第2話
「奏は部活と、その筋トレが好きなんだね」
「そうだね」
「分かった。じゃあ僕も部活に行く」
にこっと微笑んだ僕を、怒っているような、困っているような目でにらんでくる。
彼女はそのまま、教室から飛び出していった。
僕はもちろん、迷うことなく後を追いかける。
「ねぇ、待って」
追いかけっこなら得意だ。
岩礁の合間を、仲間や魚たちと泳ぎ回った。
体をひねり、くるくる方向転換しながら、時にはさっと一直線に素早く泳いで、相手を捕まえる。
海の中だと普通に楽しめたけど、地上ではそんな動きは出来ないのがもどかしい。
二本の足だけで走るのは、海ほど早くないし、慣れてもない。
こういうときに、自慢の尾びれがあればなぁ。
僕の尾びれは他の誰よりも大きくて太くて、きれいな青い鱗で覆われていたのに。
奏は廊下に出ると、教室とは違う隠された小さな横穴みたいな空間に入っていく。
僕は思わず、くすっと笑ってしまった。
そんな行き止まりのような小さな横穴に入ったって、どこにも逃げ場所はないのに。
ここで捕まえてくれって言ってるみたいだ。
「もう。奏はやっぱりかわいいなぁ」
彼女の望み通り、すぐに捕まえてあげよう。
そして僕は、しっかりと彼女を抱きしめるんだ。
「愛してるよ」ってささやけば、きっと気持ちはすぐに通じ合う。
そしたら僕は、晴れて奏と真実のキスを交わし、人間になる。
ここの本当の仲間になれる。
「捕まえてあげるからね」
奏の逃げこんだ、小さな横穴へ足を踏み込もうとした瞬間、彼女は大きな金切り声を上げた。
「ここ女子トイレだから!」
見ていた他の女の子たちにも悲鳴を上げられ、あっという間に沢山の人が集まってきちゃった。
なんだか怒ってるみたいにたくさん注意された。
もうここには絶対に入らないと約束する。
ごめんなさい。
この世界には、それなりのルールがある。
人魚にだってしっかりとした掟もあれば、なんとなく皆が守っている決まりというか習慣みたいなものもある。
僕は人間になったばかりだから、それがよく分からない。
奏はそこに入ったまま、次の授業が始まるぎりぎりまで出てこなかった。
僕は彼女を傷つけてしまったのだろうか。
奏に嫌われるようなことはしたくない。
少しずつでいいから、この世界を理解したい。
僕は反省を示すために、同じ教室に入らないようにしていたけど、そうじゃないって言われたから、それからの授業はちゃんと椅子に座っている。
いつになったら僕は、ここの決まりを全部覚えられるんだろう。
学校ではチャイムというものが鳴ると、それを合図に自分の席に座らなくてはいけない。
僕と奏の席は遠いので、少しでも早く奏と仲良くなりたいと、彼女の隣に座っている人間に場所を変わってくれと頼んだけれども、信じられないっていうような顔をして断られた。
教室の中では、この座席という指定場所まで先生によって決められていて、自分たちの意思では勝手に変えられないらしい。
そうならそうと、早く教えてくれればいいのに。
変更してくれって、さっそく先生にお願いしに行こう。
授業中は立ってはいけない。話してもいけない。
授業以外のことをするのもダメ。
だけど寝るのはOKだから、座ったまま寝ている。
だけど時々起こされる。
先生の話しは、確かに面白いものもあったけど、僕にのんびりしている時間はない。
早く奏と仲良くなって、人間になってしまいたいのに。
ようやく自由な昼休みになっても、奏は他の女の子たちと一緒になってしまって、僕とは話そうともしてくれない。
なんか他の女の子たちから、僕は邪魔モノにされているみたいな感じもする。
僕は奏と一緒にいたい。
早く人間になりたい。
この生涯をかけた一度きりの魔法が、泡となって消えてしまう前に、僕は奏とキスがしたい。
「おい、宮野。一緒にメシ食うぞ」
僕の後ろに座っていた岸田くんが、突然声をかけてきた。
岸田くんの回りには、他にも男の人間がいる。
「僕は奏と食べたい」
そうやってずっとお願いしてるのに、彼女には逃げられてばかりだ。
「うん、分かった。いいからこっち来て座れ」
彼に手招きをされ、仕方なくそこに座る。
わいわい何かの話しをしながらの食事が始まったけれども、僕ややっぱり奏が気になるし、正直まだ陸の食べ物には慣れない。
「お前、食わないの?」
「あんまり食べたくない」
他に出来ることもないし、仕方なく岸田くんの席がある窓際の椅子に座る。
ここから外を眺めても、海は遠すぎて少しも見えない。
奏と話したい。
奏と一緒に手をつないで歩きたい。
僕の望みは、それだけなのに。
「食欲なくても、何かは食っとけ。この後、体動かすんだから。お前体力ねーし。水泳部入ったんだろ?」
「うん。奏も水泳部だからね」
岸田くんは鞄の中から、銀色のぺこぺこする袋みたいなものを取り出すと、それを僕にぽいと投げた。
「なにこれ」
「栄養ドリンクゼリー。腹になんか入れとけ」
岸田くんから渡された海藻の粘膜のような食べ物は、ちょっと酸っぱかったけど、これなら食べられなくはない。
「まぁ……。いけるかも」
そんな僕を見て、岸田くんはまたため息をついた。
彼は他の男の子たちと何だか色んな話しをしているけど、僕にはよく分からない。
半分だけ聞いて分かったような分からないような顔をしておく。
ようやく最後の授業が終わって、放課後が近づく。
一日の約半分をこの椅子に拘束されていなければならないとは、実に理不尽きわまりない扱いだ。
チャイムと同時に立ち上がる。
「奏!」
そんな僕を、またみんなは笑った。
僕は何にも気にならないけど、彼女にはそれがどうしても耐えられないみたいだ。
一目散に教室を飛び出す。
「あ! どこ行くの? 待って」
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