マギシングサークル

澤松那函(なはこ)

第一章:蘇る伝説

第1話『伝説の魔導師と落ちこぼれ少女』

 コンクリート造の巨大な多目的アリーナが隣接するサクラギ駅の広場に、人だかりができている。その中心でシンドウ・カズトラは、自動販売機の前に立っていた。

 昼下がりでも衰えない真夏の太陽が情け容赦なく地上を熱している。

 だがシンドウの頬を伝う汗の原因は暴力的な陽光ではない。目玉焼きが作れそうなほどに熱せられた、駅広場に敷き詰められた煉瓦でもなかった。

 真剣な眼差しの数十人が自動販売機とシンドウを取り囲んでいる。彼らから浴びせられる熱視線は、太陽よりも熱く感じられた。

 シンドウが生唾を飲み込んで意を決すると、周囲の人々も唾を飲んだ。

 自動販売機の読み取り部分に、恐る恐るスマホをあてがうと。

 ごとり!

 音を立てて取り出し口に缶コーヒーが落ちてきた。


「なんっだこれぇ!? このお財布スマホって超便利じゃねぇかぁ!」


 あまりの感動に思わず缶コーヒーを掲げると、人々から拍手喝采が上がった。まるで小さな子供が初めてのおつかいを成功した場面に出くわしたような反応だ。

 急に恥ずかしくなってきた。

 たかが缶コーヒーで歓喜するなんていい年こいた大人のやることじゃない。


「なにやってんだ。俺はガキか……」


 誰にも聞こえないように悪態をつきながら缶コーヒーを開けて一口。何度飲んでも昔飲んだコーヒーのほうが美味しかった気がする。思い出故か、それとも大量生産品は質を重視しないのか。


「缶の開け方は知ってるんだ……」

「おお! すごーい!」


 今度は数名から拍手と歓声が上がる。

 前言撤回。子供どころか、下手したら動物園の猿以下だ。

 シンドウが衆目を集める原因は、相応に整った顔立ちではない。黒髪でも焦げ茶の瞳でもない。百八十センチを超える鍛え上げられた体躯でもなければ、鼻に刻まれた横一文字の傷跡でもない。服装も白い開襟シャツにゆるく締めた黒のネクタイ・黒のスラックス・革靴であり、他の人々と比較して突出したものはなかった。

 何故注目を集めるのか。その理由をシンドウは嫌と言うほど自覚している。


「ほら! あの人だよ。シンドウ・カズトラ! ニュースでやってた人!」

「あの〝人魔大戦〟の英雄!? すごい初めて見た!」

「この間〝五百年ぶり〟に封印からサルベージされたんだっけ?」

「あれが生きた魔術辞典!? え、本物!?」

「なんかオーラが違う。顔の傷跡もすごーい!」


 見物人の反応を忌々しく思いながら彼等の視線を振り切るように歩き出した。

 駅の改札口に向かっていると、視界の端に光の明滅が移り込む。

 左上方を見上げると、ビルの壁面に屋外ビジョンが設置されている。そこに映る赤いローブを纏った少女の姿に目を奪われた。石板の敷きつめられた円形闘技場の上で、剣を持った青年を相手に長い木の杖を振るって戦っている。


「イズナ……」


 シンドウは画面上の少女を見て、無意識の内に呟いていた。

 まだ十代の半ばだが琥珀色の瞳に彩られた面立ちは実に端正であり、少女の美貌に見惚れぬ者はいないだろう。

 色素の薄い茶髪は絹糸のように滑らかで、背中まで伸びた後ろ髪を一つに束ねている。束ねた髪が動く度、機嫌のよい犬の尾みたいに揺れていた。

 背はやや小柄だが、女性らしさを残しつつも引き締められた身体つきがローブの下に身に着けたシャツとスカート越しでも見て取れる。まるで名のある芸術家が仕上げた彫像のようだ。


『続いて〝マギシングサークル〟のニュースです』


 突如イズナの手にした杖の先端から蒼い光の奔流が躍り出した。青年はこれをたやすく避けると、イズナを中心として円を描くように走って間合いを詰める。


『昨夜の試合はカイル・ビンス選手が判定勝ち。ナルカミ・イズナ選手は今回の敗戦で三連敗です。それではハイライトをご覧ください』


 剣を腰だめに構えたカイル・ビンスは、ナルカミ・イズナの懐に飛び込んで振り上げ一閃! 杖を弾き飛ばした。イズナの危機に、シンドウは思わず声を上げてしまう。


「あ! イズナのやつなにやってんだ!」


 武器を失ったイズナには焦燥の色がありありと浮かんでいる。しかしそれとは反比例する素早い動作で右拳を固め、右から左に振り抜いた。圧倒的な初速にカイルは反応できていない。無防備の顎に打ち込んで相手の体勢を崩すと、地面に落ちる杖に向かって走り出した。


「お! いい動きだ。その調子!」


 見事な一撃だ。足首・膝・腰・肩・肘・手首。各関節のバネがゴムのように柔軟で、加えて関節同士の連動が恐ろしく速い。これほどの拳打の使い手は、そうそうお目に掛かれない。


『ナルカミ選手は、昨年のデビューから五連勝を果たし、最年少ティアⅠトロフィー獲得が有望視されていましたが、最近は負けが続いています』


 杖を拾い上げたイズナは、即座に蒼い光の砲撃を放った。直線的な軌道の熱線をカイルは身を翻して回避、再び接近戦に持ち込んだ。


「あ、馬鹿! そうじゃないって!」


 そこから先はイズナの防戦一方だった。打撃の鮮烈さとは打って変わって、試合運びは幼稚と断じる他にない。


「ったく……見ちゃいらんねぇな」


 自分の磨き方を知らない原石ほど見ていてじれったいものもない。アドバイスの一つ二つで格段に良くなるのは目に見えているが――。


「いや、俺にはその資格はねぇな」


 自嘲しながら缶コーヒーを一気に飲み干した。香ばしさとは無縁の安っぽい苦みが口に広がる。むかむかした気分から意識を逸らすにはちょうどいい。


『五十年前、砲撃魔術の天才と称され、ティアⅠレジェンド二冠チャンピオンを獲得。近年はトレーナーとして活躍していた祖父のナルカミ・ゲンイチロウ氏が亡くなって以来不調が続いており、ファンからも心配の声が多く寄せられています……さて次の話題は期待の新星ユーリ・ストラトス選手! 先々週の試合では見事なKO劇で勝利を収め、今日の午後五時から四戦目の試合が――』


 屋外ビジョンから視線を外すと、あることに気が付いた。シンドウを物珍しげに観察していた人々の視線が屋外ビジョンに流れる試合の映像に釘付けになっている。


「マギシングサークル……魔術が、人殺しの技術がスポーツとはねぇ。世の中変わったもんだ」


 シンドウは、空になった缶を握り潰すと、近場のゴミ箱に投げ入れた。




 ――――――




 寂れた空気が充満するロッカールームに、窓から夕刻の紅の光が差し込んでいる。

 ナルカミ・イズナは、へこんだロッカーに背を預けて膝を抱えていた。

 手に持ったスマホの画面に表示されているのはSNSの書き込みだ。


『イズナちゃん弱ええええええええw まじで見た目以外取り柄ねぇw』

『見た目は、アイドルより可愛いからもっとエロい戦装束バトルドレス着ろ』

『超美少女な以外は価値ナシw とっとと引退してグラビアでもやればw』

『昨日のナルカミ・イズナの試合ひどすぎ。弱いくせに試合運びも砲撃ワンパターンでつまんね。あくびでるわ。引退しろ』


 罵詈雑言の嵐は否定できない事実ばかりだ。


「そっか。みんな楽しくないんだ……私の試合じゃ楽しくなれないんだ」


 あふれ出しそうになる涙を堪える。ここで泣いたらダメだ。果たさなくちゃいけない夢がある。諦めちゃいけない目標がある。


「おじいちゃん――」


 イズナがマギシングサークルの道を志したのは祖父であるナルカミ・ゲンイチロウの影響が大きかった。それは彼が現役時代、多くの伝説を残した優れた魔道師だったからだけではない。

 楽しい時も辛い時も悲しい時も必ず隣にいてくれる。両親が多忙で一年に数回しか帰ってこないイズナにとって、ゲンイチロウは親以上の存在だった。

 十五歳になったイズナはマギシングサークルのプロテストに合格してプロデビュー。トレーナーのゲンイチロウと二人三脚で〝夢〟を果たせると信じていた。

 だが去年の冬、ゲンイチロウは病魔に倒れ、帰らぬ人となった。

 魔術は万能ではない。傷は癒せても病気は治せないこともある。ゲンイチロウの病はそうした治癒系の魔術が効かない病であった。


「おじいちゃん……」


 もう一度大好きなおじいちゃんに会いたい。それはどんなに望んでも叶わない願いだ。もう二度と頭を撫でてくれることはない。あの人は神様のとこへ行っちゃったのだから。

 ゲンイチロウが亡くなったことをきっかけにジムに所属していた選手は全員他のジムに移籍した。この場所には、かつての活気は欠片も残されていない。空っぽになったロッカールームでイズナは一人きりだ。最初に負けた時は同情的だったSNSの書き込みも今では――。


『ナルカミ・イズナにティアⅠは無理。早くティアⅢに転向すりゃいいのにな』

『デビューした時の天才の血統って二つ名、今見ると痛すぎて草も生えねぇ』

『ゲンイチロウはただの孫馬鹿。こんなのを天才だとか身内びいきにもほどがある』

『名選手が名トレーナーになるわけじゃないからな。ゲンイチロウもそうだっただけ』

『夢はティアⅠレジェンド三冠制覇w ゲンイチロウでも無理だったのに馬鹿じゃねぇのw』

『ゲンイチロウも今の水準から見れば大した選手じゃないでしょ』


 見てくれている人は正直だ。今のイズナは客を楽しませる試合をできていない。だから罵倒される。蔑まれる。みんなを不快にさせてしまう。

 それでもイズナを支えようとしてくれた人はいた。ゲンイチロウが亡くなった時も初めてプロの試合で負けた時もずっと励まし続けてくれた。イズナの親友でライバルの女の子。

 だけどイズナは、彼女を傷つけてしまった。


『うるさい! 君のことなんかどうでもいいんだ!』


 心優しい少女だったのに。


『邪魔なんだよ!』


 寄り添おうとしてくれたのに。


『私のことは放っておいて! 君のことなんか……大嫌いなんだよ!』


 大切な友達だったのに自ら手放してしまった。そんな人間が今更後悔しているから仲直りしたいなんて口が裂けても言ってはいけない。誰かに優しくされたいなんておこがましいにもほどがある。


「どうして私、あんなこと言っちゃったのかな……」


 あんなに好きだったマギシングサークルも、今では楽しいとは思えない。

 もうやめたい。やめて楽になりたい。いやだ。苦しい。辛い。心がぐちゃぐちゃだ!

 それじゃあなんで続けるの?

 決まっている。ゲンイチロウとの約束があるからだ。彼が果たせなかった夢を叶える義務がある。義務だと思うんだ。思い込むんだ。

 だって夢を叶える以外、残されているものは、なにもないのだから。


「楽しいとかつまんないとかどうでもいい……次こそ勝つんだ……」


 どんなに辛くても悲しくても泣いていても、次の試合こそ勝たなくてはならない。だから自分で涙を拭って立ち上がれ。もう頭を撫でて慰めてくれる人はどこにもいないのだから。

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