第3話『魔王の計略』

「久しぶりね。いえ、あなたの感覚だとせいぜい二ヶ月ぶりってところかしら? 生きた魔術辞典シンドウ・カズトラ」


 一番呼ばれたくない名前を一番呼ばれたくない相手に呼ばれる。これだけでも屈辱的なのにやたらと煽り口調なのがさらに苛立ちを増大させてくる。


「てめぇ! その変な呼び名お前がつけたんだろ!? 歴史の教科書にまで載せやがって! 相変わらずの性悪だな!」

「だって子供の頃のあなたそういうふうに呼ばれたいって言ってたじゃない?」

「やめろおおおおおおおおおお! それだいぶガキの頃の話だろ!? 絶対嫌がらせでやりやがったな! こいつふっざけやがってぇ!」

「ガンテツ師匠と一緒にあなたの名前が後世に残るようにしてあげたのよ。光栄に思いなさい」

「俺がそんなこと頼んだか!?」

「気を利かせたの」

「いらぬ気づかいっていうんだよそれ!」


 殺気を込めた怒声をぶつけても、マリアは微風を受けているかの如く微笑むだけだった。やはり、いつわりの殺意はすぐに見抜かれてしまう。


「で、なんの用だよマリア」

「あ、そうだわ。紹介するわシンドウ。この子はユーリ・ストラトス。私のお気に入りよ」


 ユーリと呼ばれた魔族の少女はイズナと同じ年頃に見える。背丈も変わらないが体格は一層華奢であった。

 青みがかった紫色の髪が腰まで伸びている。少々癖のある毛質のようだ。獣に似た形をした蒼い虹彩は、名工が研磨した宝石のように美しいがどこか影を感じさせる。

 あどけなくも儚げな美貌は、アネモネの花をそのまま少女にしたようだった。


 藍色のネクタイを締めた青いシャツの上に白いローブを纏っており、黒いプリーツスカートからは黒いスパッツの裾が覗いている。デザインから考えても私服ではない。恐らくマギシングサークルの選手が試合中に身に着ける戦装束だ。

 右手には白い布に包まれた長物がある。中身は杖か、それとも槍か。

 布に包まれた触媒と戦装束から微かな残留魔力の気配が香ってくる。どうやら試合が終わってから、そのままここへ足を運んだらしい。


 ユーリはシンドウに会釈すると、すぐさまイズナに視線を移した。両の目に凍えるような敵意を宿している。

 一方のイズナはユーリとは目を合わせないようにしていた。居心地が悪そうにしており、落ち着かない様子だ。二人には、浅からぬ因縁があるらしい。

 なにがあったのかはわからないが原因はイズナの側にあるように見える。このまま放置しておくのもイズナがかわいそうだ。状況を変えるためマリアに問いかける。


「お前のことだ、その子を紹介したいってだけじゃねぇんだろ? 俺への用件はなんだ?」


 目的の考察は必要あるまい。昔からそうだ。どうせちょっかいをかけに来ただけ。そんな予想とは裏腹に、マリアは皮肉っぽい微笑を湛えた。


「意外と自惚れ屋なのね。私がまだあなたにご執心だと?」

「そういうやつだろ? お前は」

「残念。用があるのはイズナちゃんによ」


 用件をなんとなく察したのか、イズナは眉間にしわを寄せた。


「マリアさん、パパとママの研究資金を出してくれたのはすっごく感謝してるよ。感謝してるけど……でも私はおじいちゃんのジムを守りたいんだ。だから他のジムに行くつもりは――」

「なくなったら守るもなにもないんじゃないかしら?」


 マリアは、上着のポケットから一枚の書類を取り出してイズナに手渡した。書類の文字を追っていくたび、イズナの顔から血の気が引いていく。


「ナルカミマギシングジム運営権停止処分の検討……なんで!?」

「あら、私は国際マギシングサークル協会の常任理事よ。この程度の権限は持っているわ」

「でも! なんで急にこんなの持ってきたの!?」

「マギシングサークルは安全に配慮されているとはいえ、負傷の危険が付きまとうスポーツよ。当然ジムを運営するにも〝ジムマスター〟のライセンスが必要だわ。だけどライセンスを所持していたこのジムの会長は、もう亡くなっている。本来であれば後任をすぐに決めてもらわないといけない状況を、あなたの才能とおじいさまの功績を考慮して先延ばしにしてきたのよ」

「じゃ、じゃあ私がこのジムの会長をやる!」

「ジムマスターライセンスの取得ができるのは十八歳から。あなた十六歳でしょ?」

「でもでも! このジムはおじいちゃんの大事な! 私はおじいちゃんの孫だから! おじいちゃんの残したこのジムでおじいちゃんが成し遂げられなかったティアⅠレジェンド三冠制覇をするんだ!」

「そう言えばゲンイチロウ君が取り損ねたのは、シンドウトロフィーだったわね」


 ティアⅠレジェンド三冠達成の夢については、以前イズナから聞かされたことがある。

 マスター・ガンテツトロフィー・マリアトロフィー・シンドウトロフィー。この三つをティアⅠレジェンドトロフィーと呼ぶ。自分の名前を恥ずかしげもなくレジェンドの枠に入れるマリアの厚顔無恥さ。人の名前を無断で使う無神経さ。色々と突っ込んでやりたい。

 しかしイズナの悲痛な表情を見ていたら、口を挟む気分にはなれなかった。


「お願いマリアさん! もう少しだけ待ってよ! 次の試合で絶対に勝つから! だから!」

「イズナちゃん。今のあなたはティアⅠでは通用しないわ。あなた自身がそれを一番よく理解しているはずよ?」

「っ!? そ、それは……」


 マギシングサークルにはティアⅠ・ティアⅡ・ティアⅢの三つの階級が存在している。

 同じ国出身の選手で競う国内大会規模のティアⅢ。

 十四大国が存在するアバンゲア大陸の北部・東部・西部・南部。各地方出身の選手で競う国際大会規模のティアⅡ。

 国や地方の区別なく世界中の選手で競う世界大会規模のティアⅠだ。


「たしかに、どのクラスで戦うかは選手の自由よ。ティアⅢから順番にクラスを上げる選手もいれば、デビュー戦からティアⅠの選手もいる。あなたは最も過酷な後者の道を選んだ。その勇気は立派よ。だけどね、ティアⅠからティアⅢまで合計して二百五十七個あるトロフィー。その全てに五百年前、人魔大戦で功績を残した魔道師たちの名前を冠しているのよ」


 人魔大戦は、シンドウにとっては思い出したくない、けれど忘れることは許されない記憶だ。

 人間軍に属して戦ったあの戦争で多くの仲間を失った。多くの魔族の命をこの手にかけた。

 それは魔族軍の司令官を務めたマリアも同じであり、トロフィーに魔道師たちの名を冠したのは彼女なりの鎮魂なのだろう。


「ティアⅠレジェンドトロフィーだけじゃない。どのティアであれ、トロフィーは並大抵の魔道師では手の届かない高みにあるわ。トロフィーホルダーとは大戦の英雄に匹敵する強大な魔道師である証明なの。今の弱いあなたの挑戦を現行のレジェンドトロフィーホルダーたちが受けるとでも? いいえ! レジェンドだけじゃない。ティアⅠトロフィーホルダーはもちろん、ティアⅢトロフィーホルダーもあなた程度の実力の魔道師、歯牙にもかけないわ!」


 この時代の魔道師もなかなかの傑物ぞろいと聞く。どんな素晴らしい才能を持った天才でも独学では限界はすぐにやってくる。残念だが、今回の理はマリアにあると言わざるを得ない。


「だからイズナちゃん、三冠を目指すなら私のジムに来ることね。ここで燻っていても才能の浪費よ」

「……私は……」


 マリアの指摘を受けても、イズナの琥珀色の瞳に宿る決意は揺らいでいない。

 現実を知らないから無謀な夢を見ていられる? 若い娘の甘い考え故?

 違う。そうじゃない。現実に打ちのめされて、何度も倒れてきたはず。

 それでも傷だらけのプライドが折れることはない。立ち上がることをやめてしまえば楽になれると分かっていながら、それでもあがくことをやめられない。

 打ちのめされて立ち上がってを繰り返し、いつしか鍛え上げられた鋼が如き決意だ。


「……私は!」


 ナルカミ・イズナは、絶対折れない。きっとそういう人間だ。


「おじいちゃんが残したこのジムで三冠を目指すんだ! 他じゃやらない! だって私は……私は! おじいちゃんと約束したんだ!」


 鍛え抜かれた刀剣のように強靭な決意は、何人も揺るがすことは叶わない。


「イズナちゃん、それなら私と賭けをしない?」


 マリアは、獲物を見つけた猫のように唇を舐めて破顔した。

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