第33話 「それでも足は止まらない」
まさに危機一髪だった。
全身が痛くて重いけれど、ずっと寝ているわけにもいかない。ゆっくりと時間をかけて立ち上がる。
視線をあげると乗客は皆、おかしな人を見る目を僕に向けた。
自分の姿を見下ろすと服は泥と雑草まみれ、手足は血だらけ。新調した黒のチノパンには大さな穴が開いていて、隙間からは痛々しい生傷が見える。喉は乾ききっていて呼吸をするたびにヒューヒューと喘息みたいな音がした。
でも、そんなのどうだっていい。周りの人からどんなに奇異の目を向けられたって構わない。
今一番大切なことは深瀬先輩を見つけること。
そのためのヒントを得られそうなランさんの元へと向かうこと。
スマホを使って、最短時間で帰る方法を調べる。
検索の一番上に出てきた帰り方を参考に、新浦安駅で快速に乗り換える。これで一時間後には地元に着く。
空いていた席に座って、なんで消えたか必死に考える。
―夢って落差に弱いんだ―
真っ先に思い当たるのは、ランさんの言葉。
観覧車に乗ったから? それとも海でのテンションと観覧車のテンションが違ったから?
どちらも急激な変化だったとは思えない。
海浜公園の先輩の様子がおかしかったからか? でも、目が覚めるような大きなきっかけなんか見当たらない。
分からない。
深瀬藍が分からない。
もう、何もかもが分からない。
快速のはずなのに、やけに遅く感じた。
きっと、それ以上に僕が焦ってるから。気持ちだけなら新幹線より急いてるだろう。
電車を降りて走りたくなるが、大人しくしてたほうがいいことくらいは理解出来るくらいの冷静さは失ってない。
ただただ耐えた、何も出来ない時間を。
どうせまた走るんだ。
その時のために体力を残しておこう。
そう自分に言い聞かせる一時間を過ごした。
最寄り駅に着いた瞬間、スタートダッシュをするように電車から降りて階段を下りる。
改札を超えて、地面を大きく蹴った。
「うわ、雨じゃん」
「うっそ!? 今日、降らないって予報だったのに」
なんて、立ち往生する人たちを押しのけて僕は走った。
ただの水滴ごときに足止めされてたまるもんか。
「あの人ヤバッ」
という声は、すぐに雨にかき消された。
雨は本降りどころか土砂降りだった。
僕のシャツもズボンもあっという間に濡らして、真っ黒にしてしまう。
雨も風もすさまじく、BB弾を打ち付けられてるみたいだ。身体にぶつかってくる雨粒の衝撃が、僕の心まで届いてずっとダメージを与えていた。
それでも足は止まらない。
止める気なんて、さらさらない。
お天道様は真上からの攻撃は通じないと思ったのか、雨は横殴りに変わっていった。僕を妨害をするように、向かい風が強く吹き付ける。
手も足も冷たくて仕方がない。
服が貼りついて動きにくい。
でも、それは走るのを止める理由には足りえなかった。
スニーカーはとっくのとうに浸水してて、地面を踏み込むたびにピチャピチャと音がする。紺色のシャツも黒色に変わっている。リュックだって、きっと中身はビショビショだ。
そんなの全部どうだってよかった。
古びたビルに飛び込んで、階段を上る。
「ランさん!」
扉を激しく叩いた。
壊れんばかりの勢いで、全体重を乗せて。
「お願いですから! 助けてください!」
ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ!
「開けてください! 先輩が!」
扉の向こうからの返事はない。
ただただ僕が扉を叩く音が、静かな廊下に響き渡るだけ。
「出てくれよ、頼むから……」
そんな願いを口にするも叶わない。
雨にかき消されて、あっという間に流れ去ってしまった。
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