第41話 「ダラケものの真実」
色素の薄い髪が外界との隔たりを作るように垂れ下がって表情を見ることが出来ない。
「いや」
「そうだろうね。教えたこともないし、君から質問してくることもなかったから」
懐かしむように、そう言った。
出会ったころの僕は露草がなんで保健室にいるのか大して気にしてなかった。子供だったから。
仲良くなって気になったけど、聞けなかった。今さらって感じがして。
「ただ体が弱いだけ。正確にいうと自律神経が元々おかしいみたいで、寝てないと体がもたない」
「病気じゃないのか?」
「ナルコレプシーじゃない。病名なんてない。医者が言うには、ただの体質らしい」
露草は吐き捨てるように言った。
「そう、だから帰宅も、遊びも、全部親がいなきゃいけない。学校生活も危ないって保健室に閉じ込められて、自由なのは夢の中だけ」
はぁ、っとため息をついた。
「まさに、藍色の青春だったよ」
卒業式の言葉は深瀬先輩の適当じゃなくて、露草の本心だったのか。
僕はそんなことに微塵も気付かずに冗談として返してしまっていたのか。
そう考えると、心臓がぎゅっと掴まれるような感覚になった。
「本を読んで、こうなりたいって布団の中で強く願った。こんな青春を送りたいって強く夢を見た。何回も何回も、それそこ現実に現れるくらいには。そうして生まれたのが深瀬藍だ」
隣のベッドに積み重ねられた本の塔に目を向ける。
深瀬藍という夢の材料を。
「天真爛漫な女の子、素直で可愛い女の子、庇護欲を掻き立てるような女の子、人から愛されそうな女の子、物語のヒロインみたいな女の子。深瀬藍はボクがなりたかった理想だよ」
そこまで言うと、露草はそっぽ向いた。
「なあ浅葱、普通ってなんだろうな」
独り言のように呟いた。
「ボクは普通になりたかったんだ。元気な身体、退屈な授業、楽しい日常、そんなものばかり追い求めていた」
きっとそんな願いが、深瀬藍を生んだんだろう。
「そうしたら病気だって言われた」
「病気?」
「といっても、ちゃんとしたものじゃない。精神疾患の一種って扱いだがね、病名だって認められているものじゃあない」
じゃあ何なんだ。
そう尋ねる前に、露草は口を開く。隠すつもりは無いみたいだった。
「『夢囚病』……強い願いが精神と肉体を乖離させる症例を持つ。願いが強く明瞭であるほど実態を持ち、自由に行動が出来るようになる。豊かな想像力が毒になる病気だ。……まぁ、幽体離脱って思ってくれればいいさ」
「夢囚病? 精神の乖離? そんなこと……」
「ありえないって思うだろ? ボクだって最初はそうだったよ。でも実際に自分がそうなってるんだから信じるしかないだろう」
はは、と乾いた笑い声を漏らす。
微塵も面白いとは思っていない、諦めきったスカスカの言葉だった。
「姉さんには感謝してる。あの人のおかげでボクは夢に溺れずにいられたから」
「姉さんって……」
「浅葱も知ってるだろ? ランさんのことだよ、叔母さんって呼ぶと怒るんだ」
ランさんは深瀬先輩のことを姪だと言った。でも深瀬先輩は露草の夢で……まあ、そう考えると変ではないだろう。
「上手に夢と付き合えるような方法を教えてくれた。夢を見るときは本名を使うな、とかね」
「だから深瀬藍って名乗ったのか?」
「そうだ。全部、姉さんからの借り物だがね」
「……ランさんも『深瀬』だもんな」
「下の名前もだよ。藍って漢字を借りている、さすがに読み方は変えたが」
突然、明かされた真実に言葉を失う。何を言うのが正解なのか分からない。
黙り込む僕を見て、露草は「はぁ」と小さなため息をついた。
「なんでボクが……いや、深瀬藍が、ずっと動画を回していたと思う?」
「忘れないため、もしくは思い出すため」
先輩の言葉を口にする。
でも、その人でもあった目の前の女の子は、
「ああ、そんなこと言ってたっけ」
なんて、寂しいことを言った。
「言ってたよ」
僕の中で噛みしめるように念を押す。
あんたが一番忘れちゃいけないだろって。
「そうか。残念ながら、本当の目的はそれじゃないんだ。『普通』が出来てるか確認するためだよ。卒業式の日にアルバムを漁っていたのも、普通の学校生活を知るためだ。行事ごとになると駆り出されることは知っていたから……ああ、でも浅葱が来たことには驚いたよ。同時に喜ばしく思った」
ぽつりぽつりと呟いた。
歌うように、思い出すように。
「もしかしたら運命ってあるのかもしれないってね、ボクは思ったんだ」
「なんで、深瀬先輩の姿をしてたんだ?」
卒業式の日に、という意味で尋ねたのだが、
「制服で校内を過ごすことは普通だろ」
さも当たり前と言うような口ぶりで返された。
「でも覚めてしまった。自分が思い描いた『普通』が本物なのか疑ってしまった。だから、深瀬藍は覚めたんだ。強い願いは体験してない『普通』に殺された」
その発言に、僕は引っかかるところがあった。
「なあ露草」
「なにか言いたいことでもあるのか?」
僕が口を挟んだことに少しだけ驚いたような顔をする。
「深瀬先輩は、露草にとっての『普通』なんだよな」
「少なくともボクはそうなるように努めたよ」
「そうか」
「文句なら受け付けるぞ」
文句なんかじゃない。
けれども、きっと露草からしたら難癖みたいなものになると思う。
怒ることを分かってて、悲しむだろうって予想して。
それでも僕は口にした。
「悪いが、僕にとってに深瀬藍は『普通』じゃなかったよ」
露草のガラス玉みたいな瞳をしっかりと見据えて、思いの丈をぶつけるように。
「特別に好きな女の子だ」
「やめて」
「特別に可愛い女の子だ」
「やめてくれ」
「ずっと一緒にいたかった女の子だ」
「お願いだからっ!」
露草が声を荒げる。
髪を乱して、頭を抱える。
聞きたくないというように。
「君がそんなこと言ったら、ボクはどうすればいいんだ。間違っていたのか? ずっと。無駄だったのか? 今までの努力は」
「そんなことない」
僕がそう言っても、露草の表情は晴れなくて。
むしろ曇っていく一方で。
「さぁ、もういいだろ。帰ってくれ」
なんて言われてしまった。
「頼むから、帰ってくれ! 君と話をしていると自分が分からなくなる。現実がどちらなのか。夢がどちらなのか判断がつかないんだ!」
声を掠れさせながら、叫ぶように言った。
苦しくて仕方がないって、もうやめてと願うように。
こんな露草を見るなんて初めてだった。
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