夢で出会った先輩が現実の僕にかまってくる

川雨そう

本編 第1章 「藍色の夢」

プロローグ 「おやすみ」

 夢で出会った人に恋をした。

 正確にいえば、夢かどうかは分からない。

 でも、もし現実だとしたら、あまりにも出来過ぎていた。



 * * *



 忘れもしない三月八日、僕が通う柳沢高校の卒業式の日のことだった。桜が舞い上がるほどの風が吹く日だった。



 浅葱(あさぎ)透(とおる)、柳沢高校一年生、十六歳。

 生まれて初めてサボりをしている。


 別に不良というわけではない。ただ、ほぼ面識のない人達に対して「さよなら」だとか「未来への一歩を踏み出してください」だの、別れの言葉を言うことに強烈な違和感があっただけだ。

 だって出会ってもいない人に「さよなら」なんてなんて、ちゃんちゃらおかしい。


 僕は人気のない特別等の三階、写真部の部室で暇をつぶそうと思って誰もいない階段を上っていた。

 部室の目の前で鍵をくすねてくるのを忘れたことに気が付いた。

 今さら戻るのも面倒くさくて、扉に背を向けて胡坐をかく。

 降り注ぐ陽だまりのおかげで寒くはない。バレる可能性は高くなるけど、廊下でもそれなりに心地がいい。


 空模様は清々しいほどの晴天。見事なまでの澄み切った青色。それは青春のラストを飾るに相応しいものであるだろう。


 まぁ、僕には無縁なものだけど……


 心の中で自虐をした瞬間、春の陽気を乗せた風が僕の全身を吹き抜けていった。妙に暖かくて安心して、眠気を煽るには十分だった。

 ゆっくりと目を閉じて、鳥の声に耳を傾ける。

 このままうたた寝するのもありだなーって思った。

 体育館の方角から『蛍の光』が聞こえてくる。ゆったりとした曲調が良い子守歌になって、夢の世界に誘われようとしていた時。



 ガタンッ。



 僕の後方、扉の向こうから音がした。


 最初は気のせいかと思ったけれど、耳を澄ませると物音が止むことはない。

 ……部員として、確かめなければならない。


 もし中に人がいたとして、それが先生だったとしたら大人しく怒られよう。もし違ったら仲良く一緒にサボろう。

 うん、そうしよう。


 意を決して、引き戸に手をかける。

 ドキドキとうるさい心臓の音を無視して、扉を開けた。



 部室の中は、いつもと同じ変わり映えしない光景が広がっていた。

 十二畳ほどの部室を入った左側には、高さ一・五メートル程度の本棚、右側にはカメラを保管している金庫が置かれている。奥の窓は閉じられていて、特におかしなところはない。

 部室の中央にいる、先客を除いて。



 見たこともない女の子だった。



 チェック柄のスカートから伸びたすらっとした陶器のような足を組み、中央に置かれた机の上に腰掛けている。紺色のブレザーも下に着ているワイシャツも、生徒手帳に記載されている見本のように全てボタンが閉じられている。


 見るからに優等生って雰囲気を漂わせた女の子は、卒業式をすっぽかしたというのに罪悪感の欠片も見せない。それどころか、肩に付かない程度の真っ直ぐでサラサラの黒髪を耳にかけ、嬉しそうに亜麻色の瞳をアルバムに向けていた。

 南側に設置された窓からは春の陽気が光と共に降り注がれていて、スポットライトみたいに見知らぬ女の子を照らしている。


 その人は僕を見るなり、

「あれ? 君もサボり?」

 と、アルバムを閉じて言った。


「誰?」


 僕の口から脳内に浮かんでいた疑問が出ていた。


「えへへ、誰だと思う?」

「知らないから聞いてるんですよ」

「もう、ちょっとした冗談だよ? テキトーな答えが欲しかったな」

「初めましての人に期待しちゃダメでしょ……」

「うぅむ。中々に手厳しいなぁ」


 女の子が頭を傾けると同時に、サラサラの髪が宙を滑る。


「仕方ない。教えてあげよう」

 手にしていたアルバムを机の上に置き、ポンと右手で自分の胸を叩いた。


「深瀬(ふかせ)藍(あい)、二年生」

 どうだ、と誇らしげに無い胸を張る。

「へぇー」

 どうやら先輩らしい。


 が、しかしだ。

 そんな人、写真部にはいない。部員の友達にも、そんな名前の人がいると聞いたことはない。


 つまり、正真正銘の不法侵入。

 お前も似たようなものだろ、というツッコミは受け付けていない。一応、僕は部員という大義名分が存在する。


「君は?」

「僕は……」


「浅葱透くん、でしょ」


「え?」

「一年生で写真部の浅葱くん」

「は? なんで……」


 知ってるんですか? と尋ねる前に、深瀬藍と名乗る先輩は「えへへ」と笑った。


「だって君のことは、ずっと前から知ってるから」

「僕ら初めましてですよね?」

「ちゃんと顔を合わせるのはね」

「え? 僕、何かよろしくない噂とか流れてます?」

「いいや」

「じゃあ、ストーカーですか?」

「犯罪に手を染めてないよ」

「それなら、なんで?」

 思い当たる節が見つからない。

 深瀬先輩は机に座ったまま手招きする。


「まあまあ。立ち話もなんだし、中に入りなよ」

 なぜ部員よりも上から目線なのか、というツッコミは、先輩だからという理由で無理やり飲み込んだ。


 備品であるデジカメを起動して、僕の方に向ける。インタビュアーのつもりなのか、カメラを持ってない左手にエアマイクを握って僕の前に差し出す。


「卒業式、出ないの?」

「うーん、行ったところで……って感じがして」

「うわぁ! サボり魔だ!」

「そういう先輩だって同じじゃないですか」

「サボりじゃないよ? ただ、ここで暇をつぶしてただけだよ」

「それをサボりというのでは……?」

 後ろめたさを感じている部分はあるのか、深瀬先輩は視線を下げた。


「……私はさ。なんていうか、ザ・お別れ、みたいな空気が苦手でねぇ」

「あー、言いたいこと分かるかもしれません」

「いつの間にかいなくなってる!? くらいの気楽さがちょうどいいの」

「終わりに近づいていく怖さってありますよね」

「分かる分かる、よぉ~く分かるよ」


 エアマイクを持っていた左手を顎に添え、うんうんと何度も頷く。


「ポテトチップスを食べきっちゃったときは寂しいもん」

「それと同じにしちゃいます?」


 仮にも思い出が詰まったはずの女子高生ライフを、数分で食べ終えてしまうスナック菓子と同列にするのか。

 高校生活という人生で一番キラキラしている時期を、そんな軽く受け止めてしまう感性とはいかに。


「同じにするよ。だって青春もポテトチップスも、無くなるときは一緒だもん」


 う~ん、いまいち納得出来ない。というか、したくない。

 僕の青春予定はあと二年も残っている。それがポテトチップスのように軽々と消費されては困る。もちろん、何事もなく湿気ていくのも、何かに巻き込まれてぼろぼろになってしまうのも勘弁だ。


「青春って、本当に青い春なんですか?」

「人それぞれだから何とも言えないかな」

「何色ですか?」

「何が?」

「深瀬先輩の青春の色」

「そんなこと知りたいの?」

「気になったから聞いてるんですよ。ポテトチップスと同じにしてしまうんですから」

「えぇ、難しい質問だね」


 薄い桃色の唇に細い指を当て、う~んと唸りだした。頭を左右に振り、両足をパタパタと動かす。

 う~んを十回くらい聞いた時、深瀬先輩は口を開いた。



「……藍色、かな」

「それ自分の名前からとってますよね」

「あれ、バレた?」

 えへへ、と恥ずかしそうに頭を掻く。


 そりゃあバレる。

 上手く誤魔化された感じがするって、この時は思った。


「じゃあさ、逆に聞くけど、浅葱くんの青春は何色になりそう?」

「うーん……分かりません」


 僕が過ごした高校での一年間は、あっさりと流れてしまった。大きな揉め事もなく、小さな浮かれ話すらない、ただただ平穏だった。何もない、平凡だった。


「何色になると思いますか?」

「そうだなぁ……君の青春は名前の通り、透き通ったものになると思うよ」

「遠回しに彩がないってディスってます?」

「そ、そういうわけじゃないよ。ただ、濁りがなくて綺麗って」


 両手をパタパタと横に振るわせる。

 これ、カメラ持ってること忘れてるよな? 見返したらブレッブレで画面酔いしそうだ。


「でも、透明な青春って味気ないですね」


 綺麗なだけで何もない空っぽと同じようにしか思えない。

 見えないのなら、無いのと変わらない。




「それならさ」




 カメラの位置を少し下げ、僕の顔をじっと見据えていた。

 透き通ったガラス玉のような瞳は近づいたら離れられない魔力のようなものがあって、僕は目を離せなかった。

 薄い唇が、ゆっくりと開かれる。




「混ざっちゃう? 私達」




 妙に艶っぽい声で、誘うような甘い声で、そう言った。

 さっきまでポテトチップスと例えに出した人とは思えない、余裕たっぷりの笑みを浮かべて。


 なんてことない冗談のはずなのに、一歩間違えたら取り返しのつかない事態になってしまうように聞こえた。

 是非、と即答することの出来ない、何かがあった。


 思わず息を飲んでしまう。

 緊張感が体の周りを支配する。


 頷いたら一緒に破滅への道を辿ってしまいそうな、悪魔の提案のように聞こえて。

 それが怖いくらいに魅力的に見えて。


 透明な僕の心に、藍色のインクが一滴垂らされた。




「私の色、分けてあげようか?」




「いや、それはちょっと」

「ええ!? なぜに?」

 と大げさに驚いた。


 さっきまでの妖しさは、どこかに消えていた。

 僕は、それにホッとした。


「だって藍色ってキラキラっていうより、どんよりって感じがしませんか?」

「いや、まぁ確かにそうかもしれないけどさぁ」

「だから僕が薄めますよ。綺麗で透明なんですよね?」


 こんな言葉が自分の口から出るなんて驚いた。

 でも、この時に怖気づかなかったことを後々になって正解だったって思う。


「浅葱くんってそういうこと言うんだね」

「冗談に聞こえました?」

「本気だったらそれは願ってもないことだなぁ、って思った」

「本気にしていいですよ」

「それなら楽しみにしてるね。約束だよ」

 えへへ、と笑って先輩は部室を出て行った。



 右手にカメラを持ったまま。



「あっ、ちょっと!」

 持っていかれては困る! 管理不十分で怒られて、最悪活動休止に追い込まれる!


 追いかけようと一歩を踏み出した瞬間、ぐにゃりと視界が歪む。強烈な眠気に襲われた時のように、平衡感覚が失われる。

 右手を伸ばすも、軽い足取りには追い付かなくて。

 僕は重力のままに、床に倒れ込んだ。




 目を覚ましたのは、空が茜色に染まるころだった。

 僕は写真部の部室に突っ伏して寝ていたようで、体中が痛い。

 半開きになった金庫の上にはカメラが置いてあった。深瀬先輩が返しに来たのだろうか。


 どんな映像が撮れていたのか気になって、中を見るが空っぽだった。これだけ見ると、まるで最初から何もなかったみたいだ。

 いや、もしかしたら本当に何もなかったのかもしれない。


 深瀬藍という先輩は何だったのか。

 撮ったデータはただ消されただけなのか。

 あれが夢か現実か分からなかった。


 これが僕を惑わす青春の一ページ目になるとは、この時はまったく気が付かなかった。

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