第2話『才能』

 夕焼けの光に覆われた閑静な高級住宅街に、二つの巨大な建物が隣接している。

 一方はコンクリート建築の豪邸だ。三階建ての四角い姿はいつ見ても妙な圧迫感を覚える。

 もう一方は豪邸よりも巨大な建物だった。四階建てでこちらもコンクリートでできているが建物の形状は円形である。

 建物を見上げながらシンドウ・カズトラは、深いため息をついた。


 事の発端は二ヶ月前。〝ある人物〟が多額の費用をかけてシンドウを封印からサルベージして現代に蘇らせた。五百年ぶりの目覚めから二ヶ月。文化・思想・価値観。五百年の間に全てが様変わりしてしまった世界に慣れるため、色々な場所に足を運んでいる。

 しかし、どこに行っても珍獣扱いしてくる人々の好奇の集中砲火に晒される。


 それはシンドウ・カズトラが人魔大戦を終結に導いた〝英雄〟だからだ。

 人魔大戦とは、人間と魔族の間でおきた魔術戦争である。五百七年前に勃発し、終結するまでの七年間に当時の魔道師九割の命が失われた人類史上最大の悲劇だ。

 人間軍に所属していたシンドウは、魔族軍の総司令官〝魔王〟を自らとともに封印して人魔大戦を終結に導いた。


「なにが英雄だ。生きた魔術辞典だ。くだらねぇ……」


 英雄などとは程遠い。戦争で多くの魔族を封印した。それより多くの魔族を殺した。単なる人殺しだ。今更こんな人殺しの魔術師を目覚めさせて、なにをしろというのか。


「あ!」


 二人の子供がシンドウの姿を見つけるや声を上げた。英雄と出会った喜びや興味本位の声ではない。明らかに警戒心を剥き出しにしている。

 二人はどちらも小学生の低学年に見え、片方は人間の男の子。もう一人は翠色の髪の女の子で、蒼い瞳の虹彩は獣のように鋭かった。人ではありえない髪の色と特有の虹彩は少女が魔族である証だ。


「ふ、封印なんかさせないぞ!」


 男の子は女の子を庇うように両手を広げ、シンドウを威嚇してくる。女の子は明らかに怯えており、猛獣を前にした子ウサギのようだった。


「封印なんかしねぇよ。もうすぐ暗くなるから気をつけて帰んな」


 笑顔を作ってみるが効果は薄い。男の子は女の子の手を引いて走り去った。悪者からお姫様を守る勇者のように頼もしい背中だ。


「ま、そりゃ魔族からすりゃ俺は怖いわな」


 五百年前の人間にとって魔族は忌むべき対象だったが、この時代では同じ世界に生きる〝人〟だ。現代人の大半はシンドウを大戦終結に導いた英雄と呼ぶが、一部からは魔族殺しの大罪人と揶揄されている。大罪人の呼び名こそ、自分に相応しいと思った。


「これは俺への罰かもな」


 意味もなく生きて人生を浪費する。大罪人には生ぬるい罰かもしれない。

 シンドウの足が向いたのは円形の建物だった。

 入口のガラス扉を開けると、そこには多種多様なトレーニング器具が設置されている。サンドバック・ダンベル・エアロバイク等々。剣や杖など木製の練習用魔術触媒もある。

 もっとも目を引くのは、部屋の中央の床に刻み込まれた半径十メートルほどの白い魔術陣サークルだ。シンドウは、サークルを見つめながらぽつりと呟いた。


「マギシングサークルか……」


 サークルの中で二人の魔道師が魔術を用いて戦うスポーツ・マギシングサークル。前に読んだ歴史の本によれば約百年前、人魔大戦終結の地である〝ジャポニア〟で発祥したという。

 ジャポニアは先進十四大国が隣接し合うアバンゲア大陸の極東に位置している。ブーメラン状に突き出た半島であり、起伏に富み、鮮やかな四季が存在する温帯気候の土地だ。

 経済力は十四大国でも最上位の世界第三位。人口は一億五千万人。


 五百二十四年前、シンドウが生まれた国であり、現在もここジャポニアで生活をしている。だが当時の風景は欠片も残されていない。故郷にいるはずなのに、どこへ行っても懐かしさとは無縁だ。

 おまけに人殺しの技術とされた魔術まで、今や世界的なスポーツの礎となっている。

 五百年前とは、なにもかもが違いすぎた。巨大すぎるジェネレーションギャップに心がついていかない。


 精神が疲れた時はがしがしと身体を動かして汗を流すに限る。抜本的には解決にはならないが気分が紛れるだけましだ。

 エアロバイクにまたがろうとすると、トレーニングルームの奥にあるロッカールームの扉が静かに開かれた。出てきたのは古びた木製の長杖を持った美しい少女である。

 ナルカミ・イズナ。マギシングサークルのプロ選手であり、シンドウが居候しているナルカミ家の一人娘だ。

 普段は天真爛漫な少女だが、今日はいつもと様子が違う。普段見せない物憂げな様子で目の周りが真っ赤に腫れている。敗戦の直後だ。ロッカールームで泣いていたのは想像に難くない。


「あ、シンドウさん……」


 イズナは、腕で目元をごしごしと拭いて初夏の太陽のようにきらきらした笑顔を見せた。


「お帰りなさーい! ねーねー! シンドウさんの今日の大冒険の成果はどうだったの? 私が教えたカフェ行った?」


 作り笑いであるのを見抜けないほど鈍くはないが、涙の理由に触れてしまうのも憚られた。


「あ、忘れてた……」

「えー! デラックスパンケーキの感想聞きたかったのにー。じゃあ今日はなにしてたの?」

「お財布スマホでコーヒー買ったら拍手された」

「お! 昨日の練習の成果出たじゃん! 簡単だったでしょ?」

「まぁな。その後動物園の猿以下の扱いされなきゃ、もうちょっと喜べたけどな」

「猿? ……あ、そうだ! 今日の夕飯なにがいーい?」


 なにが起こったのか察してくれたらしい。八歳も年下の少女に気を使わせてしまった。


「いつも悪いな」

「ぜーんぜん! パパとママが家にいるなんて一年間合計で一週間あるかないかだし、お料理も得意になっちゃうよ。ほらほらぁ! 食べたいものをなんでも言いたまえ! シンドウさんの好きなもの美味しく作っちゃうぞー。ねーねー! なにがいーい?」


 甘ったるい声でイズナが問いかけてくる。どうせなら疲れ切った心に癒しを与えてくれる料理を食べたい。甘くて温かい……春の日差しのような味が欲しい気分だ。


「そうだな……あれがいいかな。生姜と豚肉の甘いやつ。先週作ってくれた」

「ああ! ハニージンジャーソテーね! うん、いいよ!」


 イズナは愛用の杖をくるくると回し、壁際に設置されているサンドバッグに向かった。


「ちょっと待ってて。練習終わったらすぐに作るから。よーし! 練習がんばるぞー!」

「我流でよくやるな。トレーナーつけたほうがいいんじゃないか?」

「おじいちゃんから教わってたから大丈夫! 次の試合こそ勝っちゃうんだから!」


 イズナは杖を両手で持ち直した。サンドバックに向けた杖頭から蒼い燐光が溢れ、トレーニングルームを照らしていく。

 杖頭の輝きが最高潮に達した瞬間、青白光の熱線が放たれてサンドバックを直撃した。着弾点の対魔術コーティングは所々が赤熱化しており、発射された魔術の威力を物語っている。


「レイジングフラッシュか」


 レイジングフラッシュは砲撃魔術の原点にして頂点。破壊力・射程・発射速度、あらゆる面で優れる完成度の高い魔術だ。そしてシンドウが得意とする魔術の一つでもある。


「威力は大したもんだ」

「ほんとに!? やったぁ! そうだよ! 昨日の試合もこれさえ当たってたら……」


 そう、決して悪くない。破壊力そのものは申し分ないのが一目で分かる。

 問題は絶対当たらないだろうということ。


「シンドウさん?」


 イズナは訝し気にこちらを眺めている。


「なに? なんかすっごい熱視線感じたんだけど……なんか変なところあった? そしたら教えて! すぐ直すから!」


 まずい。変なこと考えるんじゃなかった。勘のいい子だ。シンドウの思考なんてとっくにお見通しだろうが、日頃から世話になっている相手だから面と向かって言いにくい。


「いやぁ……なんつーか」

「教えてってば! 私、もう負けられない! 今より強くならなくちゃいけないんだ!」


 先程までの天真爛漫な少女の顔は消え失せ、今纏っている気配は戦いを生業とする気高い魔道師のそれだ。強くなるためなら、どんな犠牲をも厭わない覚悟が宿っている。

 こういう人間に真実を話さないほど、不義理なこともありはしないだろう。


「……魔術には三種類あるのは知っているだろ?」

「もちろん! 内魔術。外魔術。遠隔魔術でしょ?」


 構築した魔術を体内で発動する内魔術。魔術を体表に露出させる外魔術。魔術を肉体から切り離して使用する遠隔魔術。いかなる魔術であっても、この三系統のいずれかに分類される。

 そして残酷なことに、どんな分野でも人間には得手不得手が存在するのだ。これは魔術であっても例外ではない。


「はっきり言ってイズナは遠隔魔術に関する適正が全くないんだ」

「どういう……意味?」


 イズナは呆けた顔をしている。言葉の意味を理解できないのか。あるいは理解することを拒絶しているのか。どちらにせよ口に出してしまった以上、止まることは許されない。

 中途半端でやめたらイズナの心に不信感と疑念を植えつけるだけで終わってしまう。それだけはしてはいけない。


「言ったままの意味だ。イズナは、適性が低いせいで遠隔系魔術の魔術構築が致命的に遅い」


 自分より実力がある人間に才能がないと突きつけられる痛みを知らないほどシンドウは無垢ではない。肌を焼かれ、肉を切られ、骨を砕かれる痛みを同時に味わう方がマシに思える苦痛が魂を蝕むはずだ。


「適性が低いって……」


 真っ白だった表情に感情の色がついてくる。最初は困惑だ。


「でも私はずっとこの砲撃で戦ってきたんだよ? それで勝ってきたんだよ?」

「今まではな。これからは通用しないってことだ」


 続いて怒りが噴き出した。


「なんだそれ! なんなんだよ! 私の砲撃は最強なんだぞ!?」


 はらはらと涙の粒を零して。


「おじいちゃんが言ってたんだ! イズナは砲撃の筋がいいって!」


 腹の底から怒声を上げて、シンドウに詰め寄ってくる。


「そうだよ! 私はここまでこの砲撃でやってきたんだ! 五連勝なんだ!」

「今は三連敗なんだろ?」

「っ!? そ、それは……で、でも! 次こそは!」


 イズナは歯を食いしばって絶望に囚われないよう耐えているようだった。

 なんて心の強い子だ。どんな困難にも遭遇してもめげないし、苦境でも諦めない。

 それでも無敵の精神を持っているわけがない。傷付かないはずがない。表に出さないよう努めているが、きっと内心はズタズタになりかけている。

 これ以上イズナの心を蝕む言葉を言いたくなかった。でも、ここでやめたら今までの行為が無意味になる。だからこそ心を鬼にしろ。吐き出した言葉の責任を最後まで取れ。


「昨日の試合は、今のイズナの実力でも確実に勝てる相手だった。素質に合った戦い方をしていたらな」

「素質ってなにさ!? 砲撃以外に勝つ方法なんかあるわけ――」

「イズナちゃん、こんばんは」


 聞き馴染んだ声にシンドウはジムの入り口を見やった。そこには二人の人物が立っている。

 一人はシンドウと同じ年頃の女で、もう一人は少女だ。両名とも妖しく光る獣のような独特の形状をした虹彩を持っている。魔族の証だ。

 魔族の女は、外見的な年齢はシンドウと同じぐらいに見える。見つめているだけで魂が吸い込まれそうになる紫色の瞳。さらりと伸びた桃色の長髪。匂い立つ花のような美貌を上下黒のパンツスーツでふわりと包んでいる。

 この魔族の女のことはよく知っている。何故なら彼女とは誰より長い時間を……五百年間の時を共に過ごしたのだから。


「魔王マリア・マクスウェル……」


 五百年前と変わらない妖艶な微笑が形の良い唇を彩った。

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