第27話 「裸足になった君と僕」
観覧車決行の日のことだ。
電車に揺られること一時間以上、ガタンゴトンを聴きすぎて自分が電車になりそうだった。
目的地である葛西臨海公園駅は遠く感じた。安房鴨川駅まで行くのと、あんまり距離も時間も変わらないはずなのに……県をまたぐからか、川を渡るからか、理由は分からなかったけれど。
各駅停車の窓から見える景色が、田んぼと畑から住宅街と商業施設に変わり、やがて海になる。普段なら気にも留めないのに、移り行く街並みに目を奪われていた。
駅のホームに降り立った瞬間、磯の香りを乗せた海風が僕の全身を吹き抜けていった。それは、もうすぐ夏が来ることを予感させるものだった。
改札を出て階段を下りる。
噴水の前で大きく手を振る人がいた。
見たことがない真っ赤なワンピース姿だというのに、すぐに誰だか分かった。
「あ、浅葱くんお疲れ~」
「まだ来たばかりですけどね」
「来るのにも疲れる距離だからね」
それに関して否定はしないけど肯定もしない。
何といっても現在時刻は午後の三時。いくら休日だからと言っても、この時間に移動する人は少ないから電車もガラガラ。座ってぼーっとしてれば到着してるって寸法よ。
「やっぱりここ、広いねぇ」
深瀬先輩は後ろに広がる公園を見て言った。
大きなメインらしき通りを右に曲がり少し歩くと、芝生が広がる場所に出た。ここだけ見ると全くと言って良いほど東京感がない。隣の舞浜駅のほうが発展しているというか、人も建物も多かった。
「先輩、ほら観覧車ですよ」
僕が先輩に告白しようと企てている建造物。そびえ立つ大観覧車を指差すと、深瀬先輩は不満そうな声を上げる。
「えぇ、いきなりメインディッシュに手をつけちゃうの?」
「だって乗りたいって……」
「こーゆーのは最後に残しておくものなの」
「じゃあ、どこから行くんですか?」
「海浜公園のほう」
「まだ五月なのに?」
「春の海もなかなか乙なものなのだよ」
来た道を戻ってメイン通りの奥へと進む。渚橋に足を踏み入れると潮の香りが一層強く感じた。
あまり人がいないと思っていた僕の予想とは裏腹に、砂浜にはそこそこの人がいた。ちょうど干潮の時間だったからかもしれない。
スマホを片手にはしゃぐ学生集団、足元をぐちゃぐちゃにしながらも駆け回る子どもたち、三脚を立てて東京湾の写真を撮る大人……海には入らないものの犬の散歩をしていたり、ベンチで会話に花咲かせる女性もいる。
「意外と人いるんですね」
「もしかして初めて来た?」
「来る用事がなかったので」
「臨海公園って、ここら辺の中高生の遊び場なんだよ」
深瀬先輩はためらいもなくサンダルを脱いで、ぬかるんだ砂浜に足を踏み入れる。踊るような軽い足取りで、どんどん奥へと進んで行く。
赤いロングスカートがふわりと膨らんで海面に向かって萎んでいった。
「あんまり行くと濡れますよ」
「いいじゃん。海、久々なんだから」
「ダメとは言ってないですけどね」
「浅葱くんは入らないの?」
先輩は誘うような声で言った。
湊と一緒に来ていたら間違いなく全身泥まみれになって遊ぶんだろうけれど、いかんせん女の子と海でどう楽しめばよいのやら分からない。正直、先輩を見ていれば満足なのだ。
そんな僕の考えを見透かしたように先輩は、
「楽しいよ」
と手招きした。
そんなことを言われてしまっては、入らざるをえない。
誘われるままに、スニーカーと靴下を脱いだ。ズボンの裾をあげてから、海水混じりの砂に足を付ける。
「うわ、冷たっ」
「えへへ、騙された?」
先輩はいたずらっ子みたいに笑う。
足の裏だけじゃなく指の間、爪の先までヒンヤリとした心地よさが満たしていく。
今まで頭を悩ませていたことが全てなくなったのもあるんだろうけれど、全部のしがらみがなくなったみたいで、悩んでいたものが全部海に流れ出てっているような気がした。
「いえ、気持ちいいです」
「裸足になるだけで解放感あるもんねぇ」
「春の海も良いものですね」
「だから言ったでしょ?」
えへへ、と誇らしげに笑った。
ただ干潟を歩いているだけなのに楽しかった、泳いでないのに心地よかった。きっとそれは先輩と一緒だから。
「青春って感じがしますね」
「そうだね。私達、青春してるよ」
先輩を塗り固めていた藍色が少しずつ海に溶けていけば良いな、なんて思った。
よっぽどゴキゲンなのか、真っ白い足で泥を蹴る。パシャンッと音と一緒に綺麗な弧を描いて、先輩のスカートの裾にシミをつくった。
手の平にも満たない小さなシミ。
でも、それが大きな変化をもたらした。
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