュアの時は一度も負けてないんだから! シンドウさんはレフェリー役お願いね!」
イズナは、肩を揺らしてシンドウの手を振り払った。
「おいおい!? さすがに俺レフェリーやれるほどルール詳しくねぇって!?」
「一ラウンドは三分! 休憩時間は一分! 合計十ラウンド! ダウンして十秒経ったら負け! ユーリがダウンしたらカウント取っちゃって!」
「いや、それぐらいは知ってるけど! もっと細かいの色々あるだろ!?」
「残りはスマホでも使って調べて!」
頭に血が上っている、というよりは無理やりに己を奮い立たせている。ある種のトランス状態にも近い。アドバイスをしたところで聞き入れる状態じゃない。シンドウがジムマスターを引き受けるつもりはない話をしても右の耳から左の耳だろう。
無邪気に微笑むマリアの顔面に拳の一つでも叩き込んでやろうか。
策士め、まんまと術中にはめられた。こうなったらこっちの意思もへったくれもない。
イズナは杖を握り締め、スパーリング用のサークルへ足を踏み入れた。
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