第40話 「先輩は捻くれもの」
「お目覚めかい?」
女の子の声で目が覚めた。
見慣れない白い天井が広がっていた。
見慣れた制服姿で、見慣れない白いベッドに寝転がっていた。ツンとした消毒液の匂いで、ここが保健室であると気が付いた。
起き上がると、にんまりとした表情を浮かべる女の子が、僕の寝ているベッドに腰掛けている。
「授業中に倒れたんだって。明らかに寝不足だって分かったから病院には連れて行かなかったそうだよ」
窓の外を見ると、夜の帳はすっかり下りていた。
なるほど。
僕は寝落ち、いや気絶というほうが正解か? まあ、とにかく気を失って保健室まで運ばれたのだろう。おかげで頭も身体も久しぶりにスッキリとしている。
「先生に、謝っとかなきゃ」
「目の前の人には礼をしないのか? 君が目覚めるまで待っていたんだ」
「ああ、そうだな」
確かに感謝の言葉の一つもかけなきゃ失礼だな。
「ありがとう、深瀬先輩」
「まだ夢の世界から戻ってきていないのかな? もしくは、ただ寝ぼけているだけかい?」
「いいや、いたって正常だ。むしろ久々にぐっすり眠れて頭が冴え切ってるよ」
「じゃあ何でボクを深瀬藍だと呼んだんだ?」
露草千草はそう言うと不満げに眉をひそめた。
「事実を言っただけだ」
「誤認しているんじゃないか?」
「深瀬先輩は電話が嫌いだった。露草だってそうだろ?」
「煩わしいと思う人は沢山いるだろう」
「深瀬先輩は物知りだった。露草と同じくらい」
「ボクと同じくらい記憶力がある人も、頭の良い人も世の中にはごまんといるよ」
ツンと澄ました顔をして、一向にボロを出そうとしない。
そりゃそうか、露草は遠回しに探られることが嫌いだから。
だから、直球に質問した。
「じゃあ、なんで僕に夢なんか見せたんだ?」
「なんのことだ?」
「久しぶりに夢を見た。中学生のころ露草と出会った時の夢」
「たまたまだろう」
そう否定する。
確かにそれだけ聞いたら否定されたって仕方がない。
でも、僕が見た夢は、卒業式に先輩と出会った時と似ていたんだ。
むしろ、よく忘れてたなって思うくらい。
「卒業式は、僕らの出会いの再現だったんだろ」
そうじゃなきゃ、こんな夢を今見せる理由にならない。
このタイミングで、わざわざ見ることなんてありえない。
もし偶然だとしたら、あまりにも出来過ぎているだろう。
「思い出してほしかったから、あんなこと言ってたんだろ?」
「あぁ、もういいや。うん、そうだよ」
露草は投げやりに言った。
実にあっさりと。
「深瀬の正体はボクだよ。いや、深瀬藍がボクの夢って言うほうが正しいか」
そう吐き捨てた。観念した、という風に両手を挙げる。
「ほら怒ってくれよ、君の純情をもてあそんだ女を。呆れてくれよ、あんな夢を描いた女を」
どうでもいいって気持ちを瞳に宿して、僕を見る。
それが自暴自棄になっているようにしか思えなかった。わざと煽るようなことを口にして、僕に怒ってほしいみたいに聞こえた。
「理由を聞かせてくれないか」
なんで深瀬の夢を見たのか。
どうして僕に近づいたのか。
どうしてこのタイミングで暴露したのか。
「浅葱をからかうため」
「本当に?」
「ああ、そうだよ」
「なんで、深瀬先輩として僕と会ったんだ? どうして突然いなくなったんだ?」
「ドッキリだよ。君、深瀬藍に執着してたから。いなくなったのは……ボクが夢を見ることに疲れたからだ」
満足したかい? と言いたげな顔をする。
余裕たっぷりで、つらい思いなんかありませんって我慢してるように見えた。だからか分からないけれど、
「深瀬先輩は、露草の夢だったんだろ」
と、口から零れ落ちていた。
「そうだと言っただろう。ああいう女の子になりたいって願ったんだよ。そう夢見てしまったんだよ」
「違う。そっちじゃない」
「浅葱は何を言いたいんだ?」
「色んな場所に行って、誰かと一緒に帰って、美味しいもの食べて、恋人みたいなことをして……そういう青春を送りたかったんじゃないか?」
そうだと思いたかった。
そうだと信じたかった。
あの楽しそうな表情が、嬉しそうな言葉が、幸せそうな言動が、僕をからかうためだけだって考えたくなかった。
あんなに満たされてたじゃないか。喜んでたじゃないか。はしゃいでたじゃないか。
それが全部嘘だったなんて……それこそ、そういう嘘を付いてるようにしか見えなかった。
「違うなら、否定していい」
露草は何も言わない。
つまり肯定の意として取っていいということだろう。
「……ボクがよく寝る理由知ってるっけ?」
顔を下に向けて、露草は言った。
そこで初めて、露草の秘密を知ることになる。
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