第1話 「夢のまた夢」
四月になっても、僕に藍色の青春は訪れることはなかった。
無味無臭の平凡な日常が淡々と流れていた。
少しでも食い止めたくて、深瀬先輩を探していた。でもまだ一度も会えていない。すれ違うことも名前を耳にすることも出来てない。
あの卒業式での出来事はやっぱり僕が見た夢? それとも春の陽気がもたらしてくれた束の間の青春?
そんな悶々とした気持ちが心の中を渦巻いている。
あの時クラスだけでも聞いておけばよかった、なんて後悔するのは遅すぎた。
「どこにいるんだよ~」
写真部の部室に、僕の情けない声が響く。机に突っ伏して、足をバタバタ動かし行き場のない思いを発散する。
僕の所属する写真部は、幽霊部員の集まりだ。ただでさえ水曜日しかない活動日、それに加えて学校行事くらいしか駆り出されることがない。そのせいか兼部する人がとても多い。
僕も顔を出してはいるものの活動らしい活動なんてしていなかった。
「おーおー、放課後になっても元気だなぁ」
「元気はあっても気力がねえよ~」
「ああ、春だってのに陰気臭くてキノコが生えそうだ」
なんか悪口が聞こえた気もするけど、きっと恋の病にかかった僕の幻聴だろう。
恋は盲目というように見えるはずの物が見えなくなるのだから、無い音が聞こえてきたって不思議じゃあないだろう。多分。
顔を上げると数少ない友人、花田(はなだ)湊(みなと)が僕を見下ろすように隣に立っていた。百八十センチを超える高身長と、くっきりとした目鼻立ち。男の僕から見てもイケメンだ。本当、腹が立つほどに。
二年生に上がった時に行われたクラス替えのせいで別々になってしまったけれど、同じ部活ということで交流はずっと続いている。高校で出来た大切な友達だ。
「で、何を悩んでるんだ兄弟よ」
「人を探してるんだ、友人よ」
「へー、透がそんなことを言うなんて珍しいなあ。どんな人?」
「深瀬藍って人、先輩らしい」
交友関係が広い湊なら何か知っているかも、と淡い希望を持つが、
「知らないな、聞いたこともない」
間髪入れずに打ち砕かれる。
「だよなー」
昇降口で全生徒が帰宅を終えるまで待っても、それらしい人がいなかった時点で分かってはいた。でも、名前くらいは聞いたことあるかもと思ったんだけどなぁ……
思わず、ため息が漏れる。
「特徴とかないのか? 髪型とか身長とか」
「髪は肩にかからないくらいの長さ。身長は百六十あるかないかかな」
「名前からしてあやしいなって思ったけどさ、もしかして女の子?」
「あぁ、そうだけど?」
肯定すると、ニヤアと口角が上がる。僕の背中をバシバシ叩いて、色めき立った声を出す。
「え? 何? も・し・か・し・て? 恋か? 春か? 浮いた話か~? ついに透に好きな子が!」
アメリカンなホームドラマか、と思わずツッコミを入れたくなるような大袈裟な身振り手振りをしながら、湊は僕の斜め前に座っていた少女の方に顔を向ける。
「舞奈(まいな)、聞いたか? 今日は宴だ! 透の恋愛事情について、あることないことせっついていこうぜえ!」
「お兄ちゃん、そのうるさい口を閉じていただけますか?」
斜め前に座る少女、舞ちゃん……湊の妹である一年生の花田舞奈は氷よりも冷たい声を兄に対して容赦なくぶつけた。
凛とした雰囲気を醸し出すポニーテール、小柄な体躯に控えめな胸、成長することを見越して買ったであろう大きめの制服が庇護欲を掻き立てる。ビターチョコみたいな茶色の瞳をジトっとさせているあたり、男心をよく理解していると感心する。
理想の後輩は? と尋ねられたら七割の男は彼女の特徴を上げると思う。
一年生の部活はまだ始まってないけれど、舞ちゃんは写真部に入る気満々みたいで活動日である水曜日はここに入り浸っていた。
「だって舞奈も知ってるだろ? コイツには、女子との噂すらないことを! そんな透が恋したなんて俺的一大ビッグニュースなわけよ」
「そんなに盛り上がることでもないのです。現にノリノリなのは、お兄ちゃんしかいないのです」
「え? じゃあ舞奈の魅力百選に話題変えてもいい?」
「それも勘弁なのです……先に言っておきますが、百選じゃなくて千選にするとかもナシですよ」
「舞奈ってお兄ちゃんの思考読めたりするか?」
「まさか、ただの勘なのです」
「ああ、良かった。そのポニーテールで往復ビンタされたいってことまで口に出ていたら一巻の終わりだと思ったよ」
「まさに今、終わっているのですよ。お兄ちゃんへの好感度が」
「終わるだけの好感度があったのか、嬉しいなあ」
「その発言で地の底まで落ちたのです」
ドライアイスとタメ張れそうなくらいまで、舞ちゃんの声が冷え切る。もはやジト目を超えてゴミを見る目で湊を見てる。
「おい湊、これ以上妹を困らせるな」
僕は手短にあったプリントを丸めて、湊の頭を叩いた。
中身が詰まっていないせいか、ポコンと軽い音がする。
「いや、これは兄妹特有のじゃれ合いだ! 家族として必要なスキンシップだ!」
「一方的に痴態を晒している、の間違いではないのですか?」。
もはや冷たい声をぶつけるのにも疲れたのか、呆れまじりだった。
「舞ちゃんも嫌だったら強く言って良いんだからね」
「お心遣いはありがたいのですが、あいにく、お兄ちゃんの奇行には慣れてしまったのです」
慣れたくないですけど、と肩を落とす。
「話を戻したいのですが、その深瀬さんって人、好きなのですか?」
「うーん、どうだろ。また会いたいとは思ってるけど」
「じゃあ嫌いなのですか?」
「嫌えるほど知ってるわけじゃないんだよね」
「ふーん、そういう感じなのですね」
「どういう感じ!?」
舞ちゃんのじっとりとした視線が僕の全身を撫でまわす。なんと居心地の悪いことだろうか。
「じゃあ、深瀬さんとどういう関係になりたいのですか?」
「どういう関係って……」
ただ会いたいって思ってるだけの僕が、すぐに答えられる質問じゃなかった。
単純なのに難しくて、口を動かせなかった。
だってまだ、この時は好きだって分からなかったんだから。
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